• 10月3日・金曜日・晴暑し

    韓国は1950年から53年にかけた朝鮮戦争の破壊後の数十年間を、米軍に深く依存した貧しい独裁政権のさなかにあった。歴史家の分析に依れば、韓国政府は、こうした女性たちを何千という駐留米兵たちにとって不可欠な存在だとみなしていた。彼女たちのあるものは自らの意思で基地村にやってきたが、他の人たちはヒモに連れて来られたのである。

    1962年、政府はこの基地村を公娼の住まう「特別旅行特区」として公認した。この年、ほぼ2万人の売春婦たちが登録され、100の基地村で働き、それ以上が無登録であった。娼婦になった女性たちにはそれ以外の選択肢はなかった。だが、この職業は彼女たちを賎民に貶め、その他の地区で暮らし、働くことを不可能にしてしまった。こう指摘するのは、Park Kyung-sooである。同氏は米軍による対韓国犯罪容疑の告発および監視団体、すなわち、対韓国市民犯罪撲滅国民キャンペーン書記長である。

    かつての基地村の女性たちは、韓国中に生存している。Anjeong-rin の女性たちは現在6、7、80代を迎えて、そのほとんどが寄る辺なく、狭い住居に住み、毎月30万から40万ウォン(300~400ドル)の政府年金から食費、家賃を支払うなど苦労しながら暮らしているのである。彼女らを支援する活動家たちは言う。彼女たちの多くは、今、自分たちの住居を失う危機にある。

    「私はネ、心配のあまり眠れないのョ」と基地村の一女性は言った。彼女は昔を恥じて、ただその名前しか明かそうとしなかった。75歳になる彼女の地主は、この一月以内に退去するよう迫り、だから彼女はほぼ毎日引っ越し先を探しているのである。

    基地村の女性たちの窮状は、ワシントン・ソウルが2004年に、Yongsan米軍基地の不規則な拡大により、首都から70km(45マイル)離れたPyeongtaekへの移転に合意したことにはじまる。なお、当基地は富裕なソウルの中心地に250ヘクタール(620エーカー)を占める土地でもある。移転完了は当初2012年を設定していたが、現在は暫定的に2016年となった。

    この移転の終了時には、Humphreysキャンプは3倍の規模となり、収容人数は兵士、家族、文官からなる36000人になるものと見込まれる。だから、投資家たちはこのPyeongtaek周辺地が米軍家族用の家屋他、これまでにないほどの人々、物品の流れに応じられるような商業地になると予想した。(以下次回・体調不良に加え、新しいワザの習得による疲労のため)。

  • 9月24日・水曜日・曇りのち雨、いよいよ吾は雨男にナリしか。

    過日(2014・9・8・月)、ジャパンタイムズに以下の記事を読んだ。当記事がこの種の問題に関心をもつ方の参考になればと、拙訳を試みた。なお、記事はJoyce Leeなる記者の手になり、The Japan TimesにS.Korea ex-prostitutes face eviction として1及び6面に分載されている(文中の人名、地名は英語表記のままとし、改行は記事のとおりではない。)

    韓国元娼婦たち、退去に直面

    地価上昇のおり、米軍基地拡大のため、老婦人たち、退去を迫られるも、立ち去り不能

    Joyce Lee
    Pyeongtaek South Korea AP
    Pyeongtaek米軍駐屯基地裏門に接する、半ダースばかりの寂れたナイトクラブがたむろする不潔な地区の隙間のような土地に、70歳を越えた韓国婦人たちは住んでいる。正門近くの不動産事務所の掲げたケバケバしいポスターには、現在、彼女たちの住む一間限りのバラックに替わって、やがては夢のような家屋の建ち並ぶ様が描かれている。その昔、彼女たちはハンフリー基地近辺の「基地村」(Camptown)に住まう米兵達に春をひさぐ売春婦として働いていたのだが、ここに留まったのは、ほかに行く当てもなかったからである。
    現在、彼女たちは開発業者や地主たちからAnjeong-ri地区の退去を迫られている。彼らは、間もなく拡張されることになっている駐屯地付近の一等地の開発に躍起になっているからだ。「ウチの地主は、私が出て行くのを望んでいるけど、足が悪くてネー。歩けないのヨ。それに、韓国の土地ヮさー、高すぎてネ」と、元売春婦のCho Myung-ja(75歳)さんは言う。彼女は、毎月、自宅宛に裁判所からの退去通知を受け取るものの、足の苦痛のため、この5年間、ほとんど自宅を出ることはなかった。「私はネ、もう、窒息しそうなノ」。
    病気、貧困、汚名に苦しみながら、この女性たちは社会からも、行政からも、支援らしいものはほとんど受けてはいない。彼女たちの運命は、第二次世界大戦中、日本軍によって性奴隷を強いられた韓国女性たちのそれに比べると、その落差は顕著である。
    彼女ら「慰安婦」たちは、特別の法律によって政府支援金をうけられる。また、多くの人々が、毎週のように、日本大使館への抗議集会に集まり、彼女たちのために日本は慰謝料を払い、謝罪するよう求めてもくれている。他方で、この基地の女性たちは、生活保護を受けてはいるが、〔慰安婦基金—金子挿入〕に類した特別基金のための法律は存在しない、とは2人のPyeongtaek市職員の言葉である。なお、彼らは公務員規程により、名前を名乗ることを拒んだ。韓国民の多くは、基地周辺のこうした女性たちについてまったく知らない。(以下次回)

