• 10月31日・火曜日。曇り。明治大学付属中野学園理事会の帰途、早稲田の事務所による。前回の文章に手を入れ、特に最終段落では五行ほど加筆する。

    現在、筆者は来年1月より「社会のたたみ方」と題する駄文を草したいと考えている。もはや齢でもあり、オツムモ大分いかれてきたこともあって、これが論文と言えるほどのまとまった文章となるかどうか、はたまた最後の結論にまで行きつけるかどうか覚束ないが、ソンナ意欲は持ちたい。書ければ久方ぶりの論文となる。主題は、少子化と高齢化に直面しているわが社会の行く末をどう捉え、そこから如何なる処方箋を用意するかについてである。

    「たたみ方」とあるように、縮小化社会の現実をみすえた論述が中心となるはずである。よって、ここには政府はじめ多くの論者が相も変わらずしがみ付いている経済成長・発展を軸にした不況克服と、その果てに高福祉社会の実現を目指そうとする発想はない。そのような成長戦略からは決別し、別種の発想から、新しい社会の在り方を模索し、我々の明日の生活基盤をそこに据えてみたい。キーワードは、縮小社会、地産地消、省エネルギー、持続的な経済活動、単純再生産・静止社会の実現、自然保護、地域社会の充実と中央政府の改変等であろう。

    以上のような発想から、あれこれ論じていく心算であるが、前記の通り途中で頓挫する可能性が無きにしも非ず、と予め申し上げておく。そして、現在細々とそれらしい本も読み進めてはいるが、読者諸氏(いるのかいないのか心許ない限りながら)には、我が論述の進むうちに、こんな文献、あんな事例があるとお気づきの場合には、是非ご教授願いたい。まずは予告とお願いの儀である。

  • 10月16日・月曜日。雨。本日、12月の気温と言う。

    10月24日・火曜日。曇り。少々、体調を崩し、若くはないと、改めて実感する。

    以上を纏めれば、こんな事になろうか。下山の轢断死は、まず以て儲け話を潰された集団の恨みと復讐心に発したものであるに違いない。その首謀者は著者には分かっているようだが、ただ客観的資料の物証がないため「×某」氏と記すばかりである。また、それとは別に、そのような計画とそれを実行するまでには、それを容認すると共に積極的に支援する幾つかの入り組んだ支援部隊が存在しなければならなかったはずだ。しかも、事は現役の国鉄総裁の変死である。単なる事件で済むはずはない。対応次第では労使問題を触発し、占領政策の当否が問われ、国際問題にまで発展しかねない危険性さえある。であればそうした支援者の内には、下山の変死がまかり間違って「自殺」ではなく「他殺」とされても、これを事件化しないよう警察を制御しうるほどの組織すら関与していたのかも知れない。学問的には動かし難い他殺説の古畑鑑定に対して、国会の場で公然と自殺説をとなえ、これを捜査方針の根拠にした警察当局の動きはそうした疑念を抱かせるに十分なものがある。

    ただ、間違ってはならない。下山の「暗殺」(吉田の言)は、そうした支援団体や組織が相互に一体となり、統一して執行されたということでは、断じてない。当初、本事件はGHQとその下部機関G2の仕業と見られたようだが(松本清張他)、そんな動きのあることは察知しつつも傍観者的であり(その意味で消極的な関与者であろう)、後に事件の関与を極力否定していく。占領政策に累が及ぶからであろう。むしろ米人の関与は日本にも設置されたCIA(国務省直属機関)関係者が疑われており、GHQのG2下にあるキャノン機関等ではなかった。しかも、両機関は「殺し合いをするほど仲が悪かった」と言われてもいる(486頁以下参照)(この辺りの事は複雑で、筆者にはよく分かりません。悪しからず)。ここには、先にも触れたジャパンロビーの陰が見えなくもない。

