2022年8月10,15日

8月10日・水曜日。猛暑続く。ただし、東北地方は豪雨の惨劇に遭う。本日まで、手紙は休載としたが、別途の私事に対処するためであった。
8月15日・月曜日。晴れ。かなり蒸し暑いが、一週間前の炎暑とはやや違う。ただし、不快には変わりなし。本日、77年目の終戦記念日。ウクライナを目の当たりにして、不戦の誓いはむなしい。

8/1からの継承。前回は、プーチンの「恥辱の帝国」がどのように出現し、その兵士たちの凶暴な振る舞いがなぜそうなるかを、彼らの心理にさかのぼって述べてみた。それにしても、彼ら兵士の人間の域を超えた残虐な話は、その後も引きも切らない。ブチャでのことである。「シドレンコ夫妻は、「ロシア兵との対話も可能だ」と信じて避難せず、しかし殺された。両家の6人の遺体は手足を切断され、焼かれ空き地に放置された」(朝日新聞7/24・日。国末憲人「日曜に想う」)。なぜここまで、と目を覆う凶行だが、それほどの憎悪なのか、あるいは娯楽なのか理解を越えた話である。
どの道、ここには命に対する畏怖と言うものは、まるで無い。人はこれほどに苛烈、酷薄になりうることを教えるが、それが戦場と言う特別な事情の故なのか、ロシア民族の歴史的遺伝の結果であるのか、筆者には何とも言えない。ただ、ロシア社会の現在は、度を越した、途方もなく歪んだ社会であるらしいとは、言っておきたい。
日々、ウクライナはどれだけの破壊と惨劇に苦しんでいるかを、世界が目の当たりにしているにもかかわらず、ロシアは公然と否定し、民間人への攻撃はないと言い切る。それを、ロシア国民の多くは信じているかに見えるのである。情報と映像が瞬時に世界に伝播されるこの時代にである。であれば、自国の犯している戦争犯罪的な惨状に対するロシア国民の罪障意識が希薄になるのも当然であろう。5月になされた、国民の道義的責任を問う世論調査では、「まったくない 58%、ある程度ある 25%、完全にある 11%」であった。これは朝日新聞朝刊の「ロシア 形だけ民主主義」(7/4)の記事からである。
ロシアはソ連邦崩壊後、憲法上、三権分立に基づき、選挙で選ばれた下院議員は立法権を担う議院内閣制をとり、この意味では民主主義国家となった。しかし、プーチンは20年余をかけて、その根幹部分を形骸化させてしまった。言論の全般的な規制から反プーチン政治勢力の弾圧や拘束、地方自治の破壊と統制、ロシア民族中心主義的な価値観や宗教・教育の普及等々である。中でも、事実上の生涯大統領制の確立、そして「国際裁判所などの決定に従う必要はないとの規定」を設けた憲法改正は、その仕上げとも言えそうである。その結果が、現在世界が見ているように、民主主義国家になりそこなった異形なロシア社会の出現となったのであろうか。
前回あげた菊池氏は言っている。「中国やロシアに領土紛争が多いのも」、両国には「国境の観念が薄いから」である。両国はいずれも、近隣諸国に対して、確定された領土を持つ主権国家として尊重する感覚を持たない「帝国」だからなのだ。自国民の人権すらないがしろにする国であれば、これも当然であろう。かくてロシアは、結局、近代国家に転換する道を踏み外してしまったのである。
流石に、インターネット、情報機器に精通した若者たちは、こうした自国の理不尽な侵略行為を恥じ、同時に世界から孤立する露国では、将来のキャリアが無いと見切りをつけての国外脱出が止まらないとは、しばしば外信の伝えるところである。それがロシア社会にもたらす将来的な影響、損失は計り知れないものがあろうことを、プーチン政権は分かっているのだろうか(なお、朝日新聞5/1・日・「「仕事ない」ロシア去るIT人材」の記事参照)(この項、終わり)。


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