  • 9月17日・水曜日・本日も曇り(以下は、過日読んだ書籍への礼状をかねた感想である)

    前略、ご無沙汰しております。あの長く、暑い夏が急転し、一気に秋の気配。その後、お変わりございませんか。小生、この4月に退職してより気ままな、と言っても私どもの仕事は、普通の勤め人とは違い、はるかに勝手な生活が許され、それだけが採り得のようなものでしたから、現在もその延長のようにして、放恣で自堕落にしております。要するに、マア、有りていに言えば、小生、特段の病気もせず、日々をやり過ごしている次第です。

    そんなことで、4月以来、書棚に眠った本を手当たり次第、と言えば威勢が良さそうですが、実はそんなものではなく、易しければ2~3日に1冊、難しければ10日ほどをかけ、読んでは次にとやっております。そしてこの度、先生から頂戴した『日独政治外交史研究』(河出書房新社1996年3月刊行)にいたりました。御著は、私がこの世にある間に、是非、読まねばと思いつつ、多忙にかまけて、今日まで延び延びになっておりました。しかし何故か、最近の我が関心は明治以降の歴史にあり、そんなことも御著に向かった一因でもありました。

    まず、御著は、一体、ナンと言う本でしょう。1頁に通常の書物の2~3頁分の文章が詰まるかと思える程に(あまりの事に、1600字と数えてしまいました)活字は小さく、読めどもよめども次に進まず、注記はさらにポイントを落とした小文字の英独日の文献に圧倒され、かくて老眼鏡の小生には、それだけでも大変な難行の日々。その上、時に我が脳髄ではとても太刀打ちできない内容に、それはもう消耗の極み、優に12日間を要したものです。だから、1日でも早くこの苦行から解放されることだけを願って、しばし最終頁を眺めては、2割読んだ、6割済んだとそれのみ思う読書でした。にも拘らず、モウ止めた、と本書を放り出そうなどとは一瞬たりとて思わず、最後まで辿りつけたのは、御著の持つ力のゆえでありました。

    こんな無内容なことばかりを綴って、終いにしては申し訳ありません。以下、内容について、小生が理解し、かつ興味を惹かれた論点を摘記し、ほぼ20年前に頂戴した本書への御礼にかえさせて頂きましょう。私には本書の第1部が特に鮮烈でした。「政軍関係」すなわち政治と軍部の2大権力の角逐、衝突、妥協という視点から、外交問題を把捉するとの問題関心に惹きつけられました。主として、ハンチントンとヴェーラーに依りながら、考察の理論的枠組みあるいは基礎付けをなされた後、ドイツ第二帝政期の政軍関係が具体的に展開されます。予めお断りしておきますが、軍のプロフェショナリズムの確立が軍務の意識化とそれゆえの政治への介入を免れさせるとするハンチントンの理論に対するヴェーラーの批判、つまり、そのプロフェショナリズムのゆえに軍が政治を呑み込み、ついには政治を引きづり回す、そうした事態のあり得る事をヴェーラーはモルトケの内に見て取った、とハンチントンを批判するようですが、この間の両者の理論的継承関係については、私はほとんど理解しえておらず、ここでは割愛します。

    それにしても、モルトケをはじめとする軍関係とビスマルクとの軋轢は圧巻です。軍はしきりに相手国の準備の整わぬうちに叩くという意味での「予防戦争」を画策しますが、ビスマルクは国家の軍事予算、装備、戦略、兵員、要するに統帥上の自由度を出来るだけ国会から確保しようとして、参謀本部の「予防戦争」を放置し、あるいは泳がせ、それを政治的、政策的に利用することはあっても、その実行に踏み込むことは、断じて許しませんでした。ここでは、見事なまでの政治による軍の抑制が果たされ、普仏戦争以後のヨーロッパにおけるドイツの平和を外交的に確保したのでした。

