• 3月1日・月曜日。晴れ。本日は予定を変更し、先月献本された書籍の読後感を兼ねた礼状に代えさせて頂く。長文の上、専門書の読後感であり、分かり辛いに違いないが、興味があれば、挑戦されたい。

    3月3日・水曜日。晴れ。

    3月5日・金曜日。曇り。

     

    前略、いつまでも鬱陶しく、心配の多い日が続いておりますが、お変わり無きことと存じます。当方は、日々、未明の4時頃の就寝、起床は13時前後と、相変わらずの自堕落な生活ぶりで、旧同僚からは、よくそんな事が出来るものだと呆れられる始末です。そして、この3年間ほど、ハリ治療のため、有明の鍼灸大学に月1,2回、時に仲町経由で出向いております。そんな折には、この辺りに先生がお住まいではと推測し、あるいは東雲、月島界隈の様変わりに驚愕しております。元は江戸湾の直中に、かようなタワーマンション群を湧き上がらせ、先行き大事ないのか。かほどに技術を信頼してもよいものか、と。それ以外には、週2,3日、役員を勤める中央クリエイト社の早稲田本社に出かけては、「金子光男の手紙」なる怪しげなブログを書くなどして、まずは息災にしております。

    さて、過日は御著『転換期ドイツの経済思想 経済史の観点から』(日本経済評論社)ご恵贈賜り、誠に有難うございました。丁度その頃、翻訳モノの大冊『ダーク・マネー』(東洋経済)に取り付いておりましたが、ようやく手離れ、御著を読了した次第です。久しぶりの学術書との格闘に、ヤワになった頭で太刀打ちできるものやら危ぶみましたが、時間を要したものの、充実した読書となりました。以下、簡単な読後感を記し、遅ればせながらの御礼とさせて頂きます。

    従来、わが国の経済学史の教科書では、ドイツ経済学と言えば、イギリス古典学派の一般理論に対抗したF・リストの説く発展段階説とそれに基づく保護主義的な経済政策を出発点に定め、その後新旧の歴史学派の、これも反古典派的な歴史主義にたつ方法論的解説(その典型はシュモラー対メンガーの方法論争でしょう)が主であり、ドイツには独自の経済理論は無きかの如き印象でした。とは言えここでは、大河内一男『独逸社会政策思想史』(上・下、日本評論社)の記念碑的な大作は、わが国の歴史学派研究の一頂点として、是非挙げておかなければならないでしょう。

    そうした傾向に対し、最近、八木、原田両氏等のご努力によって、ようやく未開の地にも石斧が打ち込まれ、新生面が開かれようとしてきたようですが、それでも古典学派の研究に比すれば、いかにもその手薄さは覆うべくもありません。そうした状況での、御著の刊行は、この分野における今後の研究の指針として多大なる貢献を果たされるのではないかと拝察いたします。この事を私は、特に「経済史の観点から」との副題を添えられた本書の方法論的な意味に留意して、申し上げたいと存じます。

    御著3章以後で展開される、L・H・ヤーコプ、G・フーフェラント以下のドイツ古典派経済学者の解析は、実に興味深く拝読しました。彼らは、スミス由来の労働価値説―生産費説=価格論―分配論―蓄積論の線上で、再生産過程を過たずに理解し、その理論を歴史的に規定され、それ故英国とは異なるドイツ固有の社会・政治・経済構造の分析に応用しつつ、イギリス古典学派のいたらぬ論点を補正し、またドイツの現状に即して理論的な改良がなされる。こうして、自国が置かれた現状の政治・経済的な改変、政策提言へといたる過程が、手に取るように解明される様は、誠にスリリングなものでした。

    この限り、経済学は単なる知的遊戯などでは断じてありません。「国民経済学」として国家制度の改造の学となり、それはさながら、医学が人体を腑分けし、病巣の摘出とその病理の解明、そして治療に向かう過程と同断です。翻って、分業化の極まった現代経済学の場合はどうか。ここにもそれほどの力があるのだろうか。そんな印象を持たざるを得ません。何しろ、この10年来2%のインフレ達成を目指して、ゼロ金利どころか、マイナス金利にまで落としながら、目標は達せられないばかりか、過剰流動性から株価上昇、格差の拡大を招来するばかりの経済学なのですから。