    政府当局は米の動き、GHQの対応に応じてそれを補佐し、極力事件の沈静化を図っていく。実は下山は総裁受諾に際し、佐藤栄作に相談するほどの中であった。佐藤は同じ運輸省の先輩次官であり、彼に次いで自ら政界に出る野心もあったからでもある。彼は受諾を勧める。総裁人事は難しい政治状況の中、GHQの思惑や労使関係も絡み、何人かが拒否する最中、ようやく決着を見た次第であった。

    総裁は就任後、日ならずして、国鉄職員の大量解雇を迫られていたことは既に言った。解雇はGHQからの要請でもあり、だからそれは「大量解雇実現内閣」とも言われた吉田内閣の至上命令でもあった(44頁)。解雇者のリストと方針が整う6月末から7月初めにかけ、労組側の反発は強まり、左翼学生は「非合法闘争も辞さない」と息巻くほどに事態は緊迫する。さらに事件の2・3日前の新宿駅前には「下山を殺せ!下山を暁に祈らせろ!」という不気味なポスターまで張られるに至る(46頁以下)。

    そうした最中、GHQ所属のCTS(交通管理部門)の担当官シャグノン中佐――彼は日本の国鉄を「マイ・レイルロード(おれの鉄道だ)」と言って憚らぬ、元は「小さな鉄道の課長程度の人物」(53頁)に過ぎないが、当局は彼の言に従わざるを得ない――が、7月3日の深夜、突然首にピストルをぶら下げ、酔いに任せて下山宅を襲った。彼は鉄道当局が人員整理の発表を7月5日にした事が不満で、是非とも「7月3日前」を強要するためにこの挙に及んだのであった。そこで下山が発表を4日に通告すると言うと、「今度はすっかり上機嫌になって帰っていった」(54頁)。たった一日の差で、発砲が上機嫌に激変したのである。しかも5日には下山は轢断死体となったのである。これを全くの偶然と見るのは、却って不自然である。また、シャグノンごときが知っていたものを、吉田内閣がまるで感知しなかったとも考えにくい。吉田は下山を見殺しにしたと囁かれる理由である。同時に、そうせざるを得なかった政治の冷酷さを、知るべきなのであろうか。

    これで下山事件を終えよう。最後に一点だけ付言しておきたい。学問と政治の問題である。これは私のような分野を踏んだ者には避けて通れないからである。ここでの主題は、色々あったが、731部隊についてであった。彼らの研究は戦争遂行のためであり、これを善とし、そこから生ずるあらゆる結果は視野の外にあった。戦後、国のために尽くしたことで、自分達には非は無いと言い張った。これはナチや戦勝国に奉仕した全ての科学者にも言えることである。

    確かに戦争下にあっては、そんな言い訳も可能かもしれない。では平沢裁判、下山事件での学問の姿勢はどうであったか。状況証拠の全てが平沢の無罪を科学的に主張し、下山の死体は死後轢断だと言明しているにもかかわらず、科学者はそれを否定し、遂には当局の意のままに結論が導かれてしまった。要するに、戦争下であろうと無かろうと、学問は政治に向かう時、まるで無力である。これはガリレオがローマカソリック教会に屈したとき(或いはギリシャの時代から)、既に決した事であったのかも知れない。科学は常に真理を探究し、いかな権力に対しても客観的・かつ公平に言明すべきである、と言うのは全くその通りであろうが、しかしただそう言われて限りでは単なるお題目に過ぎず、また学問の進化がそのままこの崇高な理念の実現を保証するわけではない。

    これは自然科学だけの問題ではない。社会科学もまた同様である。例えば国論を分ける司法の判断は、しばしばどうであったか。無限の経済発展を保証する経済学や原発の経済性やら効率性を主張する言説、あるいは植民地政策に奉仕した文化人類学も同様である。結局、学問研究の成果とその利用は学問が物を言うのではなく、それを駆使する人間、すなわち無限の欲求・嫉妬・怒り(貪瞋痴)に溢れた人間なのである。しかも、そんな人間が政治的な利害の錯綜と混乱の最中にあって、自らの学問的な権威をチラツカセながら、いかにも客観性を装いかつ重々しく、事態はいまやこうなっている、もはやこれ以外の選択肢はあり得ないと迫ってくる時こそ、「今ここで語るのは、真理を欲する学問なのか、それとも学問の衣をまとった権力の走狗なのか」と、一旦立ち止まり、用心できるような心を鍛えたいと思うのである(この項、ホントに終わり)。

