• 8月10日・水曜日。猛暑続く。ただし、東北地方は豪雨の惨劇に遭う。本日まで、手紙は休載としたが、別途の私事に対処するためであった。
    8月15日・月曜日。晴れ。かなり蒸し暑いが、一週間前の炎暑とはやや違う。ただし、不快には変わりなし。本日、77年目の終戦記念日。ウクライナを目の当たりにして、不戦の誓いはむなしい。

    8/1からの継承。前回は、プーチンの「恥辱の帝国」がどのように出現し、その兵士たちの凶暴な振る舞いがなぜそうなるかを、彼らの心理にさかのぼって述べてみた。それにしても、彼ら兵士の人間の域を超えた残虐な話は、その後も引きも切らない。ブチャでのことである。「シドレンコ夫妻は、「ロシア兵との対話も可能だ」と信じて避難せず、しかし殺された。両家の6人の遺体は手足を切断され、焼かれ空き地に放置された」(朝日新聞7/24・日。国末憲人「日曜に想う」)。なぜここまで、と目を覆う凶行だが、それほどの憎悪なのか、あるいは娯楽なのか理解を越えた話である。
    どの道、ここには命に対する畏怖と言うものは、まるで無い。人はこれほどに苛烈、酷薄になりうることを教えるが、それが戦場と言う特別な事情の故なのか、ロシア民族の歴史的遺伝の結果であるのか、筆者には何とも言えない。ただ、ロシア社会の現在は、度を越した、途方もなく歪んだ社会であるらしいとは、言っておきたい。
    日々、ウクライナはどれだけの破壊と惨劇に苦しんでいるかを、世界が目の当たりにしているにもかかわらず、ロシアは公然と否定し、民間人への攻撃はないと言い切る。それを、ロシア国民の多くは信じているかに見えるのである。情報と映像が瞬時に世界に伝播されるこの時代にである。であれば、自国の犯している戦争犯罪的な惨状に対するロシア国民の罪障意識が希薄になるのも当然であろう。5月になされた、国民の道義的責任を問う世論調査では、「まったくない 58%、ある程度ある 25%、完全にある 11%」であった。これは朝日新聞朝刊の「ロシア 形だけ民主主義」(7/4)の記事からである。
    ロシアはソ連邦崩壊後、憲法上、三権分立に基づき、選挙で選ばれた下院議員は立法権を担う議院内閣制をとり、この意味では民主主義国家となった。しかし、プーチンは20年余をかけて、その根幹部分を形骸化させてしまった。言論の全般的な規制から反プーチン政治勢力の弾圧や拘束、地方自治の破壊と統制、ロシア民族中心主義的な価値観や宗教・教育の普及等々である。中でも、事実上の生涯大統領制の確立、そして「国際裁判所などの決定に従う必要はないとの規定」を設けた憲法改正は、その仕上げとも言えそうである。その結果が、現在世界が見ているように、民主主義国家になりそこなった異形なロシア社会の出現となったのであろうか。
    前回あげた菊池氏は言っている。「中国やロシアに領土紛争が多いのも」、両国には「国境の観念が薄いから」である。両国はいずれも、近隣諸国に対して、確定された領土を持つ主権国家として尊重する感覚を持たない「帝国」だからなのだ。自国民の人権すらないがしろにする国であれば、これも当然であろう。かくてロシアは、結局、近代国家に転換する道を踏み外してしまったのである。
    流石に、インターネット、情報機器に精通した若者たちは、こうした自国の理不尽な侵略行為を恥じ、同時に世界から孤立する露国では、将来のキャリアが無いと見切りをつけての国外脱出が止まらないとは、しばしば外信の伝えるところである。それがロシア社会にもたらす将来的な影響、損失は計り知れないものがあろうことを、プーチン政権は分かっているのだろうか(なお、朝日新聞5/1・日・「「仕事ない」ロシア去るIT人材」の記事参照)(この項、終わり)。

  • 7月27日・水曜日。変わらず、猛暑。

    7月29日・金曜日。猛暑、続く。

    8月1日・月曜日。猛暑なを続く。

     

    7/4からの継続。菊池氏は言っている。現在の露軍によるウクライナ侵攻は、しばしば言われているような、世界が「ルールに基づく秩序」から「力こそ正義だ」という世界への転換を告げるものではない。むしろこれは、世界史上でしばしば見られた、帝国崩壊の際の断末魔にも似た血なまぐさい悲惨な出来事の一つにすぎない。