    古典派のドイツ移入の問題は、比較史的な方法を必然的に内包します。そして、それもまた本書の魅力の一つです。比較史研究に精通された先生を前にして、これを申し上げるのは面映ゆい限りですが、ヴェーバー比較論に興味を持つものとして、敢えて一言いたします。ドイツに移植された古典派は、上記のように、ドイツの政治経済的な基礎課程に規制されて、当然のことながら改変されます。しかし、それは英国古典派理論の有効性と限界を照射することになりましょう。例えば、リストによる生産力概念の精緻化、スミスでは分断されていた使用価値と交換価値(水とダイアモンドの事例)の問題については、主観価値が重視され、J・B・セーと共に後の経済学の発展に寄与いたしました(ここでは、C・メンガーが想起されます)。にも拘らず、労働価値論に立脚する古典派再生産論は、ドイツでも揺るぎなき妥当性を証明しました。御著の後半での論述が、その証です。

    しかし、本書の表題に掲げられた、転換期の経済思想が孕む変革力の問題は、俄然、リスト考においていよいよ明らかにされます。理論が理論に止まらず、人々を糾合し、一つの運動体となって、社会・政治・経済機構を揺るがし、ついにドイツ領邦的絶対主義の体制が、「ドイツ三月革命」の到来によって、一時、確かに瓦解したのです。それを可能にしたのは、まずは体制の根幹を抉ったリストの理論的な解明にありますが、彼のこの理論を受容したばかりか、政治化し、それをドイツ全土にまで拡大した、思想の共鳴盤とも言うべき社会層との邂逅が無ければなりませんでした。

    この社会層とは、ここでは経済活動の中核を担う企業家達、中小の農業家や商人層であります。彼らは、日々の経済活動で直面する数々の制度的な掣肘、領主的人格支配の理不尽さ、過酷な納税・賦役や不自由に困窮し、それゆえこれらの桎梏からの解放を真に切望する人々でした。しかし彼らの多くは、いまだそれらの困苦と窮状、そしてその背後にある真の原因を明確な言葉で、捉えきることは出来ません。リストはそんな彼らに明確な理論とヴィジョンを示したのですから、彼の主張は寒天の慈雨とも受け止められたことでしょう。その様は、旧約の予言者たちが、ユダヤの民の堕落と悔い改めを迫り、救済の方途を指示した道筋に重なります。

    リストは先ず、故郷のヴュルテンブルグの社会層を捉え、そこから立ち上がった改革のうねりは燎原の火となってドイツ全土へと波及してまいります。その過程は、本書中の白眉であり、リスト思想の現実変革力をまざまざと見た思いでした。この時、理論は確かに、政治経済的な基礎と結んで、思想へと転換されたのです。

    とは言え、本書の興味は以上に尽きません。私と飯田の各古希記念論集に寄せられた、二本のルター論考がそれです。マルクスが認めたとされる、ドイツ初の経済学者ルターの再評価とその彫琢は、実に鮮やかです。当時のドイツ経済の基礎課程を背景に、彼の経済学が徐々に浮かび上がる場面は、かつての内田義彦『経済学の生誕』のドイツ版を見る思いでした。

    そして、最後に申し上げるべきは、「言葉」のもつ力です。40年前、小林昇氏の一言が、この度の新著に生かされたとの由。常々思うのですが、言葉は多くは「事の端」として消え去るものでありながら、ある決定的な一言は「言霊」となって、心に根付き、影響し続けるものである、と。私が付属校長の折(5年間を努めました)、毎回小分けにして、その年次の高校3年生の全員を校長室に招き入れ、各3~40分の懇談を持ちました(総じて一千名近くになったでしょうか)。その折は、決まってそんな話を繰り返したものです。御著を読み、久しぶりにその事を思い出した次第です。と言って、わが言が何人の生徒たちの心に落ち、言霊になり得たかとなると、とても小林先生のようには行かなかったと存じます。

