• 4月25日・金曜日。曇り。4/25,4/28の文章は予定を変更し、下記のようになった。現在生じている世界のデタラメさに対し、筆者なりに一矢報いたい思いからである。ホープレヒト論については、次回に伸ばす。過日の報道によれば、八潮の工事はあと4~5年はかかるとあり、これもまた放置できない問題であるのは間違いない。

    大分前に(4/7)、『族長の秋』(ガルシア=マルケス)の世界がどこか現在の米政権に似たところがあると言ったが、ここで少し補足しておきたい。本書では、南米のどこかの大統領を中心に、凄まじいまでの混乱とデタラメが国全体の規模で繰り広げられているのだが、このようにしてマルケスは、歴史や文化や虚飾をそぎ落としたむき出しの国家権力の仕組みをありありと抉りだした。たとえば、こうだ。「政権を支える柱にと思って軍隊に入れ、大いに引き立ててやった男たちが、遅かれ早かれ、犬が飼い主の手を噛むようなまねをするという、彼の昔からの確信をいっそう深めさせることになった。彼はそういう連中を容赦なく抹殺し、べつの男たちを取り立てた。いちいち指さしながら、そのときどきの気まぐれで昇進させた、貴様は大尉、貴様は大佐、貴様は将軍、ほかの者は十把ひとからげ、みんな中尉でいいだろう」(167-8頁)。これはどこかトランプ政権によるマスク氏やケネディ氏の任用に重なってはいないか。所掌分野についての彼らの資格や能力がどうあれ、選挙でのトランプへの貢献によってその地位をえた。だが世界は、ただ今現在、それによって生ずるいくつかの不都合を目の当たりにしつつあるのではないか。ほどなく政権を離脱すると言われるマスク氏の場合は、その一例であろう。

    4月28日・月曜日。曇り。トランプ関税砲で世界を驚愕させたまではいいが、今や彼は国内外からの反撃を受け、とくに国内支持率の急落によって、当初の強硬な姿勢を改めざるを得なくなってきた。恐らく、彼の政策は四分五裂となって、霧消し、ほとんど旧に復するのではないか。こう言っては、後に恥をかくかもしれないが、株価はそれを折り込み始めた。

    実際、そうなるかどうかはともあれ、これだけは言える。トランプのようにいかに強力な権力者と言えども、民主主義社会においては、国民からの支持を失えば、その職を失う。それを避けようとすれば、国民の声に耳を傾けざるを得ず、こうして政策は修正され、社会の復元が図られる。これは自由な選挙を持つ民主主義の最大の長所であろうが、このことをロシア、中国の強権的国家と比較すれば、その重大さは言うまでもない。ここでは思想信条、言論、政治結社の自由は削がれ、権力への批判は即拘禁、あるいは殺害される。さらには、虚偽宣伝によって国民を欺き、国民監視、国民相互の密告制度を駆使して、どこまでも自身の権力維持を図ろうとする。権力は常に正しく、国民への謝罪はない。その結果が、先の中国でのコロナの惨禍、プーチンのウクライナ侵攻である。

    この様な国を見てみると、国家とは何かと思わざるを得ない。筆者が教えられた国家とは、国民一人一人の福利、厚生を目指し、国民を幸せにすることに尽力する、そういう組織である。そうした国造りのために、人類はギリシャ時代以来、営々と思索し、法や制度を練り上げ、現在に至る。最後に、言っておく。国民は国家に尽くす奉仕者ではない。国家のための道具ではない。その逆である。国家こそが、国民の幸福のために奉仕する存在なのである。いまだそうした完成された国家など、この世界に存在しないが、国家を成り立たせる原理は、そういうものだと、筆者は信ずる。