  • 10月10日・火曜日。快晴。と言って、小生、相も変らぬ不精な生活ゆえ、陽は早や西に傾きその恩恵を知らず(前回の文章、やや加筆)。

    勿論、彼の自白はどこにも残されてはおらず、真相は知るべくもない。だが、著者は丹念な取材と状況証拠を積み上げ、驚くべき結論を引きだす。そもそも下山事件には幾つもの利害関係が絡まり、事はそれほど簡単に決着を付けられない。まず、GHQの占領政策を介して莫大な利益を引き出そうとする米本国のジャパンロビーの熾烈な活動がある。その代表者はハリー・カーンなる人物であった。その背後にはロックフェラー財団、J・Pモーガン社が控え、ドッジラインによって設定された1ドル360円の日本政府にとっては必ずしも歓迎されなかった超円安のレートを梃子に軍事産業等に巨大なドル投資を行う。そこには国鉄の買収まで含まれていたようで(また投資の引き上げの際、円高に振れていればそこに膨大な利益が発生する仕組みである)、著者によれば総裁はその線上において邪魔者として除去されることが望ましかった。

    第二の論点は、国鉄をめぐるわが国の政界、・経済界に関わる問題であった。国鉄は当時国内随一の巨大な公共事業であった(これは基本的に現在でも言えることではないか)。用地取得、建設工事、これに絡む無限の素材調達、電源設備、車両・内装、観光・ホテル・飲食事業、一切の保守点検・補修事業、不動産開発等々に関わり、これらに要する人員の確保と教育をあげれば、その永続性に加えて、すそ野は無限である。同時に、規模も巨大である。そうした事業の一角に食い込めれば利益は膨大なものとなる。ここに政治家、企業家間の利権をめぐる闘争が熾烈を極めるのは当然である。

    他方、下山総裁は正義感の勝った人であったらしい。そして、特異な人物でもあった。元々、技術系の出であり、運輸次官に昇り詰めるが、そうした利権には恬淡なところがあった。また、氏は何にせよ、自ら情報を収集したがる癖があった。それ故、この問題についても氏は政府高官、政治家らが利権にどう絡み、何をしているかと言った情報を、亜細亜産業にも繋がる連中からも得ていたらしい。さらに彼は、次官当時の昭和23年、鉄道電化工事に際して、電源工事(小千谷発電所)の事業者を日立製作所に決定するが、そこには前次官と業者とに不正問題があり、それを受けて急遽下山が次官に昇進するという経緯があった。これに関わるかどうかは確かではないが、その入札に際して漏れた筆頭は「東芝」であり、このトラブルで買った恨みが「下山事件の動機になったという証言」(578頁)を、著者は紹介している。

    つまり、総裁の死は政治家や企業の利権争いをどこまで知っているか、それを「自白」させようとしたことに加えて、過去の恨みを晴らし、余計なことに関わるなという今後の「見せしめ」として実行されたという事であるらしい。とすれば、事件は首切りに反対する国鉄労組の仕業という線は筋違いであるばかりか、むしろ彼の死は当局によって組合潰しに利用されたことになる。さらに著者はもう一点、下山の正義感に発する組合への同情、その社会主義的な傾向への右翼の反発、反感を付加しているがそれは割愛しよう(以下次回)。

  • 10月5日・木曜日。快晴。一見平穏な日常だが、これを覆う核の恐怖と政治の混乱は限りなし。気づけば、のっぴきならない泥沼に引きずり込まれてはいないか。このところ、ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』の情景がしきりに横切る。

