2017年10月5日

10月5日・木曜日。快晴。一見平穏な日常だが、これを覆う核の恐怖と政治の混乱は限りなし。気づけば、のっぴきならない泥沼に引きずり込まれてはいないか。このところ、ギュンター・グラス『ブリキの太鼓』の情景がしきりに横切る。

この文章にはさらに先がある(承前)。どうやらヒトは、体重に対する血液量の比率は6.5パーセント(13分の1)であり、その50%の失血で死亡するようだ。だから「体重約七五キロの下山総裁の場合、循環血液量は約五・八リットル。その半分の約二・九リットルで死亡することになる」(473頁)。

犯人グループは正確にそのギリギリの線を狙ったのである。A氏は言っている。「しかし、下山さんの件ではもう一つ目的があったと思いますよ。人間は、三分の一ほど血を抜くと意識を失うんです。そうしておいて、犯人は汽車に轢かせようとしたんじゃないですかね。薬で眠らせるのとは違って、バラバラになってしまえば証拠は残りませんから。ところが何か手違いがあって、血を抜きすぎてしまった…」(474頁)。つまり、犯人達は下山に何か重要な自白をさせた後、意識を失わせて、轢断死を目論んだのであろう。とすれば、彼らは自他殺の不明を図ったのではなく、「最初から綿密に、「自殺」の工作を施していたのだ…」(同)が、事をミスったのである。これを裏付ける文章がある。GHQの傘下にキャノン中佐の率いるキャノン機関という秘密機関があったが、そのキャノンが下山総裁の暗殺を内々に聞かされ、思わず「しまった。まずいことをやってくれた」と狼狽した言葉がそれである(431頁)。

実に冷徹な殺人だ。そして、総裁の恐怖は察するに余りある。こんな殺人を平然となしうるのは、軍関係者しかいないであろう。「下山さんの殺害現場に、七三一部隊の人間がいたとお考えですか?」「そうなんでしょうな。悲しいことですが。…人間とは、なかなかこういうことを墓場まで持っていけないものです。おかげ様で、気分が少し楽になりました…。私にも、もうじきお迎えが来るんでしょう。でも…私はこの歳になってもまだ死ぬのが怖いんですよ。きっと、地獄に堕ちるんでしょうな」。そう言ったA氏は微かにほほ笑んだが、「遠くを見つめる両目には、いつの間にか涙があふれていた」(474-5頁)。地獄の責め苦が恐ろしくて、死ぬに死ねぬとは、痛ましい話ではないか。

部隊の人間はどう調達されたのか。著者は明言していないが、亜細亜産業に出入りしていたその生き残りであったに違いない。亜細亜産業の如何わしさは計り知れない。社長の矢板玄と関わり、世話になった人間は多様である。佐藤栄作は彼を通じてGHQのウィロビーの尽力で、兄岸信介のA級戦犯の解除を勝ち取ったし、吉田茂も無縁ではなかったと言う。吉田の懐刀である白洲次郎は会社の慰安旅行記にも参加し、写真に収まっているほどである。

これを見ても、相当なものだと察せられるが、さらに満蒙から帰還した矢板玄はじめ児玉誉志夫、笹川良一ら軍部を裏で支えた秘密機関の主催者やその周辺にまつわった小佐野賢治のような人物たちが蠢く場所であった。ここには阿片王の名を冠せられた里見甫(はじめ)の名もみられる(彼については佐野眞一『阿片王 満州の夜と霧』(新潮社2005)が面白い)。そうであれば、社の秘密の漏洩を恐れて、社員は身内でなければならなかったのであろう。著者の叔父、叔母たちが、祖父の引きで社員であったのはそんな理由からであり、彼らから著者は当社の秘密を聞き出すことが出来たのである。

では、下山総裁はなぜ、そんな酷い拷問を受け、ドンナ自白を迫られたのであろか。次回はこれを記して、この項をホントに終えたい。


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