• 7月25日・月曜日。晴れ。休暇を終えての、ご挨拶。暑中お見舞い申し上げます。連日の猛暑につき、皆さま、呉ぐれもご自愛の上、お過ごしください。

    7/4以来のご無沙汰である。実は、今月の歩行は思いの外調子がよく、連日、1万歩のペースで進んだ。それを良いことに、日中、夜間を問わず、歩き回っていたら、ついにダウン。そのまま寝込んで、1週間ほど臥せる始末と相成った。以降、休養と暑中休暇をかねて、本日、ようやく出社に及んだ次第である。

    なお、その間、長年のガラケイ携帯電話をスマホ(アイホン)に切り替えたが、いまだ3日。まるで勝手が違い、重要な連絡も受けねばならず、それが出来るかと思うと、ただ途方に暮れている。メールや電話ですら、かけたり、掛かるのも、ほぼパニック状態の中、うろたえている様は何とも情けない限りだ。同時に、こんな余計なことは、やめときゃよかったとの、深い後悔の念に押しつぶされているが、命より大事な大金をはたいて始めたことゆえ、今さら後にも引けない。

    かくなる上は、不退転の覚悟をもってこの難所を乗り越え、必ずや有終の美を飾って見せようぞ、とこれまた根拠のない見込みと希望をお示しして、これまでの長い休載のご挨拶に替えさせていただこう。

    本日は、前回の文章を、是非にも完結したいとの意気込みで出社したのだが、スマホ対応の知恵熱にくわえ、病み上がりのゆえか、早くも疲労を覚える。よって、宿題は次回に譲りたい(以下次回)。

     

  • 7月1日・金曜日。晴れ。6月末の一週間連続の猛暑日は、記録的な事らしい。先月だったか、インドでは酷暑による死者が出たとここでも報告したが、異常である。しかもこれは、今年に限ったことではなく、年々厳しくなるはずで、早急に地球規模での温暖化を阻止しなければ、生態系は急速にくずれて、弱い生物から順次死滅するだろう。それはさながら、天から火が降るとの「ヨハネの黙示録」のようではないか。

    7月4日・月曜日。曇り。本日、蒸し風呂のごとし。迫りくる台風の影響だと、予報士は言う。

    丸腰のウクライナ市民に対して、「不眠になった多数の兵士が襲い掛かるが、彼らにはどんなルールも当てはまらない」。こうしたロシア兵の心理状況には、人権教育の欠如とは別の、何か特有のものがありそうなのである。

    かつて、露軍の心理学者として勤務したことのある一ジャーナリストは報告している。すでに言ったように、部隊内での部下に対する暴力は言うまでも無く、それとは別に、兵士は自らが守るべきロシア市民に対する虐待もまた日常的であったと言う。例えばこうだ。列車で、部隊と共に長距離を移動した折に、車内の老婦人が携えていた鶏料理を、兵が奪い取るさまを目の当たりにしたのであった。「一事が万事」の言葉のとおり、この一事はたしかに露軍のある側面を如実に、示すものであるだろう。

    露軍がウクライナから撤退した後は、その一帯には目ぼしいものは何も残らないとは、外信のしばしば伝えるところである。最近では、ウクライナに備蓄された2千トンもの小麦が略奪され、ロシア産として輸出されたと聞く。これらの情報には、ウクライナによる反ロシア宣伝の一方的な報道に過ぎないものも含まれているのかも知れない。

    しかし、ロシアから発せられる情報は、露軍の犠牲者数やその戦争犯罪的な残虐を含めて、すべて「西側の謀略」と否定し、多方面から伝えられる情報と比べてあまりに齟齬が大きすぎる。この一点からも、ロシアの主張には信頼すべきものは何もない、というよりもむしろ、平然と巨大な嘘を吐き続けられる国家だとの印象を、世界が持っても不思議ではあるまい。これらは、ヒトラー政権が取った戦術とまさに瓜二つである(テイラー前掲書『一九三九年』を参照されたい)。