    本書については、なお語るべき論点は多々ありましょうが、それらを汲みつくすことなど、私には及ぶべくもありません。以上をわが読後感として、ここらあたりで一先ず擱筆させて頂きます。コロナ疫病の消長はいまだ定かではありません。どうぞご自愛の上、お過ごしください。

  • 2月24日・水曜日。晴れ。前回の文章、やや加筆した。

    2月26日・金曜日。曇り。足利市周辺の山火事、いまだ鎮火せず。住民の恐怖を思う。

     

    わが国での外国人労働者や実習生の存在が、いまやわが社会にとっていかに重要であり、彼らは単に経済活動の維持どころか、地域の生存や存続にとっても不可欠な役割を担うに至っているについては、本欄でもしばしば触れてきた(本年1月末から2月初めの項を参照)。こうなった最大の原因は、わが国の高齢化と少子化による、総人口の減少である。彼らは、その減少分、特に生産年齢人口を補充する中核的な存在なのである。この傾向がさらに続けば、いずれわが国は移民国家、多民族国家への歩みを辿らざるを得なくなるだろう。これが先の筆者の結論であった。

    だがこの予想は、何か特別な事を言ったのではない。毎年発表される人口推移の統計表からも人口減少は疑いなく、その先にあるのは、形はどうあれ、結局、移民を承認する他はないからである。だが、問題はそれで終わらない、それでは済みそうにないことである。それは、どう言うことか。

    最近、わが国は縮小社会に向かうと予測する書物の刊行が続いているように思えるが(その一例を挙げれば、河合雅司『未来の年表』・講談社現代新書2017、NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』・講談社現代新書2017他)、筆者もその流れに与する者の一人であることは、今さら改めて言うまでもなかろう。これはたしかに、楽観よりも悲観的になりがちな、わが思考癖や性分によるものであることは間違いない。だが他方で、地球の復元力を越えた環境破壊、地球温暖化、資源問題、大量破壊兵器等を目の当たりにし、にも拘らず科学技術を駆使したグローバルな経済発展を、これまで以上の規模で推進しようとする各国政府の政策が、地球の先行きを憂慮させる一因でもあることは、言っておきたい。

    だが、こうした開発・発展はいよいよピークに達しつつあり(これまで残されていた経済フロンティアであるアフリカ大陸と南米大陸が蹂躙され、そして地球の両極も開発の射程圏に入りつつある。やがてそれらの大森林や埋蔵資源が乱開発されるかと思うと、空恐ろしいものがある)、人口問題も地球規模で限界に突き当たり、日本社会もその隘路にやがては逢着せざるを得ないことになろう。

    さて、以上を考えるにあたり、参考となる文献はD・ブリッカー/J・イビットソン著・河合雅司訳『2050年世界人口大減少』(文藝春秋・2020)である(以下次回)。

  • 2月17日・水曜日。晴れ。前回の文章、やや訂正した。

    2月19日・金曜日。晴れ。本日、一読者から、外国人技能実習生制度に関する貴重なコメントを頂戴する。25年前に、国の責任で導入された本制度には、当初から「劣悪な労働環境とかブローカーの介在とか人権侵害」が指摘され、今なお改善されていない現状に憂慮するとある。同感である。

     

    本日は「閑話休題」、主題からやや離れた題材を扱ってみたい。昨日(16日)のNHKテレビのニュースに触れて、そんな気になった。事は、将棋界の至宝・藤井聡太二冠(王位・棋聖)の高校自主退学に関するものである。それにしても、一高校生の退学が、NHKで取り上げられる程の重要事になったこと自体驚きであるが(こんな事がかつてあっただろうか)、それだけ二冠の活躍が将棋フアンを越えて、国民的な関心の的になっている証であろう。これは、一愛棋家を任ずる筆者としても、誠に喜ばしい。

