• 11月2日・金曜日。晴れ。本日より本論に戻って、10月9日・火曜日の論述に繋げたい。ほぼ一か月の思考の中断により、話の接ぎ穂を得るに、当方にもやや戸惑いあり。

    11月6日・火曜日。雨。本日、世界が固唾をのむアメリカ合衆国の中間選挙の投票日である。トランプ大統領の2年間の政治的成果が問われ、その結果は全世界に対し甚大な影響を及ぼす。諸外国がこれほど注目する選挙は、近年希ではなかろうか。なお、前回の文章にかなり手を入れた。

     

    私がこの記事に惹かれたのは、ここには「人口減少時代のまちづくり」のヒントなりエッセンスが詰まっていると感じたからである。以下それを要約しておこう。

    1.地域の自然資源の徹底的な活用が先ずあげられる。両町の場合、それは森林から切り出した豊富な樹木である。建材や各種木工用の製材加工から木酢液の抽出さらにバイオマスとしての活用などである。特に下川町では、そうした取り組みから温水や暖房用の熱源を引き出し、少なからぬ予算の節減をみた。のみならずシイタケ栽培が軌道に乗り、大手製紙会社の薬用植物研究所を発足させたようである。

    2.域内での生活に展望が開けると、自然の中の暮らしに惹かれた移住者が見込まれるばかりか、現に「昨年度は転入者が転出者を21人上回」る成果を見た。この点を評して、国谷裕子氏は言う。「地域の資源を上手に使って外から人を呼び込むことで、町の持続性を高めている」。

    3.こうした域内資源の地産地消をベースにした経済的仕組みを整える事で、地域は基本的な経済的自立への道を歩み始める事が可能となる。この事の意味は重要である。周辺都市圏への不必要なまでの依存が縮小され、都市経済の事情に左右されにくくなるからである。そうした町の意志と覚悟は、三井物産の子会社が提案した大規模なバイオマス発電への協力を拒否した町議会の姿勢からも明らかである。これを受け容れれば安価な熱源の購入が見込まれたのにである。反対派によれば、「これまでの地域に根ざした仕組みが取って代わられ、町内で利益が回らなくなる」との危惧があったからである。つまり、会社提案にのれば、町は結局会社に依存せざるをえないことになり、そこから上がる利益は町には還元されないこともあり得る。のみならず、経済事情によって、会社の撤退と言った深刻な場面に、町は逢着するかも知れない。

    4.最後に、これら一連の取り組みは、全て住民を主体にして実行されたことであり、その重要性はこれまでも様々な地域のリーダー達によって異口同音に語られたことであった。ここでも当プロジェクトに反対した町議は言っている。「住民といっしょに将来を考える必要がある。今回こういう形で立ち止まったのだから、対話を積み重ねたい」。

    以上の項目に5.地域の歴史・風土、すなわちその地域が今日に至った成り立ちと、この点と重なるが6.文化性を加えれば、「町づくり」についての考慮すべき基本的な論点は摘出されたことになろうか。ただしこの点は改めて考えてみなければならない。

  • 10月15日・月曜日。曇り時に雨。秋色愈々深し。本日は突然ながら本論を休載したい。前職の政治経済学部より『政経フォーラム』連載の「OB近景」なるコラムに我が近況報告の依頼(締め切り今月末)を受けたためである。以下はその下書きであるが、お付き合い頂きたい。

    10月19日・金曜日。曇り時に小雨。承前。なお前回の文章に多少手を入れる。

    10月22日・晴天。前回の文章の推敲。興味のある方はご一読あれ。思考の進みが分かります。

     

    「サプリ漬け何かが効いてまだ動き  みつお」    金子光男

    タイトルは数年前の賀状に付した川柳から取った。チョイト鈍くなったが、今の所何とか動けてはいる。大学監事と会社役員の「二足の草鞋」を履きながら。ただ用のない暇の折々は酷いもので、昼寝だか夕寝だか分らぬ長い惰眠にふけり、か細い読書で日を過ごす。以下では、この会社役員なるものの「奮闘記」を記して近況報告に替えさせて頂こう(監事職も気の抜けぬ職務ながら、大方のご推察の通りだからである)。

    会社は(株)中央クリエイトと言う。補償・建設コンサルタント、各種計量証明・測量業務を主とし、今期18年、15億円ほどの年商である。東京本社(早稲田)を初め北陸、中部、関西地区に支社を置き、社員は現在116名(契約社員14名を含む)を数える。補償業務部門での業績は毎年業界トップ5を下らない。なお、当社は日本音響学会、交通工学研究会、社会環境学会に属し、技術系の会社としては当然の事だが、それでも私から見て中々勉強熱心な会社であると言っておこう。