    ソビエト連邦崩壊後のロシアは、二流国家に突き落とされたとの屈辱感に苛まれ、それゆえ世界からは粗略に扱われているとの思いが募り、とりわけプーチンにはそれに対する強烈な復讐心があるようだ。かつての栄光を取り戻し、帝国ロシアの復権をめざす。ウクライナ侵攻はそのための一歩である、とはよく聞く話である。事実プーチンは、18世紀、ロシアに西欧の学術を導入し、富国強兵と共に国土の拡大を図り、ロシア帝国の建設者とも称される偉大なる啓蒙専制君主・ピョートル大帝の再来を自任していることからも、そうした彼の思いは察せられるであろう(例えば、さる6月「ロシアの日」における彼の演説をみられよ)。

    では、帝国ロシアの復権とは、いかなる国か。文化的な誇りを持ち、世界から隔絶した孤高を保つ、そうした統一的な理念に導かれた国家である。そのためには、ソ連邦崩壊以前の、スラブ民族を中心とした連邦であり、プーチンはこれを、ロシアを長兄とする「家族」という言葉で表そうとしている。であれば、家族は分断されてはならない。にもかかわらず、ウクライナはそこから離脱しようとした。これは許されざる裏切りに違いない。

    これを阻止する方法は容赦ないものがある。ニューヨークタイムズ(7/27)のポメランチェフ「プーチンの恥辱の帝国」によれば、まずは対象国を徹底的に破壊し、その国民の独立心や自己決定権を完全に奪い去り、自らは無価値なものと悟らせる。その結果、ロシアへの依存心が掻き立てられる。自分たちは、ロシアにすがってこそ生きられると言うわけだ。これが「恥辱の帝国」の意味であろう。そして、それは古来からの帝国主義的行動原理であり、植民地政策の典型である。また、このようにして征服された国や民族は、今度は逆に、ロシアの支配から逃れようとする国家に対して、自分がなされたと同じ過酷な攻撃、残虐を加えて、一種の復讐を果たしながら、これを捕えて絶対に逃さない。つまりマゾスティクな業火の試練を経たサディズムへの転換だと、ポメランチェフは言っている。

    このたび露軍に編入されたロシア周辺国の軍隊がウクライナに対して行なった惨劇は、このようにして初めて理解されであろう(以下次回)。

     

  • 7月25日・月曜日。晴れ。休暇を終えての、ご挨拶。暑中お見舞い申し上げます。連日の猛暑につき、皆さま、呉ぐれもご自愛の上、お過ごしください。

    7/4以来のご無沙汰である。実は、今月の歩行は思いの外調子がよく、連日、1万歩のペースで進んだ。それを良いことに、日中、夜間を問わず、歩き回っていたら、ついにダウン。そのまま寝込んで、1週間ほど臥せる始末と相成った。以降、休養と暑中休暇をかねて、本日、ようやく出社に及んだ次第である。

    なお、その間、長年のガラケイ携帯電話をスマホ(アイホン)に切り替えたが、いまだ3日。まるで勝手が違い、重要な連絡も受けねばならず、それが出来るかと思うと、ただ途方に暮れている。メールや電話ですら、かけたり、掛かるのも、ほぼパニック状態の中、うろたえている様は何とも情けない限りだ。同時に、こんな余計なことは、やめときゃよかったとの、深い後悔の念に押しつぶされているが、命より大事な大金をはたいて始めたことゆえ、今さら後にも引けない。

    かくなる上は、不退転の覚悟をもってこの難所を乗り越え、必ずや有終の美を飾って見せようぞ、とこれまた根拠のない見込みと希望をお示しして、これまでの長い休載のご挨拶に替えさせていただこう。

    本日は、前回の文章を、是非にも完結したいとの意気込みで出社したのだが、スマホ対応の知恵熱にくわえ、病み上がりのゆえか、早くも疲労を覚える。よって、宿題は次回に譲りたい(以下次回)。

     

  • 7月1日・金曜日。晴れ。6月末の一週間連続の猛暑日は、記録的な事らしい。先月だったか、インドでは酷暑による死者が出たとここでも報告したが、異常である。しかもこれは、今年に限ったことではなく、年々厳しくなるはずで、早急に地球規模での温暖化を阻止しなければ、生態系は急速にくずれて、弱い生物から順次死滅するだろう。それはさながら、天から火が降るとの「ヨハネの黙示録」のようではないか。

    7月4日・月曜日。曇り。本日、蒸し風呂のごとし。迫りくる台風の影響だと、予報士は言う。

    丸腰のウクライナ市民に対して、「不眠になった多数の兵士が襲い掛かるが、彼らにはどんなルールも当てはまらない」。こうしたロシア兵の心理状況には、人権教育の欠如とは別の、何か特有のものがありそうなのである。

