2014年9月3日

9月3日・水曜日・曇天・涼し。
いまや、地球上に新市場はもはやなし。かくて、利潤獲得のチャンスを失った資本主義経済は、終焉を迎えるはずであった。だがここに、あらたな主役が登場する。誰か。金融機関だ。ただその彼は、昔どうりの彼ではない。IT装置を身にまとい、その技術を駆使し、そしてまた金融自由化の名の下に証券部門を統合し、瞬時にして、世界中にカネをバラ撒くハイパワーの勇者として現れた。他方、国内においては、証券投資やら不動産、住宅投資向けの融資を展開する。時代はITバブルにわきたち、社会は不動産景気に踊った。多くの中産階層以下の人々もこれに引き寄せられた。

これは、1980年代に生じたわが国や合衆国の経済・社会の一齣である。あの時代、人々は、競うようにして証券、債権、不動産にカネを注ぎ込んだのではなかったか。アシタは、キット、買った以上に値上がりする、と夢見て。だが、これはどこかで見た図ではないのか。中心から周辺への物資の移動、その落差を利用してのモウケの確保、この図式の新版である。しかもここでは新たな金融工学の開発により、僅かの資金で何倍もの投資が可能になって、それだけリターンは高くなる。これが、レバレッジ、すなわち、梃子を利かせる、ということだ。しかし、潮目が変われば、それは即、ハイリスクを意味することは、ここでは言うまい。

その結果はどうなる。必要以上にカネが出まわることを、過剰流動性と言う。だぶついたカネは石油をはじめ各種の資源物資に群がり、実需をはるかに越えた高騰をきたす。株にも向かう。これが投機だ。投機は投機を呼び。レバレッジのきいた巨大バブルとなる。同時に、金融機関は支払能力の弱い人々への貸付金支払を担保に、これを債権化して売り出す。サブプライムローンの出現である。こうしてコンピュータ上の仮想空間に巨大市場が誕生し、マネーゲームが始まった。

バブルとは泡のことである。膨らんだアワなら、いつかはハジケル運命だ。それはともかく、ほぼ20数年前に踊った世界の好景気は、一場のバブル経済にすぎなかった。にもかかわらず、わが国や世界の指導者たちは相も変わらず、いまだに経済成長を信じて、従来と同様の政策に固執しているのは、どうしたことか。需要は、いったい何処にあるというのか?本当に、今後もこれまで同様の経済成長は可能なのか。この問題を多面的に、そして徹底的に検討すべき時点にきている、これが、最近、我が脳髄に宿った心配事なのである。また、これについての私なりの回答もない事もないが、またそれらは同時に、現在の地球レベルの環境問題にたいする手がかりにもなろう、と思わぬわけでもないが、それを論じるとなれば、いよいよアイツは誇大妄想狂に取りつかれたな、近寄らぬに越したことはない、と言われかねない。だから、これまでとする。


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