    ただ、ここでの話柄はそれではない。高校卒業まで2ヶ月足らずになっての決断に、折角ここまで来て、いかにももったいない、自分が親であれば、何とか思いとどまらせただろう、親御さんのお気持ちはドウであったか、との筆者なりのジレンマを記してみたいのである。

    ここで「もったいない」という気持ちは、何に発することであろう。高校卒業で得られる卒業証書と、それが保証する今後の人生上の可能性の放棄があろう。高卒の資格がなければ大学には進学できない。他にも、就ける職業が限られる。学校とは、様々な意味と機能をもつが、こうした資格授与機関としての機能は特に絶大であろう。

    これらの可能性を、藤井二冠はあと2ヶ月を待たずして、自ら打ち捨てたのである。かつて、大学付属中学・高等学校の校長職を5年間務めた筆者としては、「エーッ」と、ただ絶句する他はなかった。師匠の杉本八段もそんな印象を漏らしておられた。もちろん師匠は、それに続けて、直ちに弟子の決断を諒とし、むしろ将棋にかける覚悟を讃えたのである。師の思いの深さが伝わる一齣であった(なお、この二人の師弟関係については、いずれ触れてみたいと思うほどに、好ましいものがある)。

    しかし、こうした考えは、これまで学歴という資格と組織の中に身を置いて生きてきた筆者のような者の考えに過ぎない。制度的な保証を全く当てにせず、自らの実力のみで生を送れる人びとにとっては、そんなものは何でもないのであろう。筆者が心酔した升田幸三は、13歳の折、広島県の実家を家出同然の身で、大阪に出奔し、遂に実力制第四代名人に就く名棋士であった。氏は、政界、財界ほか各界の名士の多数を惹きつけ、またその豪快にして構想力あふれる棋風が―升田幸三賞につながる、独創的な手を生涯求め続けて「新手一生」の言葉を残した―、若い才能を棋界に呼び込んだのである。筆者は、専門棋士の幾人かから、直接そう聞いたことがある。

    藤井二冠の自主退学は、実に思い切りがよい。その背後にどれ程の危険と未練があろうと、それをスッパリと切り捨てる爽やかさがある。それは彼自身の将棋と瓜二つであった。二冠の終盤の切れ味の鋭さは、とても十代の覚悟とは思えぬものがある。敵玉に迫る手順に遅滞はなく、息つく間もなく詰ましてしまう。そのスピード感と迫力に、対局者はなす術もなく、ただ茫然とさせられるだけであろう。

    それにしても、ここでは大山康晴十五世永世名人が、将棋の強さを問われて、「生き方である」、と答えた言葉が思い出される。この度の二冠の退学には、自身の将棋観が重なり、両者は一体であったのだ、と改めて教えられたものである(この項、終わり)。

  • 2月15日・月曜日。雨。

     

    これまで当欄では、外国人技能実習生が直面する惨状について触れるところがあったが、朝日新聞(朝刊・2/13・土)の「技能実習制度」なる面談記事に触れ、筆者としてもやや慰められるものがあった。以下は、ラタナーヤカ・ピアダーサ佐賀大学名誉教授の論評である。

    同氏は2014年から5年をかけ、中国、ベトナム、タイなどアジア8カ国の実習生、帰国後の元実習生の約1800人を対象に、主に日本での仕事の内容、給与面についてアンケート、面談をされてきた。その結論として、7割が「日本で得た資金と知識を元に、経済状況が改善した」と回答し、本制度は「アジアからみれば、貧困対策として機能している」とされたのである。

    たしかに、実習生は各地域の最低賃金で働かされていたが、それでもベトナムの元実習生の多くは、自国の平均月収の6倍以上の収入を得、滞在中に百万から三百万円ほど貯蓄ができたと言う。もっともその生活は、以前にも見たとおり、ギリギリのものであったのだが。