    こうしたビスマルクの外交、内政を含めた辣腕とも言うべき統治能力の意味は、彼の退位以後、一挙にその重要性に気付かされます。ビスマルク後の宰相たちは、必ずしも無能ではなかったベートマンを含めて、次第に参謀本部に政治力において劣り、帷幄上奏権を奪われ、ついに「予防戦争」を外交手段の一つとして利用するどころか、本気でその実行に移ろうとするにいたります。ドイツは対仏、対露と同時に干戈を交えることも厭わぬ二正面作戦すら視野に入ってまいります。かかる軍、参謀本部の前のめりの姿勢は、シュリーフェン・プランで知られる、机上における軍事作戦の科学化、精緻化があったようですが、他方で特に、ロシアのドイツへの侵略意図および攻撃力の過大評価が決定的でありました。事実は、ロシアにはそんな意思は皆無であったと言うのに。

    一方の戦略意思が他方のそれに反応しないはずはありえません。仏露は民族的にも歴史的にも、それほど親近性があろう筈もないのに、接近し始め、こうしてドイツとの緊張は次第に高まります。また、英に対するドイツの見方は、どうやら片思いに近く、英国は中欧における巨大帝国の存在を許してはくれませんでした。ここではまた、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世についても一言すべきやも知れません。彼は「艦隊政策」を推進するも、その頓挫に際して、今度は陸軍増強に走る。この事態は、第二帝政期の統帥権の問題でもあったのでしょうか。要するに、皇帝は政治的にも、軍事的にも素人でありながら、最高権力者として事柄に介入し、全てを混乱させたのでしょう。常づね、ヴェーバーが彼のデイレツタンテイズムを痛罵していたのが思いだされます。ついに、ドイツでは、一元的で首尾一貫した外交政策の展開は不可能となりました。

    私がここで、特にこれを言うのは、現在の日中外交関係を憂慮するからです。政府、そして社会は、中国海軍力の増強、尖閣諸島はじめ南・東シナ海でのプレゼンスに恐怖し、それにつれてわが国の軍事強化に躍起になってきております。靖国にみられる国家の右傾化、あるいは特定秘密保護法、憲法解釈問題などは、ほんの10年前でも想定できない事態でした。ここでの「予防戦争」観は、現政府にとって、極東の平和安定のための一つの政策手段なのでしょうか。それならば、大したものです。ビスマルクなみの手腕と言ってよいでしょう。しかし、私にはなにやら「戦争火遊び」に見えなくもありません。政治が軍を支配している積りが、いつかその関係が逆転し、先生ご指摘のルーデンドルフが立てた理論のように、政治の軍への奉仕、服従が生じないとも限りません。現政府にそれほどの狂気は在りますまいが、しかし世界に冠たる帝国日本の復活を夢見ることがなければと、ただ祈るばかりです。

    御著の第一部はそんな危惧をかきたてる叙述でした。本書の御執筆中には、まさか現在の日中関係を、先生は想定されていたわけではないと思いますが、測深の錘が深く届いた歴史研究には、時代に即した読みと解釈を許す可能性を秘めている、と尽くづく教えられます。御著には、まだ触れるべき興味深い論点がございます。例えば、明治憲法下での統帥権の導入とその論理構造やら、ソヴィエトが国連憲章における「敵国条項」を盾にした西独政府との交渉過程が想起されます。ここでは特に、祖国統一を目指す当時のドイツの懊悩、恐怖を手に取るように読まされましたが、ともあれこんなにタフな交渉相手を前に、ドイツ政府、国民はシタタカニ鍛えられ、ついに統一を獲得したのでした。この事例から、私は痛切に思います。我々は、今後とも中国、ロシアといったナントも付き合いにくい隣人たちと様々な交渉に臨まなければなりませんが、戦後のドイツ人のごとく粘り強く、また多方面からのアプローチ、発想をもって接しなければならぬ、間違っても、暴発し「予防戦争」まがいの手段に訴えることは出来ない、と。我々日本人には、こんな辛抱はナントも苦手なことではありますが。なにしろ潔い散り際を良しとする美学の国なのですから。

