• 6月2日・月曜日。曇り。蒸し暑し。5/31(土)をもって、例のバーチャル・ウォーキングの最終記録は閉じられた。4月・5月の合計61日間の総歩数622,121歩、距離にして435㎞となり、東京を起点に円を描けば、北は釜石、西は大阪まで入るらしい。堂々の2位にくわえてコンスタント・ウォカー(一日に歩く歩数が安定していること)の1位と認定される。事実、60日間を、1日1万歩強をブレずに維持したのであるから、そうなろう。そして、昨日の6/1(日)は、久しぶりに8307歩に落として、休息の日としたが、今後はこのペースでいこうと思う。確かに、毎日、1万歩はきつい。それにしても、こんなに得意げに言うのも、チト、狂ってる。
    6月6日・金曜日。晴れ後曇り。この所、週の巡りが異様に早いと感じる。当方の老化のゆえか、それとも実際に世間の歩みが早すぎるのか。コメ問題やら、トランプ関税と、確かに世情は騒々しい。


    承前。以上は拙著からのごく手短かな要約に過ぎず、事態はそれほど簡単でないことは言うまでもない。それでも灌漑農地システムの考え方はお分かりいただけよう。こうして、世界の物笑いとされた不潔な都市、ベルリン市は、一挙に面目を改め、「世界で最も美しい都市」へと生まれ変わった。1878年1月1日、この日は灌漑農地での最初のポンプが稼働し、ベルリン市排水事業の誕生の日となったが、それから6年後、森鷗外が同市に初めて足を踏み入れ、市街の賑わいと美しさに目を瞠り、「ウンテル、デン、リンデン」(菩提樹下の意)(『舞姫』)と歌うようにして闊歩したのである。しかし、この意味を了解するには、新生児の3割が死亡するという同市の不潔に対する医学や行政の取り組み、また農民や都市住民らの対立する利害の調整と言った、人々の様々な苦闘の歴史を知らなければならないが、それらをここで示すことは出来ない。
    ホープレヒト方式が大々的に実施されたのは、先にも言ったように、まずB市周辺に広大な原野が残されていたからである。同時に、その土地を短期に農地化し、ポンプ場、排水パイプ網を張り巡らせるような技術や機械力の動員が可能であったこと、そしてそれらに要する資金を調達する金融の発達なども忘れてはならない。要するに、事がなるには、背後にそれを成り立たせる諸条件がなければならない。そうした背景の中で、彼の方式も成立しえたのである。
    とすれば、ホープレヒト方式の永続的稼働は、いずれ立ち行かなくなる宿命にあった。産業の発達による都市化のうねりが、容赦なくB市周辺に迫り、瞬く間に農地をのみつくしたからである。同時に、混合下水道に混入する化学工業からの重金属類の排水は農地への潅水を不可能にし、そしてさらには屎尿汚水に含まれる種々の病原菌も無視しえない問題になって来た。特にこの病原菌の問題は、医学的には19世紀末頃までは完全には決着がついていなかったが、コッホを代表とする細菌学者らによって伝染病の仕組みが明らかにされて、下水の潅水が危険視されるに至ったからである(以下次回)。

  • 5月26日・月曜日。曇り。この所、涼しい日が続いて、当方としては何よりのこと。願わくば、今後も、かくあれとただ祈る。

    5月30日・金曜日。雨。肌寒し。

    承前。さて、ホープレヒトに戻ろう。市街の汚水は圧力伝送管によって灌漑農地に送られるが、これはどう処理されるのであろう。勿論、農地にそのまま潅水されるのではない。広大な農地はいくつかの耕作区に分割され、入念な農地造成がなされる。各耕区ではまず高台地にスタンドパイプ場が設置され、そこから汚水は埋設された本、支管の導管網を介して沈殿槽、作付け区域に分けられた農地へと送られる。

    沈殿槽に達した汚水はヘドロ分を大方濾過されて、灌漑農地へと送られる。そこに植えられた農作物が汚水のあらかたを吸収し、その消費力は旺盛である。当初、継続的な大量の潅水は農地の泥土化を来すのではないかと懸念されたが、まったくの杞憂であった。それでも残る潅水後の余水は、各農地に掘られた側溝から隣接の川へと放流される。では、それによる河川の汚染は、心配ないのか。ホープレヒトは言っている。「排水される下水はまだ濁りはあっても、しかしそこには排水汚物は認識されず、それゆえ排水管から河川に放流される水はもはや浄化され、透明かつ無臭である」。

    ここで作付けされる農作物とその生育はどうか。膨大な量の汚水を吸収できる農産物であると同時に、市場性のある農業経済的に意味あるものでなければ継続できない。そこで次第に分かってきたことは、トウモロコシ、蕪、キャベツといった幅広の茎や大量の葉を持つ植物が最適とされ、その出来栄えも品評会の受賞を受けるほどであったと言う。「ある企業は、早速、酢キャベツの製造販売に乗り出し、馬車鉄道会社、王室厩舎、酪農家等からの飼料購入も相次いだ」。他にも野菜ではホウレン草、人参、玉ねぎ他、穀物では大麦、小麦、ライ麦、馬鈴薯等々、さらには果実類も手掛けられ、「実に多様な農作物が栽培作付けされていくのである」。

