• 7月23日水曜日・大暑

    明後日、私は山形県天童市に出かける。大学からの誘いで、一つ話をするためである。題して、「将棋と私」。その内容は、つぎのレジメ?から察していただきたい。本日はこのレジメ作りに精魂を使い果たしたため、これまで。

    将棋と私
    於天童市(平成26年7月26日土曜日)
    明治大学名誉教授
    金子光男

    1将棋との出会い

    2将棋に学ぶ

    3仕事に活きた将棋

    4趣味を持つことの余禄

    5コンピュータと人間

    結び

    参考書
    大内延『将棋歳時記』
    島朗『島研ノート心の鍛え方』
    升田幸三『王手』
    松本博文『ルポ電王戦―-人間VS. コンピュータの真実』
    森内俊之『覆す力』
    米長邦男『われ敗れたり』

  • 7月16日・水曜日・梅雨明け近し・熱暑
    この話も4話目になる。今日でけりをつけよう。飽きても来たし。ともかく、私の言いたいことは、こうだ。教師として採用されたその後のキャリアが決定的である。それが彼の人格を固定する。教師を目指す者は、恐らく、中高生時代にはクラスの優等生か、ともあれ勉強ができる。彼らは、だから、おおむね真面目な生徒たちであったであろう。正義感も強い。これは、褒められこそすれ、非難されることでは断じてない。大学では、将来に対する夢と希望にみち、なりたい教科の勉学に励む。他の学生たちが遊びほうけている中、所定の単位の取得に加えて、教育課程の単位もとらねばならぬ。これは傍目には、中々、大変なことのようにみえる。私のように、教職を目指し、将棋にウツツヲ抜かして、あえなく挫折した者からすれば、これは、モウ、神業に近い。しかし、彼らからすれば、それはそれ、中高生時代から身についた克己心のゆえにさしたることではないのかもしれない。

    ここまで書いて、フト、気付いた。私は、難なく教師なれるような、そんな能力に深い憧れ、イヤ、嫉妬心があるのだろう。だから、いつの間にやら、意地の悪い物言いになってくる。ゴメン、と一言あやまって、続けよう。なにしろ、今日中に終わりたいのだから。

    教師を目指す多くの人たちは、その初めから、ある規範の中に身をおくことの出来る真面目な性格を持つ。そんな彼らが、卒業とともに目出たく教師に採用される。そのとき、彼らは齢23,4歳。以来、何事もなく職を全うすれば、教育界で40年ほどを過ごすわけだ。事は、ここから始まる。23,4歳の右も左も分からん、ほんの半人前がイキナリ人様の面前に立ち指導者として立つ。子を預ける親たちは、まずは自分の子供の幸せ、安寧のためを願って、丁重に接し、できるだけ彼の意を汲み、事を荒立てまいと心掛ける。生徒たちも、相手は一応先生なのだから、それなりエライのだろうし、自分を教え、導いてくれる方なのだから、その言葉に従いましょう。マッ、こうなるのが、普通であろう。

    こんな若さで、下からも上からも頭を下げられ、そこそこ己が意をとうせる場に身をおいたら、彼、彼女らはどんなになろうか?さらに悪いことには、彼らは採点という名の不可侵の権限―-これは中高の教師の場合かなりのものだ―すら持つ。社会的評価は決して悪くはない。彼らの自負心は大いに満たされることだろう。こんな状況の中で、彼らは何時、誰によって自らの至らなさを学び、マットウな人間へと立ち戻れるのだろうか。上司や同僚の言葉や指導なるものは、ほぼ無力であろう。ハッキリと申し上げる。これはもう夜郎自大(自分の力量を知らずに威張り散らすこと・『日本国語大辞典』より)そのものだ。根が真面目なだけに、こんな環境の中で40年ほどを過ごせば、己が信ずるところの信念は愈愈かたく、揺ぎ無きものとなるにちがいない。