    創業者は竹馬の友・朝日健介である。彼とは文京区立小日向台町小学校1年1組から6年間、同じ1組の同級生として過ごし、爾来、付き合いは続いてもはや半世紀を超えることに。因みに、同校は荷風の母校であるとは坂上博一先生の大著『永井荷風論考』(おうふう 2010)で教えられた。荷風と同窓とは誠に嬉しく、小日向台に位置し歴史ある同校の事、調べれば誠之小には及ばぬまでも、多くの偉人を見るのではなかろうか。

    このアサヒが創業の折、「カネミツ、手伝わないか」とボソリと言った。戯れに(但しかなりメジカラを込めて)、「給料は」と訊けば、「出す」。面白そうだし、一も二も無く承諾する。と言って、当時私は歴とした専任教授の身である。二つの専任職はありえない。折しも社外役員が取りざたされた頃でもあり、その流れに乗って社外監査役として収まった。

    今やその私が社内一番の古株となった。アサヒは既に身を退き、大株主として鎮座する。にも拘らず、いまだに私は業務の内容をほとんど知らない。監査役当時、2ヶ月ごとの役員会に出席するだけで良かったのだから。今にして思えば、役員会での私はかなり大部な配布資料と各役員の報告に対し、知らぬを良い事に怪しげな質問と難癖を付けていただけのような気がする。アサヒはこれを苦笑まじりに見逃し、役員たちも大学の先生の言う事だからと許して呉れたのだろう。大学退職後、晴れて役員として本社に通い出す。勤務の日時は決まっていない。その日の都合と私の気分や体調次第になる。何しろ、後期高齢者ですぞ。それでも最低、週1,2回は出社し、出たからには勤勉かつ誠実(?)に、せめて3,4時間は働いていると、申告しておこう。

    本社に顔を出すようになったからと言って、突如、私が業務に精通し出した分けではない。現場に出たこともないのだから、それも当然である。だが、社内でブラブラされては社員は困ろうし、邪魔になるばかりだ。その位の分別は私にもある。そこで私は一大発起し、「金子光男の手紙」なるブログの発信に思い至った。見たことはあっても、触ったことはないパソコンに、古希を超えての挑戦である。まさに「70の手習い」だ。これぞ大決心と言わず何と言おう。こうしてオッカナビックリ、根岸社長の手ほどきを得ながら始めること、早や5年。何とか文字だけは打てるようになった。アトは何も知らない。

    発信される手紙の内容はドウか。今日まで当社の宣伝めいた文章は一度も書いたことはない。仮に書けと言われても、何も知らない身としては、書きようもなかろう。だから「心に浮かぶよしなしごとを」徒然に記すばかりであった。来し方の研究の要約やら関心を引いた書物の書評、評論、政談等々を綴ってきたまでである。となれば、やはり多少の読書は必要になる訳だ。そして、今は「社会のたたみ方」と題する論文(?)に取り組んでいるが、少子高齢化に喘ぐわが国社会の向かうべき将来像を、私なりに描いてみたいと思ったからである。

    かくも我儘な「手紙」が当社にとって何か役立ち、給料に見合う仕事になっているのであろうか。流石の私も気になって、そう洩らせば、根岸社長の返答が素晴らしい。「仕事に関係のないお話のお陰で、業界とは全く無縁の方々にもクリエイトの社名が知られるようになりました。また、毎週、ブログが更新される事で信用もつき、これまでお付き合いのない会社からも引き合いが来るようになりました。もしかしたら、先生が一番の働き手かもしれません」(社長、確かにそう言いましたからネ。今更、忘れたといっても駄目です)。

    それにしてもである。もしもこの言葉がお世辞ではなくホントであれば(我にもなく弱気だが、とてもホントとは思えない)、現実の出来事には汲み尽くせないほどの内容と意味が込められているのだと、改めて思い知らされた。私がこの事実を学んだのはリッケルトやヴェーバーからであったが、彼らの教えはここでも正しい。この手紙にそんな意味が潜もうなどとは、夢にも思ったことはないのである。とすれば、今日までの我が振る舞いの危うさよ。それらが思いがけない形で周囲に迷惑をかけ、あるいは誰かを励ましたかもしれないと思うと、何か落ち着かない気にもなる。そして、唐突ながら、杉田水脈衆議院議員には、とくとご自分の文章の怖さを学ばれる事だ。