    かつて、露軍の心理学者として勤務したことのある一ジャーナリストは報告している。すでに言ったように、部隊内での部下に対する暴力は言うまでも無く、それとは別に、兵士は自らが守るべきロシア市民に対する虐待もまた日常的であったと言う。例えばこうだ。列車で、部隊と共に長距離を移動した折に、車内の老婦人が携えていた鶏料理を、兵が奪い取るさまを目の当たりにしたのであった。「一事が万事」の言葉のとおり、この一事はたしかに露軍のある側面を如実に、示すものであるだろう。

    露軍がウクライナから撤退した後は、その一帯には目ぼしいものは何も残らないとは、外信のしばしば伝えるところである。最近では、ウクライナに備蓄された2千トンもの小麦が略奪され、ロシア産として輸出されたと聞く。これらの情報には、ウクライナによる反ロシア宣伝の一方的な報道に過ぎないものも含まれているのかも知れない。

    しかし、ロシアから発せられる情報は、露軍の犠牲者数やその戦争犯罪的な残虐を含めて、すべて「西側の謀略」と否定し、多方面から伝えられる情報と比べてあまりに齟齬が大きすぎる。この一点からも、ロシアの主張には信頼すべきものは何もない、というよりもむしろ、平然と巨大な嘘を吐き続けられる国家だとの印象を、世界が持っても不思議ではあるまい。これらは、ヒトラー政権が取った戦術とまさに瓜二つである(テイラー前掲書『一九三九年』を参照されたい)。

    ともあれ、露軍、そしてこれを指揮するプーチン政権の行動原理は、誰に対してであれ、強ければ何をしても構わない、と言うようなものに見える。ロシア政府や軍に対する批判や抵抗は、すべて暴力で黙らせる。最強の米国や世界に対しても恐れる素振りはない。「核の使用」を持ち出せば、世界は黙ると見ているからであろう。軍の弱者に対する暴力的な行動は、歴史的に染みついた軍の体質的な「特徴」なのかも知れないが、同時に露軍が民主主義国家の軍隊ではなく、プーチンという独裁的な大統領の下に置かれているという政治体制が、その特徴を一層強めたと見られないであろうか。とすればそれらは、そうした政治体制を許したロシア社会が生み出したことではないのか。では、現在のロシアとはいかなる国家なのであろう。菊池務氏(青山学院名誉教授)によれば、露国は「近代国家」以前のロシア「帝国」なのである(朝日新聞6/4/土)(以下次回)。

     

  • 6月22日・水曜日。曇り。本日は6/17の話に戻る。

    6月24日・金曜日。晴れ。今後、熱暑が続くとの予報に、すでに滅入る。前回の文章にやや手を入れた。なお、先に紹介した『一九三九 誰も望まなかった戦争』、―ようやく7割方進み、今月中には読了したい―、本書は、現在、ロシア政府がウクライナ侵攻にとっている国内プロパガンダ、ウクライナ周辺域での内乱工作、国外への言い訳、外交攻勢などその全てを先取りしたかのようで、まるでプーチンの教科書かと思うほどである。実に面白い。

     

    世界を震撼させた、ウクライナ市民に対する露軍の無慈悲な凶行、破壊行動は、一部は政府と軍とが一体となった洗脳的なプロパガンダの結果であり、そうした負の教育の成果なのだと言えそうである。これはまた、一面的な情報を一方的に、大量に流しながら、それをチェックする対抗機関を許さない、ロシア社会に根ざす政治・社会的な構造問題の一つである。そうした行為は犯罪であるとの教育も無ければ、それを犯罪だと検証する独立の機関が不在であるという指摘が、それを裏付ける。先のニューヨークタイムズの記事を読む限り、そうした結論にならざるを得ない。

    だが問題は、そのように言って片付けられるような簡単な話ではなさそうであり、この点が深刻である。社会の仕組みが悪ければ、それを正せばよいはずで、ここには取るべき対策があるという意味で救いがあろう。だが、事はそうはならないらしい。振り返ってみれば、露軍が行う、敵兵にではなく、丸腰の市民への残虐は、ウクライナ侵攻で初めて出てきた分けではない。すでにチェチェン紛争(1999-2000)やアサド政権を支援したシリア内戦(2011-現在に至る)に介入した露軍の市民攻撃は、「何ともおぞましい理屈を弄ぶ残忍な実践的な戦闘方法」にのっとり、無差別な空爆、病院破壊、至近距離からの銃殺やら強姦がなされ、それらはさながら、現在のウクライナで見られている獰猛な攻撃の「先ぶれ」(prelude)であった。「ある程度、市民に対する露軍の暴虐は欠陥(bug)ではなく、一つの特徴(feature)なのである」と、記事は書く(以下次回)。