    先ごろ私は『絶望の裁判所』(瀬古比呂志)を読んだが、同書にも全く同様の記述があって驚かされる。わが国の裁判官は、エリイトコオスを歩み、法曹界以外の経験を知らず、きわめて狭い世界の中に身をおかざるをえない。ここに彼らの唯我独尊の悪習は覆いがたく、ことに目下に対する態度は不遜である。反面、将来の出世を思えば、国家の意を忖度し、その判決はしばしば偏向的となる。そこに著者は絶望をみたのである。

    いずれにせよ、教育界であれ、法曹界であれ、こうした閉ざされた、他からの批判を受けつけない環境からは、多様な物の見方、他者への共感力が育つことはあるまい。そんな処から発せられる言葉は、つねに偏狭で、ふくらみもなく、相手を傷つける武器にはなりえても、ひとを生まれ変わらせるような力強いものになろうはずもない(終わり)。.

  • 7月9日・水曜日・雨のち曇り。台風による沖縄の惨害を思う。
    倫理学の課題は、人と人の関りのあり方、その規範、規則とはいかなるものかを検討、考究することにある、といはれる。こうして、人の振る舞い、挙動挙措、さらには生き方までもが示される。著しくその規範から外れたものは、ウマクいけば豪傑、偉人になりうるが、たいていは、ヘンジン扱いならまだしも、バアカと相手にされないか、アタマがチョッと?となる。教育現場での師弟関係は、普通、生徒への愛情と師への尊敬が基礎にあるべきなのであろう。私がここで、わざわざ『べき』と言ったことに、ご注意あれ。それが普通ではないからだ。ともあれ、そのような関係が築かれていれば、教師の厳しい指導も意図のとうりに受け止められる。そこでは、生徒自信が教師に謝し、身を改めるに手間は要らない。だが、生徒の目はゴマカセナイ。「私には、こうで。あのひとには、アアだった。」

    そんな追及を受けた教師こそ哀れ。これまでの言動の全てが明るみにだされ、矛盾を突かれ、その説明は支離滅裂となり、ついに陥落。あげくは、ダマレ!、の一喝のほかなくなるのだ。素直に謝ればイイモノヲ。あるいは、こうだ。生徒の不備、失敗、過誤を、これまた鬼の首を取ったごとく、「ヤッタ」と心に快哉を叫んで己が秘密とする。かくてそれを針小棒大にまで押し広げ、これをネタに彼を呼び出し、事情聴取がはじまる。それはさながら、わが年来の仇敵をようようの態で打ちとめるが思いに満ち、怪しげな喜びすら胸に秘め、勇躍、欣然、だがその顔貌には限りない憂愁を漂わせて彼・彼女に襲い掛かるというしだい。そのさまは猫が仕留めた獲物をネブルが様に時間をかけ、執拗だ。そのくせ、普段は時間がない、忙しいが口癖の御仁の指導だ。私は、少々、戯画が過ぎただろうか。だが、明瞭なイメイジを結ぶためには、このくらいがちょうど良い。しかし、当たらずとも遠からずのこのような絵図が描かれ、恐らくある人々からは、「ウン、そうだ」とも言われかねない、教育の現場がそんな事態にあるとしたら、それはどうしてだろう。これは、次回にて!と、少し、モッタイヲつける(前回の文章を、チョイと直した)。

  • 前回は、教師の資質の話であった。私の教師像とは、概ね真面目、義務感は強く、それだけに他者に対しては厳しい。そんなところだ。これは決して非難されるばかりのものでもなかろう。いな、むしろ褒められてしかるべき長所である。生徒には、時に厳しく接し、彼のうちにある人間的な弱さ、あるいは不正に気付かせ、これを矯正する事は、教科の指導以上に大切だ。ただ、ここにはある抑制と相手に対する配慮がなければなるまい。