  • 4月14日・月曜日。晴れ。この一週間、トランプ関税砲の炸裂で、世界の株式市場は恐慌状態に陥り、多くの悲喜劇を生んだであろう。その結果のすべては、市場参加者の自己責任と言うほかないが、そうとは言えない悲劇もあった。昨日読んだニューヨークタイムズにこうある。原料を中国から輸入し、その完成品を中国に輸出する事業者は、輸出入のダブルで関税に見舞われる。特に米から輸出される完製品には、中国から125%の関税を免れず、市場競争力を失って事業の断念に追い込まれた。彼には他のルートを新たに開く余力がないからだ。イェレン前財務長官によれば、米中の経済は相互に絡み合い、もはや切断不可能な段階にあると言う。であれば、こうした中小の事業者は無視しえない数になるだろう。米国政治の今後は、中間選挙を待たずして対立と分断の坩堝と化す。その結果、米の世界に対する影響力も弱まり、今見せつけられている世界の混乱は一層激化するのではないか。これまで何とか保たれてきた世界秩序のタガが外れて、人類は途轍もない悲劇を見ようとしているのだろうか。

    4月18日・金曜日。晴れ。早やくも夏日。今後が思いやられる。4月13日、「頼れる知日派重鎮」と知られるアーミテージ氏が亡くなった。トランプ政権との交渉のさ中にある我が国にとって、大きな痛手であるに違いない。そのような人が、こんなトランプ評を漏らしている。「トランプ氏はビジネスマンではない。ビジネスマンは長期戦略をもって仕事をこなしていくが、彼には戦略などない。ただ目先の契約でもうけることしか考えていない」(朝日・4/16)。まったく同感だが、その彼を戦略家と称える識者なる人びとが、我が国でも引きも切らないのには、何とも理解しえない。

    承前。先にホープレヒトの下水道案はヴィーべをひっくり返したような構想であったと言った。その特徴は彼自ら名ずけた「放射システム」、あるいは後にジムソンが「積み木箱原理」と称した呼び名の内によく示されている。ヴィーべ案では、都市の汚水を一続きの下水道に収容し、それを最終地点にまで導いて河川放流すると言うものであった。これに対して、ホープレヒトでは、市内の下水道は放射状に市外へとのばし、汚水は市周辺域の農地にそのまま灌漑される。つまり排水は一点集中でなく、灌漑分散方式であった。ただこの下水道は、雨水、生活雑排水を取り込み、混合下水道であり、それによって屎尿汚水はかなり希釈されることを見込んでいる。ここに放射システムのイメージが、何となくお分かりいただけようか。

    そして、これが特に積木箱原理と言われるのは、ある地域の下水道は河川や台地、あるいは運河等の地勢、地形的状況を生かし、あるいはそれに応じて造られ、他の下水道系から分離・独立している。つまり各下水道系はそれぞれブロック化されているのであり、B市の下水道はその集合体から成り立つからである。

    この積木箱原理のメリットは、下水道線を短縮でき、しかも十分の自然流速が確保されるから、屎尿汚水を道内に滞留させることはない点にあろう。それは地中深く掘り進めて建設する必要を免れ、建設費の大幅な縮減が図られる。ホープレヒトはそれを簡単な図表で証明している。

    以上を、一続きの長大な下水道建設と比較すれば、その利点は一層明らかである。その場合、下水道線は深くなりがちだが、ついにはそれ以上の建設は技術的、経済的に困難になる。そこでポンプによる揚水が余儀なくされるが、それに要する建設費やランニングコストも容易ではない。実際、B市のように平坦でありながら、それなり起伏もあり、また河川、運河で深く切り込まれた地形にヴィーべ案を採用すれば、その下を潜り抜ける下水道には随所にポンプ施設の建設が必要となろう。だが、ホープレヒト案ではそれらはすべて免れるのである(以下次回)。

  • 3月31日・月曜日。花曇り。三寒四温とは言え、過日の夏日が一転し身すくむ。先週の木、金の両日、所用の後、江戸川公園、不忍池に夜桜見物と洒落てみたが、いずれも風強く、公園は三分咲き、池ではインバウンドと重なって風情も何も無し。それにしても、近年の桜花はかつての輝きとハリが失せたような趣だが、それはただ老いを彷徨うわが身の写し絵に過ぎないのだろうか。

