2022年04月06,08日

4月6日・水曜日。晴れ。

4月8日・金曜日。晴れ。

 

この2,3日の寒さは何だったのか、と言ってやりたいような陽気である。お陰で、日曜日は風邪気味で1日寝込み、ために当日の歩行数は零歩であった。これで、今月の一日平均9千歩の達成はダメになった。残念。だが、こんなたわいのない愚痴が言えるのも、戦火を免れた平和な日々のゆえである。

これに対してウクライナから伝えられる惨状は、世界を震撼させた。連れ去られた兄を探していた婦人は、顔の判別もつかないほど銃床で殴打され、体を切り刻まれた遺体の着衣からそれと知った。そうした死体を道路に何体も放置したまま、露軍はキーウを撤退したと、朝日新聞は伝える。あるいは、掘られた窪地に放り込まれて、表に見られる手足の絡まりあいから、その底にある遺体の重なりが想像できるとは、昨日のニューヨークタイムズの記事(4/5)であった。言っておくが、この犠牲者たちのほとんど全員が、子供を含む武器を持たない民間人である。

筆者はこれらをただ活字を通して知るばかりだが、これを目の当たりにする住民たちの悲痛は想像も出来ない。しかも、ここで伝えられる惨劇は、ただその一部に過ぎないだろう。その背後には無数の非道と虐待があったに違いなく、それらを直接、間接に知ったすべてのウクライナ国民の悔しさ、怒り、そして復讐心は百年単位で残るであろう。

そうした隣国の憤激、怨念を、ロシア国民は今後長きにわたって背負わざるをえまい。我われ日本人が、今なお隣国からのそのような感情、非難を負わされていると同じように。同時に、今回の侵攻の現状を知るロシア国民は、自身の国家が犯した重大な戦争犯罪に向き合い、痛切な贖罪の意識を心中深く刻まれるに違いない。自国の指導者、正規軍が、世界から凶悪な戦争犯罪人扱いされ、さらには「悪魔」呼ばわりされるほどの残虐を、ウクライナ全土で倦むことなく繰り返しているのである。これでどうして、自国に対する自信と矜持を持ち得よう。そして、彼らは知るであろう。このような犯罪国家を長期にわたり存続させ、批判できなかったことは、結局は国民自身の罪でもある、と。ロシアの再生、再建はそのような国民の声と祈りがどこまで国内に届けられるかに掛かっているのではなかろうか。

最後に、筆者は言いたい。現ロシア政府の不誠実さには、どう対峙すべきなのであろう。彼らには、いかなる言葉も無力であり、結局は武力しかないのかと、暗澹とさせられる。それは過日の国連安保理で行ったゼレンスキー演説(4/5)に対するネベンジャー露国国連大使の言葉のうちに端的に表されていよう。彼は世界に向かって、平然と、臆することなく言い放ったのである。ゼレンスキーの「ロシア軍に対する非難は、目撃者の証言に裏付けられたものではない。…長い間、黒を白と呼び、その逆もしかりとしてきた欧米だけが、このフィクションにだまされている。」ウクライナの軍事侵攻は「ナチの悪性腫瘍を取り除く必要」からであったのだ、と。

この言葉はウクライナ国民を二重、三重に打ちひしぐ。一つは、非道な暴力行為によって、もう一つは己のなした暴虐を全く認知せず、正当化するという意味で。それはまた、同じ意味において、世界中の人々の心を逆なでして止まない。

 


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