    ここで思い出すのは道元のことである。彼は修行を怠けている弟子を、拳も欠けナンほどに打ち据え「只管打坐」(しかんたざ)を教え諭した。『正法眼蔵随聞記』での彼の指導は苛烈を極める。今、こんなことを実践しようものなら、それこそ暴力教師としての懲戒処分は免れまい。しかし、道元には、何としても弟子には真の悟りを開かせたい、という止むにやまれぬ祈りがあった。地獄に落としてはならぬという、心底からの愛があった。だから、彼の打擲は涙にまみれていたに違いない。ここには、現在の教育現場にはない、弟子と向き合う真剣さ、命がけの直向さがあるようにおもうが、どうか。そして、私の読んだ岩波文庫版では、和辻哲郎が解説を付していたが、それは西洋哲学を基礎に、だがわが国の宗教や文化をも素養として独自の倫理学を打ち立てた和辻の教育観の故であったのかもしれない。

    さきに私は、相手に対する配慮と抑制、と言った。道元に打たれる弟子には、師の思いと愛情とが痛いほど分かっていた。むしろ、かかる打擲をさせる己が不明、不甲斐なさを師に詫び、かつは涙したに違いない。これをも、ひとは暴力と言うのであろうか。いや、そうではあるまい。暴力とは、これを振るうものがわれを忘れ、怒りに任せ、ただ打擲する、あるいは何かの復讐として相手を殴る。これではないか。ここでは互いの信頼は消滅し、ただ憎しみのみが募るばかりだ。そして、それはたんに腕力だけのことではない。言葉であれ、態度であれ、おなじことだ。しかも、この種の暴力は、とくに教育の場でのそれは、生徒への指導、躾に名を借りてなされるだけに、しばしば巧妙かつ陰湿な形になりかねない。これを受ける被害者の精神的な苦痛、打撃は計り知れない。なんかエライ話しになってきた。道元ナンゾをだしたから、こんなことになったのだろう。疲れても来たし、今日も十分働いたので(?)、この辺にしよう。あとは次回につづく。7月2日・水曜日・久しぶりの晴れ。暑し。

  • 6月25日・水曜日・ゲリラ雨?
    チョイと、最近はこのパソコン遊びも中々面白くなってきたのか、いくらか積極的に向き合える気がする。何事であれ、進歩がなけりゃあ、その気にもならんし、第一興味が湧かん。教育とは、人をそのように導いてやる、そんな営みにみえる。新しい世界、未知の領域への一歩は、誰でも不安と恐れ、自分にそんなことが出来るのか、そんな気分に襲われるものだ。そんなとき、優れた指導者は、彼を励まし事の面白さを見せてやり、彼のどんなに稚拙な一歩でも、そのことをこれから広がる大きな世界への入り口として、ともに喜ぶ感受性があるのだろう。そんな指導者に恵まれた初心者こそ幸いなり。私の敬愛するファジイ理論の大家、向殿政男氏(明治大学名誉教授)が言ったことが思い出される。中学生のころ、数学の教師に「お前は数学がよくできる」と言われた一言に、エラク感激して、この先生の数学だけは頑張ろう、と意気に感じ、見事、本当に出来るようになったという。

    自分のことはさておき――もっとも自分のことを言っていたら、何も語れない――教師とはこうありたい。そして、誰でも教師を目指すものは、そのような資質を持ち、すんなりとソウナレルとおもいたい。が、私が見てきた先生方のなかには、エッ!、それはチョット?と思わざるを得ないような、何かどこか勘違いをなされているような御仁も少なくないようだ。たとえばこうだ。親御さんを交えた面談の折、その親に己が威厳を見せつけようというのか、ムヤミニ高圧的、居丈高に振る舞い、滔々とご高説を垂れ、はては生徒を泣かせて胸を張ったそうだ?嘘かまことか定かならぬところだが、彼を知る者はミンナ、彼ならソンなことをやりそうだ、というくらいの信憑性はある。今日は大分ハカが行った。と、威張りたいような気分になると同時に、もう面倒くさくなったので、本日のところはこれまで(次回に続く)。