    4月4日・金曜日。晴れ。本日、花見の最後のチャンスと思い定め、有楽町線江戸川橋にて下車。午後の日盛りに映える満開の桜を期待したが、樹々の多くは枝払いされ、花は瘦せていた。4,5年前はこんなことはなかったように思うが、これは当方の錯覚なのか、近頃はどこでも見られる光景なのだろうか。ただ、若枝に咲く花はやはり美しい。

    4月7日・月曜日。晴れ。やや薄曇り。トランプ関税砲が止まらない。世界的な大混乱はご覧の通り。これを狂気の沙汰と難じたのは、ノーベル経済学賞のクルーグマンである。こうした結果は、すでに世界中から指摘されていたが、大統領は断行し、「米国解放の日」と誇った。今後の成り行きが、偉大なアメリカをもたらすのか、米を含めた世界の大恐慌を来すのか。これはまた、正しいのはトランプの魔法か、近代経済学なのかの争いである。学問の有効性が試されている。

    いま、ガルシア=マルケス『族長の秋』(鼓 直訳・2025・新潮文庫)を読んでいる。そこで展開されるグロテスクなまでの世界の猥雑と喧噪、汚わいと悲喜劇の終わりなき連続には、辟易させられる。そして、素材も内容もまるで関係ないが、これを読み進めるうちに、いつしか現在米国から発信され、世界を巻き込んでいる暗澹たる無秩序が、何故か重なって見えてくる。

    承前。先に述べたヴィーべの考えをひっくり返したようなプランを携えて登場したのが、ホープレヒトである。彼の家族は、父がプロイセン王国の経済界の重鎮と目され、さらにはビスマルクの蔵相を務めた兄を持つほどの華麗な一族であるが、彼自身は徹底した実践の人であった。父譲りの農学への関心から、これを実践的に補充するため測量技師となり、後には水路、道路、鉄道建設技師の国家資格をも取得する。またヴィーべの助手としてロンドンやヨーロッパ先進諸都市の下水道視察に同道し、こうして都市建設事業のプランナーとしてのキャリヤを積んだ。ことを先取りして言えば、彼の構想はほぼそのまま承認され、B市は大規模な下水道建設に着手し、その成功が彼の令名を高め、後にモスクワ、東京市他にも招かれ、世界の都市の浄化対策について多くの功績を残すのである。

    ちなみに、明治政府が彼を招聘した趣旨は、帝都の議事堂他行政街区の設計であったようだが、都市環境衛生についても具申し、そこでは上水道の建設を優先させ、下水道建設は費用の面から見遅らせたようである。その背後には、当時ようやく確立してきた細菌学によって、伝染病対策は薬の開発によって抑制できるし、これは下水道建設よりはるかに安価に済むと言う経済的な事情もあった。そのためでもあろうか、東京都の下水道化は昭和30年代に至るまで待たなければならなかった。

    なお、彼の東京滞在は明治20年3/31日から同年5/14日までの1.5カ月に過ぎなかったが、その間に彼が抱いた日本人観が面白く、またほとんど知られていないと思われるので、ここに紹介しておこう。それは妻にあてた手紙の一節からである。「巨大な期待に立ち向かうことは、何たる恐怖。そんなことをするなんて、普通じゃない。ヨーロッパ風ではないね。すべて取り決めてきた上なのに、私がここ日本に一年ほど留まり、お喋りをし、下らんことをしながら、旅行にも行き、最後にヨーロッパの魔法の杖にふれたとたん、水道や下水道が完成するという、密かな希望をかなえてやる。そんなのは当然だ、と思っているらしいんだ。長い仕事を一歩ずつ進めてこそ目標に達するのだ、ということをアジア人はまだ本当に考えることが出来ないのだ。だからここでは皆が言っている。日本人は子供なんだ」。

    どうであろう。彼は往時の日本人の親切心、美意識に深い共感を示しつつも、他方、上から目線で後進アジア人を見下す、多くのヨーロッパ人と同様の見方を持っていた。だがこれはヨーロッパ人特有のものではなく、人とはこうしたものなのだろう。現に「脱亜入欧」を説いた福沢はじめ、現在の我われにも無縁ではない心根ではないか。そして今、インバウンドに沸くこの国を訪れる多くの外国人たちは、我われをどのように眺めているのだろうか。我われは少しは進歩したのであろうか(以下次回)。  