    ともあれ、露軍、そしてこれを指揮するプーチン政権の行動原理は、誰に対してであれ、強ければ何をしても構わない、と言うようなものに見える。ロシア政府や軍に対する批判や抵抗は、すべて暴力で黙らせる。最強の米国や世界に対しても恐れる素振りはない。「核の使用」を持ち出せば、世界は黙ると見ているからであろう。軍の弱者に対する暴力的な行動は、歴史的に染みついた軍の体質的な「特徴」なのかも知れないが、同時に露軍が民主主義国家の軍隊ではなく、プーチンという独裁的な大統領の下に置かれているという政治体制が、その特徴を一層強めたと見られないであろうか。とすればそれらは、そうした政治体制を許したロシア社会が生み出したことではないのか。では、現在のロシアとはいかなる国家なのであろう。菊池務氏(青山学院名誉教授)によれば、露国は「近代国家」以前のロシア「帝国」なのである(朝日新聞6/4/土)(以下次回)。

     

  • 6月22日・水曜日。曇り。本日は6/17の話に戻る。

    6月24日・金曜日。晴れ。今後、熱暑が続くとの予報に、すでに滅入る。前回の文章にやや手を入れた。なお、先に紹介した『一九三九 誰も望まなかった戦争』、―ようやく7割方進み、今月中には読了したい―、本書は、現在、ロシア政府がウクライナ侵攻にとっている国内プロパガンダ、ウクライナ周辺域での内乱工作、国外への言い訳、外交攻勢などその全てを先取りしたかのようで、まるでプーチンの教科書かと思うほどである。実に面白い。

     

    世界を震撼させた、ウクライナ市民に対する露軍の無慈悲な凶行、破壊行動は、一部は政府と軍とが一体となった洗脳的なプロパガンダの結果であり、そうした負の教育の成果なのだと言えそうである。これはまた、一面的な情報を一方的に、大量に流しながら、それをチェックする対抗機関を許さない、ロシア社会に根ざす政治・社会的な構造問題の一つである。そうした行為は犯罪であるとの教育も無ければ、それを犯罪だと検証する独立の機関が不在であるという指摘が、それを裏付ける。先のニューヨークタイムズの記事を読む限り、そうした結論にならざるを得ない。

    だが問題は、そのように言って片付けられるような簡単な話ではなさそうであり、この点が深刻である。社会の仕組みが悪ければ、それを正せばよいはずで、ここには取るべき対策があるという意味で救いがあろう。だが、事はそうはならないらしい。振り返ってみれば、露軍が行う、敵兵にではなく、丸腰の市民への残虐は、ウクライナ侵攻で初めて出てきた分けではない。すでにチェチェン紛争(1999-2000)やアサド政権を支援したシリア内戦(2011-現在に至る)に介入した露軍の市民攻撃は、「何ともおぞましい理屈を弄ぶ残忍な実践的な戦闘方法」にのっとり、無差別な空爆、病院破壊、至近距離からの銃殺やら強姦がなされ、それらはさながら、現在のウクライナで見られている獰猛な攻撃の「先ぶれ」(prelude)であった。「ある程度、市民に対する露軍の暴虐は欠陥(bug)ではなく、一つの特徴(feature)なのである」と、記事は書く(以下次回)。

  • 6月20日・月曜日。曇り。本日は前回の続きのつもりが、前文が長引いて、それが本文に化けてしまった。

    蒸し暑さ募る。参った。明日は夏至。今夏の熱暑を思うと、今からひるむ。そう言えば、最近のニューヨークタイムズでは、世界中の気候変動による各地の惨禍が頻々と伝えられていた。例えば、米国ソルトレークの湖が縮小しつつあるとか、南洋諸島の水没の危機、あるいはインドでは熱波による死者の多発や穀物の生育不良にくわえ、ヒマラヤの氷河の溶解と洪水により、近隣地域が被害に合うと言った具合である。

    そうして、開発と称する人間の経済活動が、一層気候変動の激化に拍車をかける。一昨日の同紙(6/18-19)は、コンゴ河一帯における熱帯降雨林の乱伐を報じているが、その惨状は見るも無残である。何しろ、何十メートルもある巨木が多数切り倒された流域は、樹木から流れ出る樹液でキャラメル状に濁るほどであり、これらをロープやワイヤーで括り付け大小の筏となして、下流の首都キンシャサ付近の港湾まで流すというのである。全行程は優に250マイルを超え、一か月以上を要する長旅である。その間、浅瀬に座礁し、流量に難儀し、時に筏は崩壊の憂き目を見るという。