    この文章にはさらに先がある(承前)。どうやらヒトは、体重に対する血液量の比率は6.5パーセント(13分の1)であり、その50%の失血で死亡するようだ。だから「体重約七五キロの下山総裁の場合、循環血液量は約五・八リットル。その半分の約二・九リットルで死亡することになる」(473頁)。

    犯人グループは正確にそのギリギリの線を狙ったのである。A氏は言っている。「しかし、下山さんの件ではもう一つ目的があったと思いますよ。人間は、三分の一ほど血を抜くと意識を失うんです。そうしておいて、犯人は汽車に轢かせようとしたんじゃないですかね。薬で眠らせるのとは違って、バラバラになってしまえば証拠は残りませんから。ところが何か手違いがあって、血を抜きすぎてしまった…」(474頁)。つまり、犯人達は下山に何か重要な自白をさせた後、意識を失わせて、轢断死を目論んだのであろう。とすれば、彼らは自他殺の不明を図ったのではなく、「最初から綿密に、「自殺」の工作を施していたのだ…」(同)が、事をミスったのである。これを裏付ける文章がある。GHQの傘下にキャノン中佐の率いるキャノン機関という秘密機関があったが、そのキャノンが下山総裁の暗殺を内々に聞かされ、思わず「しまった。まずいことをやってくれた」と狼狽した言葉がそれである(431頁)。

    実に冷徹な殺人だ。そして、総裁の恐怖は察するに余りある。こんな殺人を平然となしうるのは、軍関係者しかいないであろう。「下山さんの殺害現場に、七三一部隊の人間がいたとお考えですか?」「そうなんでしょうな。悲しいことですが。…人間とは、なかなかこういうことを墓場まで持っていけないものです。おかげ様で、気分が少し楽になりました…。私にも、もうじきお迎えが来るんでしょう。でも…私はこの歳になってもまだ死ぬのが怖いんですよ。きっと、地獄に堕ちるんでしょうな」。そう言ったA氏は微かにほほ笑んだが、「遠くを見つめる両目には、いつの間にか涙があふれていた」(474-5頁)。地獄の責め苦が恐ろしくて、死ぬに死ねぬとは、痛ましい話ではないか。

    部隊の人間はどう調達されたのか。著者は明言していないが、亜細亜産業に出入りしていたその生き残りであったに違いない。亜細亜産業の如何わしさは計り知れない。社長の矢板玄と関わり、世話になった人間は多様である。佐藤栄作は彼を通じてGHQのウィロビーの尽力で、兄岸信介のA級戦犯の解除を勝ち取ったし、吉田茂も無縁ではなかったと言う。吉田の懐刀である白洲次郎は会社の慰安旅行記にも参加し、写真に収まっているほどである。

    これを見ても、相当なものだと察せられるが、さらに満蒙から帰還した矢板玄はじめ児玉誉志夫、笹川良一ら軍部を裏で支えた秘密機関の主催者やその周辺にまつわった小佐野賢治のような人物たちが蠢く場所であった。ここには阿片王の名を冠せられた里見甫(はじめ)の名もみられる(彼については佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社2005)が面白い)。そうであれば、社の秘密の漏洩を恐れて、社員は身内でなければならなかったのであろう。著者の叔父、叔母たちが、祖父の引きで社員であったのはそんな理由からであり、彼らから著者は当社の秘密を聞き出すことが出来たのである。

    では、下山総裁はなぜ、そんな酷い拷問を受け、ドンナ自白を迫られたのであろか。次回はこれを記して、この項をホントに終えたい。

  • 9月29日・金曜日。快晴。前回の文章、多少手直しする(なお、そうした手入れは毎回のことであると、一言しておく)。

    先ず、下山貞則の轢断死体は自殺であったのか、他殺であったのか。総裁を良く知る周辺の人たちは、当初から他殺を疑っていた。残された遺品や状況証拠からも自殺は考えられなかったからである。にもかかわらず、捜査は次第に自殺説へと傾いていく。決定的なのは、事件前日、下山が宿泊したと言われる旅館の女将が総裁に似た客の宿泊を警察にハッキリと証言し、また彼と思しき人物が現場近辺を徘徊している様を何人かが目撃しているからである。ただ、これらの証言は、巧みに変更され、捏造の様相が濃く、しかも女将の主人は特高上がりで、警察とも関わりのある人物であった。つまり、こうした証拠に対する疑念は払拭されていないばかりか、替え玉説を含めて益々疑いを深めるのである。