  • 3月14日・金曜日。晴れ。以下は2/21(金)からの続きである。

    3月17日・月曜日。晴れ。突風しきり。

    3月24日・月曜日。曇り。本日、開花の宣言発出。前回の文章、後半部分を大幅に加筆した。

    上下水道の建設から見た、新たな街造りとはどう言う意味であろうか。これを考えるにあたり、唐突だが、19世紀後半、ドイツの首都ベルリン市(以下B市と略記)で行われた下水道建設の事例を取り上げてみたい(以下は拙著『汚水処理の社会史』(日本評論社・2008)による)。

    往時のB市の凄まじいまでの不潔の惨状は拙著を参照いただく事にして、であれば市は、これをそのまま放置することは許されず、どうにも下水道建設の必要に追い込まれた。この問題に取り組むため、市は下水道建設のプランニングを広く社会に募る。その中から、最終的にヴィーべなる人の案が俎上に上り、同案に基づく建設の可能性が検討されることになった。彼の骨子は、先の八潮市で見たような閉鎖的な下水道体系だと言えよう。そこではB市全市を一続きに繋げた体系が描かれ、そうした汚水の全量が最終地点に集約されて、そのままB市を貫流するシュプレー川へと自然放流するというものであった。

    現在のような汚水浄化の装置やその技術を欠いた当時(1860年代)にあって、それは当然、途方もない汚臭ほかの環境問題が想定されることから、放流地点はB市圏を離れた、いまだ無住の地であるシャルロッテンブルグの下流域が選定された。

    だが、ここには克服しがたい難問がいくつか浮かび上がってきた。まず、平坦な地形のB市では、下水道内での滞留を来さないほどの自然流水を確保するために、その斜度を深くせざるを得ず、長大になるほど建設は困難になり、費用の増加は事業の継続を危うくしかねないものとなる。八潮市の場合、10mの深さであったと言うのも、こうした事情と無縁ではあるまい。

    次いで、放流地点とされた地域の社会事情がある。当プランの構想時点でも、ヴィーべは市および当地域の将来的発展を視野に入れていたとはいえ、その後の発展はその予想をはるかにこえ、彼の案を実施に移せば、シュプレー川の流量では、放流された汚水を十分希釈し無害化することなど、とても不可能であったであろう。つまり、急速に進展している市域圏の人口、経済、市域構造等の長期的な趨勢(成長及び退勢を含めた)予測など、およそ人知をこえた営みなのではないか(因みに、シャルロッテンブルグは20世紀初頭には、無住の地どころか、30万人に迫る帝国一級の都市へと成長するのである)。これを八潮市に当てはめれば、前回言ったように、当該下水道線に押し寄せる汚水流量をはじめ交通量、建設、気候、地震等の諸要因の予想を超えた影響などが挙げられようか。

    そして、当時すでに、科学者は汚水・汚物が下水道管に及ぼす腐食などの化学的影響について、市内にある夥しい数の溜め置き便所の瓦解と屎尿の地下水(しかもこれは飲料水の源泉でもあった)への漏出の経験から、ほぼ正確な知見を持っていた。その際、十分焼の入った煉瓦造りの便器でも目地の部分から腐食し、釉薬処理された下水道管でも事情は変わらず、その耐用年数は2~30年とされていた。これによれば、大掛かりな下水道体系の維持は困難だという指摘も出されていたのである。以下の一文は、これについての拙著からの引用である。

    下水道内での「細かなひび割れ、亀裂が、松明のような灯りで発見されることは、まずありえず、下水道に生じた不具合は、汚染の蔓延や逆流、滞留といった大々的な機能不全からようやく気づかされるほかはない。しかもその場合には、下水道による汚染はすでに甚大であり、その修復にも莫大な費用と工事を要することになる」(239頁)。