    御著はたしか、ほぼ20年ほど前、明治大学連合駿台会学術賞第二回の受賞作品であったと記憶しております。初回は尾崎先生でした。政経学部が2年連続で受賞作を出したことに、わたしも何かしら誇らしい気持ちになったことを、覚えております。その時、小生にも貴重なる一冊をご恵贈頂きながら、本日までの無音をお詫びいたします。もっとも、当時、本書に挑んだとしても、恐らく中途で挫折していたと思います。こうして最後の頁までたどり着けたのも、その間、小生も少しは書を読み、粘り強くなれたお陰かと、いやそうではない、退職後、有り余る時間を与えられての事かも知れぬ、してみると退職も満更でもないナ、と怪しげな事を思いつつ、一先ずここで閣筆させていただきます。

    いずれまた、再会の機会もあろうかと存じます。どうぞ、息災にてお過ごしください。

  • 9月10日・水曜日・連日の曇り。台風の接近を伝える。ふたたびの災害を憂う。

    今回は、前回の問題にチョイト補足し、これにケリをつけることにしよう。題して、オマケの補足。その取っ掛かりは、「需要は、いったい何処にあるというのか?」である。途上国ならイザ知らず、われわれの生活に、現在、不足している真に必要なモノとはなにか。これは生活をどう考えるか、という人生観にも繋がる大問題だが、普通は「贅沢を言えばキリないが、まずは、健康に恵まれ、衣食住に不都合がなければ、それでよし。」即ち、「足るを知る」、こんな気持ちで、われわれは日々の仕事に精出すのではないか。そして、たまには、美味いモンをくい、面白い物を見、チョイトした贅沢が味わえればオンの字だ。

    こんな生活感がふつう一般の人々のものだと思うが、どうだろう。これを一つの基準とすれば、バブル到来前のわが国の人々の生活は、7割前後は満たされていたのではないか。バブルが弾けた現在の問題は、衣食住にも事欠く、「ネットカフェ難民」とも称する人々の生活であり、ここに象徴的にみられる「格差問題」の存在とその拡大である。その原因は企業側の雇用の縮小によるが、そうした対策は、経済のグローバル化の結果であることは、さきにみた。とすれば、採られるべき政策は、一度落ちたら最後まで転落せざるをえない、「滑り台社会」(湯浅誠)とも言われる社会の是正であろう。具体的には、セーフティーネットの構築である。こうして、まずは社会の安定化をはかることだ。だが、現在、政府が取ろうとしている対策は、その真逆のようにみえる。それは、経済成長を第一とし、その果実をもとに賃金アップを目指す、と言うものだ。そのために、金融緩和をはじめ各種事業税の引き下げ、その財源となる消費税率の上昇をめざす。くわえて規制緩和、経済構造改革の推進がこれにつらなる。

    だが、この政策がかりに功を奏して、利潤が上がったとして、それが賃金にまわる保証はどこにもない。現に麻生財務大臣は、全く正直に言っている。「民間の稼いだものを、政府がどう使え、と言う事は出来ない」。グローバル経済にあって、企業は稼いだ利潤を賃金に回す余裕などなく、競争に備えて内部留保するか、物言う株主にたいする対策として配当金に振り向けるほかはない。これまでの20年間の経済の歩みはそんなところではなかったか。先ごろでた経済統計によれば、直近の経済成長の期間は史上最高に属する長さであったようだが、庶民にはそんな景況感はほとんど感ぜられなかったのも、そのゆえであった。

    それでも、国内経済が良くなればまだしもである。仕事が増えれば、雇用もふえる。しかし、ここにまた、需要の問題が立ちはだかるのだ。「君に、いまホントに欲しい物はあるのか」。それはナンだ、と聴かれたら、なんと答える。新規に開発される物を見てみたまえ。生活に密着した、かって「三種の神器」と言われた洗濯機、冷蔵庫、掃除機あるいはテレビや自動車といった爆発的な需要を引き出すような製品はあるのか。それが生産されるための色々の分野の技術革新、それを支える科学体系、教育などなどの大革新がより合わさって社会や経済の発展がいき長く続いたのである。現在の商品開発は、私には、そんな40年ほど前の商品の焼き直しにしか見えない。こんな物で、わが国の経済発展をヒッパテいけるとは、到底思えない。かくて、国内経済は頭打ちとなり、だから市場を海外に求めるほかなくなる。

    景気が思うに任せなければ、どうなる。公共事業(今回のオリンピックの誘致は、その点大ヒットと言うほかない。反対に、その後の反動を思えば、それが心配になる)、金融緩和などがうたれ、結局、バブルをよんで、破綻となる。そこで金融システムの維持、改善の為に膨大な政府資金が投入されたのは、記憶に新しい。さらに大企業の救済も、雇用の安定を図るために必要だ。それらは、みな税金で賄われるが、個人の破綻は自己責任とされる、まことに慈悲に満ちた政策である。しかも、かような破綻を引き起こした責任者の結果責任がどれだけ、どう取らされたかについては、私は寡聞にして知らない。だから水野氏は言っている。「大企業には国家社会主義の対策が、個人には自由主義の政策が」と。成長戦略がとられる限り、社会はこの轍から免れられない。それどころか、こうした矛盾はその度ごとに大きく、深刻になりかねない。