    決定的なのは、轢断死体はそれ以前にすでに死亡していたとの解剖所見である。下山の遺体解剖を担当したのは、古畑鑑定として知られる東大法医学教室主任教授・古畑種基であった。教授は多くの司法解剖を手掛け、警察庁科学警察研究所長を歴任するなど、わが国の科学捜査の発展に多大な功績を残したと言われる人である。その四男・和孝氏(東京大学名誉教授)が著者にこう語った。「父は、こう言っていました。下山事件は学問的(解剖学的)には実に簡単な問題だと。死後轢断は動かし難い歴然とした事実であると」(柴田前掲書480頁)。

    にも拘らず、古畑は事件後国会にまで呼び出され、自殺説を展開する慶応大学・中館教授の論難に対し、さしたる反論をしなかったようで(同書481頁)、著者はこれを訝っているが、やむにやまれぬ圧力があったのであろうか。ここに至る入り組んだ経過と不気味さは、とても一口に言えるものではなく、興味の向きには、是非、本書を一読されたい。ここでは731部隊の関与が問題であったのだし、それについてのみ、一点文章を引用して長くなったこの項をそろそろ閉じることにしたい。

    「下山総裁は事件当日に拷問を受けたと考えられる。総裁の体には、性器の先端や両手足、内臓の皮下出血など、生活反応のある傷がいくつか残っていた。これは生きている時に暴行を受けた痕跡だ。…総裁は、血液を抜かれて殺された。ただ殺害し、自殺に見せかけるだけならば、このような手のこんだ手段を用いる必然性は存在しない。「血を抜く」という手法は、古くは中国で、最近ではベトナム戦争時の解放軍によっても敵将を自白させるための拷問として用いられてきた。中世のヨーロッパのキリスト教社会では、魔女狩りの自白にも使われている。…いずれにしても血を抜くという手法は殺害方法としてはきわめて稀だ。その目的は「拷問」であり「自白」である」(458頁)。

    文意はお分かり頂けるであろう。著者によれば、総裁は他殺であり、拷問を目的とする「血抜き」の刑であった。著者は1999年の9月、戦時中に731部隊に所属していたA氏(82歳)を訪ね、部隊の事ではなく、下山事件の件で衝撃的な話を聞かされた。話はこんな風に始まる。「別に大したことじゃないんですがね。下山さんは、確か血を抜かれてお亡くなりになったとか。それで、ぴんときたんですよ。ああこれは、七三一部隊の仕業だって…。」「どういうことでしょう。血を抜くのと、七三一部隊が何か関係があるんですか?」「ええ、ま…。これは森村誠一の本にも書いていなかったから、一般の方はご存じないと思うんですがね。七三一部隊では細菌兵器の研究の他にもいろいろな人体実験をやっとったんですよ。例えば断水。人間は何日水を飲まなかったら死ぬかとかね。他には断食。耐寒。これは零下十度の戸外に裸で放置したら何時間で死ぬかとか。感電実験とか高温実験とか、よくあれだけ残酷なことを考えついたものです。その中に、抜血とう実験があったんですよ…」。「なぜ、そんなことを?」。「人間は体重の何パーセントの血を抜いたら体温がどのくらい下がるとか、意識を失うとか、死んでしまうとか…。そういうデータを取るわけですよ。拷問とかには、一番効果的だとは聞いています。なにしろ自分の命の時間が見えるわけですから、死ぬ覚悟がなければ話してしまいますね」(473頁)(以下次回)。