    下水道内の腐食の問題は、この度の八潮の陥没事故の主因とも考えられるが、とくに120㎞にも及ぶ下水道の点検、管理は、「松明」よりはよほど進歩した現在の技術をもってしても、至難なことであったろう。さらに過日(朝日3/19)の報道によれば、現在、工事費として上程された県予算では、既決額(40億円)を含めて90億円を見込んでいるが、これで終わりではない。「今後さらに追加工事が必要になることも予想され、工事費の総額は不明」だからである。これを見ても、この度の事故がいかに甚大であるかは、改めて言うまでも無い。

    それにしても、120年前に練られた下水道プランとそこでの議論が、まるで現在の八潮市の陥没問題を予見したかのようであるが、如何であろう。恐るべし、歴史学(以下次回)。

  • 3月7日・金曜日。晴れ。久しぶりに陽をみる。ただし、強風。冬がこうして押し出されていく。前回の文章、かなり修正した。

    3月10日・月曜日。晴れ。本日は予定を変えて、下記の文章を送る。

    それにしても、このところの報道には暗澹とするばかりである。米大統領のカナダ、メキシコへの理不尽な言いがかりと強圧はもとより、ウクライナに対する姿勢は、まともな外交ではない。まるでヤクザの強請りだ。英語ではそれをprotection racketと言うとは、ニューヨークタイムズで初めて知った。辞書には「見かじめ料」の訳語もある。広辞苑では、「暴力団が、飲食店などから監督・保護の対価と言う名目で取る金銭」のこととある。

    周知のように、ゼレンスキーがロシアの侵略に対する自国の安全保障を強く要請したのに対し、トランプは最後までその確約を与えず、結局、両者の対談は決裂し、ウ大統領は追放されるようにして、ホワイトハウスを跡にした。その対談で、トランプはウ国に眠るレアアースの50%を譲るよう持ち掛けたようだが、ゼレンスキーがそれをそのまま飲めるはずもなかった。

    米記者がトランプに訊いた。米国は何故レアアースを手に出来るのか。ウ国の安全はどう守られるのか。これに対する答えはこうだ。これまで米国がウ国に送った武器弾薬ほか戦争遂行のために払った膨大な支出の回収であり、多くの米国人が採掘のためウ国に滞在すれば、ロシアは攻撃出来ない。それが最大の安全保障だ。

    実体のない、ヤクザ紛いの「監督・保護」という保障と、だが利得だけは逃すまいとする彼の言い回し=ディールは、まさに「見かじめ料」の名に恥じないだろう。こんなやり取りを、米国大統領が臆面もなく世界にまき散らしたのだ。米国人はこのことを拍手喝采できるのだろうか。

    ここで一つ言っておきたい。ウ国は今日まで無償で米やEUから軍事支援を得てきたのか。米やEUがそれほど人道的で善意に満ちたお人好しとはとても思えない。ロシアに隣接するバルト三国等の諸国は、ウクライナの今日は明日のわが身と、深刻に捉えればこそ、ウ国を守護すべしと、国力を越えた支援を惜しまなかったのではないか。米国とて同じだ。露国の国際法を無視した侵略を放置すれば、世界秩序の崩壊であり、それは直ちに米国の安全を損なう。よって周辺国はウ国を支援し、他方ウ国は気の遠くなるような命の犠牲を払い、無数の破壊を引き受け、欧州の破壊を一国で守って来た。これを思えば、米、EUの支援はあまりに少なく、中途半端であった、と筆者は非難する。この度の戦争は、プーチンの独りよがりの妄想から起こったことだ。その経緯については、ロシアの国外逃亡者、ゲッセンがニューヨークタイムズに寄せた寄稿論文(3/3)「プーチン、世界を切り分ける準備整う トランプ そのナイフを彼に与える」からも多くを教えられる。

    トランプは、ウクライナには初めからロシアに対抗するカード(戦力)が無かったのだから、その言うとおりにしていれば戦争は起こらなかったと言っている。これが正義だと言うなら、これからの世界は「弱肉強食」の世界となり、各国はいやでも武力増強を目指すほかはない。それは結局、最強国である米国内においても同じ論理が支配し、国民は強者の餌食となって、幸せにはなれない。米国民よ、それで良いのか。とくと考えよ。

    天に満つ ゴルゴよ癌よ 疾く来たれ  よみ人知らず