    ただし、本制度の趣旨である「技能移転を通しての国際貢献」については、理念倒れの感を免れ難い。受け入れ先の会社・420社に行った聞き取り調査では、実習生はもっぱら「労働集約的な繰り返しの作業」に就かされ、これでは何らかの技術の習得どころか、単なる労働力不足の補填に過ぎないからである。それは彼らの9割が、帰国後の職種を問われ「研修と関係の無い仕事」であった、と回答している事からも明らかであろう。それでも同氏は、「日本の会社が組織的に取り組む『5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)』やあいさつの仕方などを学び、帰国後の就職に役立っていた」と評価されたが、これは少しでもこの制度を擁護し、盛り立てようするピアダーサ氏の精一杯のサービス精神のあらわれではなかったか。

    このように同氏は、実習生制度のメリットを最大限引き出そうとされるが、にも拘らず、次の点は弁護のしようもない。「日本に来るまでに、母国で送り出し機関などに100万円近くの手数料を支払っている。職場を変えられない実習生はひどい目に遭っても借金返済のため働き続けないといけない。ブローカーの存在は制度の最大の問題だ」。「企業に労働関係法を守ってもらうには企業まかせにしないことが不可欠だ。コロナ禍で突然、解雇され、住むところにも困る実習生がでた」。

    では、どうする。「地域社会に開かれたシステムにすることだ。佐賀大の留学生は衣食住などで困ったときに助けてもらうなど地域住民に守られている。実習生は毎日、工場と会社の寮を行き来し、地域社会との交流がない。実習生の劣悪な労働環境を地域の人が知ったら許さないだろう」。至言ではなかろうか(この項、終わり)。

  • 2月10日・水曜日。晴れ。

     

    例の森喜朗会長の発言以来、政府他関係機関がその対応に追われているが、本日、五輪委が男女平等を推進するプロジェクトチームの発足を検討しているとの報道に接し、何か不思議な思いに捉われた。この度の五輪東京大会は、「スポーツを通じた平和で差別のない社会、全ての人々が参加できる社会を目指すオリンピック・パラリンピックの精神」に基づいて開催されるものであり、多くの企業もそれに「共感し…スポンサーなることにした」(トヨタ自動車・豊田章男社長)のではなかったか。

    つまり今大会は、平等で差別のない社会の建設に、スポーツの側からも貢献しようという、誠に崇高な趣旨と理念のもとに企画されたのであろう。健常者・身障者、男女、人種や民族・国家の隔てなく、全世界から選別されたアスリートたちが競技を競い合い、能力と努力の結晶がどれ程の高みに至るかを披露する。ここにあるのは、差別ではなく、地球上の人間たちが一体となった祭典である。そのすぐ向こうには、世界平和の建設がある。

    競技を観る観客たちはどうか。人々は自分には及びもつかない高度なパフォーマンスに息を呑み、魅了されるばかりではない。同時に、人間に秘められた能力の高さに感嘆し、勇気付けられ、そして「ヨシ、自分も」と明日への一歩の糧を得るのではないか。パラリンピックは、その意味でとりわけ意義深い大会である。筆者はかねがね、「オリンピック・パラリンピック」ではなく、「パラリンピック・オリンピック」と称すべきで、大会もそのように開催されたらどうかと感じているものである。

    今回の東京大会がそうした意図に発したればこそ、国民も企業もそこに共感し、後世に残る意義深い大会を目指して、コロナ禍の最中にありながらこれまで最大限に努力して来たのではなかったか。

    それが、開催まで僅か5か月そこそこの今になって、「男女平等を推進するプロジェクトチームの発足」を、五輪委は検討していると言うのである。ということは、上記の理念は五輪委にはそもそも無かったのか、共有されてはいなかった。あるいはそれは言葉だけの付けたりであり、本音はなにか別にあったと言うのであろうか。改めて伺いたい。わが国の五輪委は一体如何なる理念と目的のもと、また世界に何を訴えようとして、この度の大会を企画されようとしたのであろうか(この項、終わり)。