    だが、こう言ってはきたが、実は私は「手紙」ばかりを書いて来た分けでも無いのである。役員会では、確かに自らの職務を果たしている。曰く。若い役員たちを叱咤し、社員教育の重要性と仕組み造りは独壇場である。当社は今、各種の資格試験に取り組もうという社員を資金的に支援し、資格取得者には給与に反映される制度を整えた。その成果は徐々に出始め、意欲的な社員が増えて来ているようにも思える。あるいは、経験の浅い会社故の制度的不備等の目配りも怠らない。これらについては、大学時代でのわが行政的な経験がそれなりに役立ち、翻ってそれは現在の大学監事の職務に幾分なりとも反映されているかも知れない。と、やや自慢めいたことを言わせて頂こう。

    しかしコンナ自慢話以上に、クリエイトに関わることで、私はこれまで実に多くの事を教えられてきた。長年、経済思想史の講義のために、社会諸事象の問題について、ジャンルを問わず、多少なりとも本を読んできた心算である。しかし現実が示す生々しい事例は、時に教科書的な知識を越えた凄味がある。殊に建設業界内部の仕来りや関係、役所からの仕事の発注、応札の仕組みを知れば(しかもそれは各自治体によって多様である)、規制緩和とその浸透性はドウなのか、と考えざるを得ないような不思議な場面にしばしば遭遇させられる。さらに、現場における金融機関との交渉の機微などは、単なる預金者の立場からでは伺えぬ事態であろう。

    最後に、世の経営者に申し上げたい。社業の発展を願うなら、是非とも歴史家を迎えなさい。歴史家なぞ使い物にならん、と言う莫れ。「歴史家に七徳有り」との言葉があるのをご存知か。曰く。達意の文章、類いまれなる記憶力、浩瀚な知識に透徹した洞察力そして時代を見抜く先見性…(あと2つは忘れた。となれば、わが記憶力は類い稀ではありません)。かくてたちまち御社の問題点を捉え、時代に漂流する社の進路を定め、向かうべき港にシカと導いて呉れるであろう。ここまで見越して私に声を掛けていたならば、アサヒは確かに偉かった。

  • 10月5日・金曜日。雨。過日、仕事で久しぶりに金沢市に行く。金沢城を中心にした保存と開発の街造りから多くを教えられる。本稿のような問題を抱えていればこそ、そのような所に目が向いたのであろう。

    10月9日・火曜日。晴れ。

    まず、SDGsとはSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略字であり、「すべての国連加盟国が2030年までの達成を目指す、貧困や教育、環境など17分野にわたる目標」と説明される(なお、政府のこれらに対する対策は「持続可能な開発のための2030アジェンダと日本の取組」http://www.mota.go.jpを参照)。その内、両町の活動は、特に森林の持続可能な利用と経営を通じて森林資源の荒廃や枯渇を阻止し、こうして環境を保全しようとする分野に属するが、同時にこの活動はそのまま町の再生にもつながるとしたのであろう。と言うよりも、町の再生には政治や行政の動員力を考えれば、SDGsは強力な梃子になりうる。であれば、これを積極的に利用した町造り、と言った方が適切であるかもしれない。

    では、その具体的な取り組みとは何か。上記のように、両町は北と南に位置するものの、いずれも消滅すら意識せざるを得ない山間の町である。人口は下川町3340人(平成30年)、小国町7420人(平成29年)であるようだ。両町に有るのは森林ばかり。下川町は、町域の90%がトド松、カラ松の森林で占められ、小国町の場合は8割と言う。多雨多湿のお陰か良質な小国杉が育ち、さらに当地では、杖立温泉のような湯治場も開けている。

    わが国の林業が立ち行かない、と言われてすでに久しい。安価な外国産木材の洪水的な流入に押されたためである。山から人が消え、間伐もままならず、山は荒れた。両町もその例に漏れない。殊に下川町(以下は同町のみ触れておく)では、頼りとした下川鉱山、三留鉱山の閉鎖(1980年代)がさらに苦境を増した。こうした中で、同町はすでに1950年代から林業を産業基盤にしようと、町有林を買い増し、林道等の整備に取り組んできた。かくて、「町は森林資源を守るため、植林→育成→伐採を60年で一回りさせる「循環型森林経営」という手法」を確立させた。

    それに至る道が平坦でなかった事は、上記の通りであるが、ともあれ現在は下記のような状態を維持するまでになった。「切り出した木はすべて使い切る。」それは製材、木炭、ガーデニング用品、殺菌剤用の木酢液の抽出にいたる。森林バイオマスによる熱供給は、現在、11基のボイラーを稼働させ、役場、学校等に暖房や温水を供給し、灯油に比して年間予算の1900万円を節減させた。さらに地元の資源による「熱の自給率は公共施設で約7割、町全体で5割にのぼる」。他にも「森のある暮らしを求めて移住者」がふえ、昨年度は転入者が転出者を21人上回った。確かに、こうした結果が「地域の資源を上手に使って外から人を呼び込むことで、町の持続性を高めている」と言えるほどの成果として誇れるものであったかどうかはともあれ、しかしここには町再生にむけた多くの示唆があることは確かであろう(ここでは割愛したが、小国町の場合も考え方や論理は同様であると見たい)。