    しかも同地域は、南米アマゾン河流域に次ぐ、世界第二位の雨林地帯であるというから、それが果たす環境的・生態学上の巨大で多様な機能―すなわち、二酸化炭素の吸収と酸素の放出、生物多様性の維持等々―の喪失は、温暖化はもとより、地球上の全生物の生存に深刻な影響を及ぼすに違いない。

    人類は気候変動の激化から、これまでも実に多くの警告を受けながら、眼前の利益に取り付かれ、大地をうがち、海底をあさり、しかも強大な機械力を駆使して、その規模を暴力的、累積的に拡大して今日まで来てしまった。そして、いまだにその歯止めをかけられない。持続可能な経済成長の声が漸く聞こえるようになったが、それでも先進国はその必要もないような「経済成長」に取り付かれている。このままでは、人類は益々狂暴の度を増す地球の温暖化、熱帯化に飲み込まれ、地球もろとも滅びるのではないかと、心底、思う。これに比すれば、覇権主義的な領土の拡大やら、欲に駆られた経済成長など、真に詰まらぬことではないのか。何しろ、自分たちが立っている地球そのものの存立が危ういとすれば、領土だカネだなどと、言ってはいられないではないか(この項、終わり)。

  • 6月15日・水曜日。雨時々曇り。前回の文章にやや手を入れた。
    6月17日・金曜日。晴れ。蒸し暑い。

    ロシア政府は、軍への人権教育は一片もないが、兵へのプロパガンダ(普通「宣伝」と訳されるこの言葉は、政治・社会学的に特有な意味を持つ。大衆、世論を宣伝者(多くは権力者)の意図する方向に向かわせるための意図的組織的な情報活動である)は、実に周到、執拗であり、「洗脳」そのものである。たとえばこうだ。そもそもウクライナはロシアの一部であった。だが、ロシアからの離脱をはかる「反逆者」が台頭し、国民への扇動を強め、これに反対する者には容赦ない弾圧がなされている。これはナチ化したウクライナ政府や軍の非道であり、かくて国民は彼らに「征服され、今やロシアの兄弟たちが解放してくれるのを待っているのだ」と。
    であれば、進軍した露軍は歓喜と感謝をもって歓迎されるはずであった。ましてや、兄弟のウクライナ人から苛烈な攻撃をこうむるなど、全く思いもよらぬことであった。これほどの理不尽があろうか。さらには、ウクライナ戦線への派兵は、志願兵のみであり、徴兵された新兵は含まれないとは、他ならぬプーチンの言葉であった。だから、露軍のウクライナ国境への進軍は、戦闘ではなく、単なる演習のはずであった。事実、そう説明されていたのである。
    軍兵士が直面した目を覆うような現実と、彼らの脳内にある世界との落差の大きさに、彼らはしばし混乱し、途方に暮れたに違いない。くわえて彼ら新兵はロクな軍隊教育を受けず、正規の兵士として育っていない。兵器の扱いも知らなければ、軍規に服することも知らない。突如、戦場に投げ出され、惨たらしい戦傷、夥しい死者を見せつけられたら、どれほどの恐怖に震えたろう。規律も何もあったものではない。ましてや、かつてはあれほどに信頼し、兄弟とまで思った者たちの突然の裏切りである。ここに、ウクライナ人に対する近親憎悪にも似た憎しみと、敵愾心をよび起こし、通常の戦闘以上に凄惨な場面を生んだとしても不思議ではない。ましてや、露軍に歯向かっているのは、「単なる敵ではない、彼らは裏切り者なのだ」、しかも「この裏切りこそ、ありうべき最大の犯罪なのだ」というプーチンの声も聞こえる。ならば彼らに対して、何故同情すべき理由があろう。ふざけるな、彼らは殲滅されなければならないのだ(以下次回)。