    そして最後に、格差問題についても一言しておこう。これを放置することは、社会の不安定化もたらす。中産階層の崩壊は、一握りの富裕層にたいしてそれこそ大量の貧困層を対峙させる。それは両者の相互不信を醸成し、ことに下層の人々からの嫉妬や憎しみは止みがたく、激化される。また、下層階層の中では、俺はアイツよりはマシしだ、といった分断、亀裂も必然となる。これらを抑制するには、強力な治安維持装置が必要となり、警察が強大になる。それだけでも相当鬱陶しい生活を余儀なくされるが、事はそれでは済まない。つねに不安定で、嫉妬の渦巻く社会は暴力、テロの温床と化し、何か起これば、それが導火線となって、一気に暴動へと転化するのは必定だ。こんな社会は、命の問題はさておいても、いかに不経済であるかが分かるだろう。つまり、目先の利益にはならずとも、中間層の維持、拡大は、過激な思想や行動の抑制、社会の安定化に決定的に重要なのである。これに思いをいたせば、企業は派遣労働から手を引き、正規労働者の雇用にシフトすべきであろう。政府はそうした企業の努力を支援する対策をこそ、打たなければならないだろう。・・・・それにしても、今日はナンと勤勉な一日であったことか。疲れたから、これまでとする。今読み直して、もしかして次回もこの問題がつづくかもしれない。だが、相当飽きてきたから、止めるかもしれない。

  • 9月3日・水曜日・曇天・涼し。
    いまや、地球上に新市場はもはやなし。かくて、利潤獲得のチャンスを失った資本主義経済は、終焉を迎えるはずであった。だがここに、あらたな主役が登場する。誰か。金融機関だ。ただその彼は、昔どうりの彼ではない。IT装置を身にまとい、その技術を駆使し、そしてまた金融自由化の名の下に証券部門を統合し、瞬時にして、世界中にカネをバラ撒くハイパワーの勇者として現れた。他方、国内においては、証券投資やら不動産、住宅投資向けの融資を展開する。時代はITバブルにわきたち、社会は不動産景気に踊った。多くの中産階層以下の人々もこれに引き寄せられた。

    これは、1980年代に生じたわが国や合衆国の経済・社会の一齣である。あの時代、人々は、競うようにして証券、債権、不動産にカネを注ぎ込んだのではなかったか。アシタは、キット、買った以上に値上がりする、と夢見て。だが、これはどこかで見た図ではないのか。中心から周辺への物資の移動、その落差を利用してのモウケの確保、この図式の新版である。しかもここでは新たな金融工学の開発により、僅かの資金で何倍もの投資が可能になって、それだけリターンは高くなる。これが、レバレッジ、すなわち、梃子を利かせる、ということだ。しかし、潮目が変われば、それは即、ハイリスクを意味することは、ここでは言うまい。

    その結果はどうなる。必要以上にカネが出まわることを、過剰流動性と言う。だぶついたカネは石油をはじめ各種の資源物資に群がり、実需をはるかに越えた高騰をきたす。株にも向かう。これが投機だ。投機は投機を呼び。レバレッジのきいた巨大バブルとなる。同時に、金融機関は支払能力の弱い人々への貸付金支払を担保に、これを債権化して売り出す。サブプライムローンの出現である。こうしてコンピュータ上の仮想空間に巨大市場が誕生し、マネーゲームが始まった。

    バブルとは泡のことである。膨らんだアワなら、いつかはハジケル運命だ。それはともかく、ほぼ20数年前に踊った世界の好景気は、一場のバブル経済にすぎなかった。にもかかわらず、わが国や世界の指導者たちは相も変わらず、いまだに経済成長を信じて、従来と同様の政策に固執しているのは、どうしたことか。需要は、いったい何処にあるというのか?本当に、今後もこれまで同様の経済成長は可能なのか。この問題を多面的に、そして徹底的に検討すべき時点にきている、これが、最近、我が脳髄に宿った心配事なのである。また、これについての私なりの回答もない事もないが、またそれらは同時に、現在の地球レベルの環境問題にたいする手がかりにもなろう、と思わぬわけでもないが、それを論じるとなれば、いよいよアイツは誇大妄想狂に取りつかれたな、近寄らぬに越したことはない、と言われかねない。だから、これまでとする。