  • 9月28日・金曜日。晴れ。前回の文章、後半にかなり手を入れた。

     

    本日から章を改める。とすれば、予告の通り2章が続くはずであるが、意を翻し本稿の3章か4章にあたる部分を先に書きたい。すなわち、衰退する地方社会の蘇生、活性化への道、そこから浮き上がる地域社会の姿である。言うまでもなく、これこそ本論の狙いであり、拙論の眼目であるが、先にこれを書くことで、私自身のイメージを自分のために鮮明にしたいからである。書く作業を通じて、人ははじめて己の思念や思考を具体的に手にし得る、とは我がこれまでの研究生活から何度となく教えられた教訓でもあった、と一言しておく。

    であれば、以下はいまだ纏まりのない、様々なイメージの断片であったり、互いに齟齬する記述に終わる部分も多かろうと思うが、これは一つの構想が生るための生みの苦しみ(?)として、読者もそれを楽しみつつ共々お考えいただきたい。

     

    この秋分の日、朝日新聞1面を飾ったのは「2030SDGsで変える」と題し、「まち再生へ 森林フル活用 北海道・下川町」、「熱供給・産業…余すことなく」を見出しに掲げる記事であった。さらにこれは2面の全面に引き継がれ、下川町と共に熊本県小国町のやはり同様の事例が励ますような筆致で記述された。いずれの町も山村に位置し、人口減少による「消滅可能性」の危機に瀕するが、その難題に抗して森林を最大限に生かし、果敢に再生を目指す町として紹介されている。ここには、根底において筆者と同根の価値観と共感しうる多くの主張が認められることから、以下その内容を摘記しつつ、本章を開いていくことにしたい。

  • 9月18日・火曜日。曇り。夕刻には昨日に続きゲリラ雷雨の予想あり。前回の文章に手を入れ、本日は鉄道支線廃線に関する賛否両論を付す。よって本注、やたらに長くなる。

     

    上記の鉄道存続論に対しては、当然、賛否の両論があり得る。朝日新聞・オピニオン欄(平成30/9/11/火)には、こうある。まず賛成論としては、「路面が凍結する真冬は特に、鉄道をはじめとする公共交通機関が頼り」であると共に、日本の宝とも言うべき北海道の観光資源を生かすためにも「点在する地域の魅力」を繋ぐ鉄道の保全を願うとする。

    他方、JR再編による鉄道存続論は、すでに歴史的使命をおえた北海道の鉄道に対する「ノスタルジックな願望」に過ぎず、よって本論は「JR他社の利益移転を求め、赤字鉄道を存続させる」ばかりで、「将来世代に対して無責任」な「愚策」とするものである。例えば首都圏を見てみよ。ホームの転落防止策、満員電車の解消、老朽施設の更新等と言った課題は山積しているではないか。北海道ばかりか、どこであれ、赤字路線の存続はそれらに必要な資金を吸い上げてしまうであろう。であれば、北海道の鉄道対策は、「増えるかどうか不確かな観光客や他人の財布を当てにした延命措置」にあるのではなく、「遠距離は空路と高速バス、近距離は高齢者の通院・買い物支援の地域バス等の充実」であるとする。

    こう見ると、両論の説得力の優劣は歴然としているように見える。一方はノスタルジックな夢物語りに立つのに対し、反対論は現実の問題にシカと向き合っているかのようであるからだ。夕張市の廃線政策もこうした線上で決せられたのかも知れない。しかしここにあるのは、市内住民への視線だけであり、原氏の指摘の通り、その限りでの合理性でしかない。インバウンドの発想は希薄、と言うより皆無に近い。何しろ、来るかどうか覚束ない観光客の財布を当てにするような対策、とまで言われるのだから。だがかような主張は観光業のみならず、ひいては商業活動そのものの否定に繋がりかねないのではないか。商業とは、所詮は他人の財布を当てにする営みであろうから。

    すでに見てきたように、地域の活性化は、地域を閉ざした形でやりとげることは、まず難しい。殊に、住民の減少と高齢化と言う二重の圧力にさらされ、縮小化への危機が迫る地域の場合は特にそうである。その流れに対抗し、これを転換させる政策、妙案など、そうザラに思いつくものではない。だから安易に、中央から産業を呼び込み地域の活性化を図るのだ、との主張だけは願い下げである。これまでもそれに類した対策を必死にやって来た挙句、ただ今現在の地方があるのではないか、と言いたいからである。もはや地方が求める道はそれではなかろう。