    ここで忘れてならないことは、汚水の灌漑農地法の第一の目的はベルリン市の限度を超えた環境衛生の悪化に対する解決策の模索であり、農業的成果を目指すものではなかった。しかし、関連する多様で大掛かりの実験がなされた後、ただ土地の濾過機能に期待した潅水では河川や地下水の汚染を回避できず、上にみた植物の育成と結合させた灌漑方式こそが最良であると結論ずけられたのであった。それは農業と汚水浄化の幸福な結合であったと言えようか(以下次回)。

  • 5月19日・月曜日。曇り。
    5月23日・金曜日。曇り。

    前回(5/12)、八潮市の下水道陥没事故に関して一言したが、この度、朝日新聞(5/17・土)に、今後の「復旧作業」の在り方についての言及があり、ここでの叙述にもかかわるところから、紹介かたがた論を進めよう。事故の下水道線は、すでに言ったように、一続きの大規模なものであり、その結果、事故は想定外の規模になった。そこで言う。
    「大規模な管路に集約させて処理をする方法を改め、管路を複線化したり、幹線同士をつなげたりするなどの下水道システムの再構築についても検討を促している」。確かに「複線化」と相互の連結により、損傷に際しても下水道の機能を止めずに、工事も大掛かりにならずに済む。だがこれは、すでに前回見たホープレヒト方式そのものであり、この点で我われは、彼に百年以上もの後れを取ったと言えよう。何故、こんなことが生じたのかと不思議な気もするが、思うに現代人の現代技術への過信から、行政、技術者らにはこの種の事故のありうることに思い至らず、「大規模な管路に集約する方法」を取らせたのであろう。経済性、効率性を考えれば、集約方式に勝るものはないからである。
    そして、これに付された林官房長官の談話が、現代人の下水道システムへの関心のあり様を示して、実に興味深い。「インフラの維持管理は国民の生活に直結する取り組みであると痛感した。老朽化対策をしっかりと進めたい」。今さら何を、と唖然とさせられる言ではないか。この国の最高位に位置する官吏の一人であり、しかも知性において並ぶもの無き政治家だと、常々、敬意を表しているが、その氏にしてこの程度の認識である。
    だが、筆者は同氏の関心の低さを非難したいのではない。むしろ言いたいのは、彼に限らず、政府や政治家一般の姿勢や意識の問題である。一たび完成した構造物は、現代の科学技術からすれば、メンテナンスに多少の遺漏があっても十分な堅牢さを保つといった過信であり、さらには眼前にされていないモノ、事共は、すべて平穏無事なことにしていたい。そもそも見えないことにカネをかけて、一体何票の票になろうか、といったソロバン勘定があったとすればどうであろう。それにしても、政府のインフラに対する、こうした認識を思うと、この所声高に唱えられている「国土強靭化」政策の実がどれだけあげられるものか、誠に心もとない。迫りくると言われる「南海トラフ巨大地震」を思えば、それは痛切である。そのような不安を、この度の事故は国民の前に改めて呼び起こしたのである。

  • 5月12日・月曜日。曇り。本日は、大分間が開いてしまったが、再びホープレヒト論に戻り(4/18・金)、この話に始末をつけたい。

    過日の報道によれば、八潮市の事故に巻き込まれた運転手がようやく救出され、ご家族のもとに帰されたようだ。お疲れ様、どうぞ安らかに、と祈る他ない。今後は本格的な修復工事に入るようだが、完工まで数年単位ともいう難工事になるらしい。しかも、この種の事故はこれで終わりではなく、むしろ頻発するとの警告を受ければ、先行きは何とも暗い。土木施設、橋梁等の建設物には不断のメンテナンスは欠かせず、人の手当てや経費は事業規模に応じて巨大化するが、少子高齢化社会のこの国がそうした負担に耐えられるのだろうか。これを思えば、現在のような一極集中的な都市造り(裏側にある地方の疲弊)は根本的に改めるときにあるのではないか。

    5月16日・金曜日。曇り。蒸し暑し。例のバーチャル・ウオ―キングだが、当方、昨日、新潟支社に無事ゴール。45日間を要し、総距離数310㌔、40万歩強を歩いたらしい。堂々の2位(暫定)である。1日平均、1万歩を意識し、ゴールを目指した。一老人が春日部市内を夜ごと徘徊する様は、はたから見れば、鬼気迫るものがあろう。途中、何回かパトカーとすれ違うが、あちらも不思議に思ったかもしれん。それにしても、よくぞ完歩した。時に朦朧としながら、また今日はダメだと諦めかけた日もあったが、それも何とか乗り切った。一つの達成感はある。ただし、疲労の蓄積は限りなし。

