2014年10月3日

10月3日・金曜日・晴暑し

韓国は1950年から53年にかけた朝鮮戦争の破壊後の数十年間を、米軍に深く依存した貧しい独裁政権のさなかにあった。歴史家の分析に依れば、韓国政府は、こうした女性たちを何千という駐留米兵たちにとって不可欠な存在だとみなしていた。彼女たちのあるものは自らの意思で基地村にやってきたが、他の人たちはヒモに連れて来られたのである。

1962年、政府はこの基地村を公娼の住まう「特別旅行特区」として公認した。この年、ほぼ2万人の売春婦たちが登録され、100の基地村で働き、それ以上が無登録であった。娼婦になった女性たちにはそれ以外の選択肢はなかった。だが、この職業は彼女たちを賎民に貶め、その他の地区で暮らし、働くことを不可能にしてしまった。こう指摘するのは、Park Kyung-sooである。同氏は米軍による対韓国犯罪容疑の告発および監視団体、すなわち、対韓国市民犯罪撲滅国民キャンペーン書記長である。

かつての基地村の女性たちは、韓国中に生存している。Anjeong-rin の女性たちは現在6、7、80代を迎えて、そのほとんどが寄る辺なく、狭い住居に住み、毎月30万から40万ウォン(300~400ドル)の政府年金から食費、家賃を支払うなど苦労しながら暮らしているのである。彼女らを支援する活動家たちは言う。彼女たちの多くは、今、自分たちの住居を失う危機にある。

「私はネ、心配のあまり眠れないのョ」と基地村の一女性は言った。彼女は昔を恥じて、ただその名前しか明かそうとしなかった。75歳になる彼女の地主は、この一月以内に退去するよう迫り、だから彼女はほぼ毎日引っ越し先を探しているのである。

基地村の女性たちの窮状は、ワシントン・ソウルが2004年に、Yongsan米軍基地の不規則な拡大により、首都から70km(45マイル)離れたPyeongtaekへの移転に合意したことにはじまる。なお、当基地は富裕なソウルの中心地に250ヘクタール(620エーカー)を占める土地でもある。移転完了は当初2012年を設定していたが、現在は暫定的に2016年となった。

この移転の終了時には、Humphreysキャンプは3倍の規模となり、収容人数は兵士、家族、文官からなる36000人になるものと見込まれる。だから、投資家たちはこのPyeongtaek周辺地が米軍家族用の家屋他、これまでにないほどの人々、物品の流れに応じられるような商業地になると予想した。(以下次回・体調不良に加え、新しいワザの習得による疲労のため)。


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