    ホープレヒトの放射方式が成立したのは、当時のB市周辺域にはいまだ広大な原野が存在したからである。東京都でも、筆者の中学生時代(昭和30年代)のことだが、郵便のあて名に「都下」と付された頃の三多摩地区は勿論、練馬、板橋、杉並といった都市周縁の各区にも、まだかなりの田地が広がっており、それが都心からの屎尿の吸飲地となっていた。B市もこれと同様である。しかもその規模ははるかに大きかったのであるが。

    だが、灌漑農地の仕組みを記す前に、市内に埋設された下水道のあり様を示さなければならない。詳細を知るには、地図と共に具体的な事例を挙げて説明するほかはなく、それらは拙著に譲るとして、ここではごく簡単に済ますほかない。

    ホープレヒトはB市を自然水路、大地の分水嶺を考慮して12区に分割する。出来るだけ下水道内の自然流水を確保するためである。そして、各区域の下水集合点ではポンプ場を設置し、機械力によって汚水を揚力し、そこから圧力を加えられた鋳鉄製の道管を通じて市域外に隣接する灌漑農地へと送られる。

    市内の下水道は支線を歩道下に埋設して各家の排水管との接続線を最短にし、それらを区域内の本管へと接続する。その際、各支線は並行させ、同時に両線を繋いで、一方の故障には他方に代替させる機能を与える。万が一の破損に対しても、大掛かりな道路の掘り返しを免れるためである。

    また、下水道が収容しえない豪雨に対しては、近隣の河川に放流するために、緊急の排水口が別途設置されている。これによる、河川の一時的な汚染は免れないが、下水道システムの破損回避にはやむを得ない対策であった。同様に、システムの防御策として、道内の空気圧を低減するために、排気口、検査槽、マンホールの設置が付帯設備として組み込まれた。そして、ここでは道路清掃が下水道保全の重要対策として考慮されていることも言っておかなければならない。ゴミ、砂等の道内への混入は流水を妨げ、破損の原因になるからである。道路清掃の目的は、これを第一義とするとある。

    他にも述べるべき点は多いが、以上からでも大まかな仕組みはお分かりいただけよう。ここでの問題は、下水道システムを一続きにせずに、ブロック化することで、下水道線を出来るだけ短縮し、システムにかかる負担を低減させると共に、その建設及び管理経費の縮減を図ろうとすることにあった(以下次回)。

  • 5月2日・金曜日。雨。強雨、強風の中、5㎏ほどのバッグを背に、突進するようにして、社屋にたどり着く。と、こう書くのには、訳がある。今当社では、なかなか面白い企画が進行中で、これには筆者を含めて20人ほどが参加している。バーチャル・ロードレースとでも言おうか、東京本社を起点に新潟支社までを歩こうと言うのである。ルートは大宮、前橋、伊勢崎、渋川、魚沼から一路新潟市に向かう。総距離数、300㎞強という。各人はスマホに取った毎日の歩行数を担当者に申告し、それを上記のルートに落とし込んで、自分の位置関係が示される。

    出発は4月1日。号砲が鳴る。一月後の現在、トップは魚沼市(240㌔)を通過し、筆者は南魚沼市(205㌔)を彷徨っているらしい。それでも堂々の3位(暫定)を維持し、3~40代の連中を抑えてのことであれば、もう大健闘である。

    こう言えば、威勢はいいが、実のところは、それは大変。青息吐息のダウン寸前である。一日平均9千から1万歩をノルマとするが、出社する曜日以外は、昼夜逆転のわが生活でこれをこなすには、22時以降にタップリ90分以上を当てることになる。これで5~6千歩を稼ぎ出すが、誰に頼まれたわけでもないのに、夜ごと真っ暗な市中を、背嚢を背負いながらの徘徊を天上から見てみれば、それはもう常軌を逸した所業だ。ぐったりして部屋に戻った後は、就寝までを新聞、読書、テレビ、風呂とこなす。そして、翌日というか当日というかの夕刻に起きるとなると、寝たのか起きたのかよく分からぬ朦朧の境にあり、そこからまた一日が始まる。こうして、あちこち痛むし、疲労は募る。そのせいか、読書力は、恐ろしく落ちた。

    だが、そんなことの連続で、歩くとなると、とたんにスイッチが入って、遮二無二歩き出す。雨だろうが風だろうが、もうマッシグラとなって、突進スタイルになるらしい。それにしても、わが身ながら、浅ましい。当企画は、社員が日々の生活の中に、少しでも歩行の習慣を取り込み、健康増進に役立てれば、との親心から始まったようだ。だからこれは競争ではなく、ミンナでゆっくり歩こうよ、これがその趣旨であった。しかし、それがわが身に入ると、目の色が変わって、何かヘンテコになるのは、わが遺伝子にそんな要素が埋め込まれているのであろうか。それでも、こんなことが出来るうちは、まだ元気なのだろうと、勝手に思うことにしている。