• 7月5日・月曜日。曇り一時雨。前回の文章、やや加筆・訂正した。前回、「この国は災害大国だ。今でも各地に、震災や噴火や台風被害で家を失った人間が大勢いる。」との一文を引用した翌日、熱海の大災害を見た。何か因縁めくが、これも、近頃、幽霊譚に類する書を読んでいるせいなのだろうか。

    7月7日・水曜日。曇り。熱海の土石流は、何年か前の山頂でなされた盛り土、宅地化の工事が遠因にあるらしい。凹凸のある山地を、大規模に埋め立て、あるいは削り、宅地造成したが、排水処置がずさんであったか、この度の大量の雨が滞留し、それが土砂となって元々の地形に沿って崩れ落ちた。これは、明確に人災である。このような事態は、昨年、本欄でも「宅地崩壊」の問題として扱い、この種の危険が大都市内のあちこちで発生しうる可能性を予告しておいた(2020年2月18,27,28日を参照されたい)。また、昨年(2/5)、逗子市で突然がけ崩れが生じ、60トンの土砂に巻き込まれた女子高生が命を落とした記憶がよみがえる。その前日、崖上に建つマンションの管理人は、亀裂を認め、管理会社に報告していたようである(NHK事件記者取材ノートより)。

     

    本日の話は、6/25(金)の論題に引き継ぐ。

    かつて都市の発展は、ある程度の経済的な成長の結果であり、それゆえそれなりの富裕国に見られる現象であったが、現在では都市化は、そうした先進国や中進国の専売ではなくなった。今やそれは、地球規模での現象であり、先進地域は言うに及ばず、アジアは50%に達し、アフリカも40%を超えるほどであり、もはや地球は「都市化した世界」となった(ブリッカー/イビットソン前掲書221頁)。

    だが、都市化は人口の減少を免れず、他の地域からの人口流入によって支えられなければ、都市は次第に縮小していくにもかかわらず、やがて周辺地域の人口減少によって、そこからの人口が流入しないとすれば、都市ばかりか、いずれ『世界人口 大減少』は必然となる。これがブリッカー/イビットソンの結論であり、筆者はこれを支持する。グローバルでみた人口増加傾向は、そろそろピークを越え、長期的には減少化していくだろう。これまでの、外国人労働者についての我が論及は、世界人口は急減すると言うこの主張に基づくものであった。

    地球上の人口がピークを打ったとすれば、いずれ国家間での競争が生じ、「遠からず移民に自国に来てもらうのは難しくなるかもしれない。だからこそ、少子化に悩む先進国は急いで移民に門戸を開放すべきである」(前掲書221頁)のに、それを閉ざそうとしている。ブリッカーらに言わせれば、愚の骨頂であるが、それ以上に、わが国の場合、折角来ようとしている彼らを虐待しているようでは、もはや見込みはさらに持てそうもない。政府をはじめ国民の、移民に対する意識を大転換しなければ、まさに手遅れになるのではあるまいかと恐れるばかりである。

    人口減少、高齢化率では、わが国以上に深刻な韓国は、北に対する軍事力の維持もまたゆるがせに出来ない課題を抱えているため、何としても出生率の回復は喫緊の課題である。それ故、人口不足の対応に、それこそ官民挙げての包括的な対策に取り組んでいるようである。出来るだけ人力を削減するために、民生用のロボットは勿論、地雷探索、戦闘用ロボットの開発にも余念はない。こうした背景の中、隣国はその一環として、移民政策を取っていると言うのである。それが如何に真剣であり、であれば国家政策として手厚いものになるのは、当然であろう。それに比してのわが国の取り組みはどうか。こんな事では、我われは世界からも、隣国からも大きく遅れを取ることにはならないだろうか(ジャパンタイムズ・5/27・「韓国人口危機、世界に警告を発す」より)(この項終わり)。

  • 7月2日・金曜日。雨。

     

    今月はわが誕生月であり、4日後の6日、78歳となる。それが目出度いことなのかどうか判然としないが、今に至るも、こうして何事か為すべき仕事を持ち(?)、ヨロヨロ乍ら動き回れることには、感謝したい。

    それにしても、過日の八街市の小学生を巻き込んだ事故は痛ましかった。まだまだ先のある、そして何の落ち度もない児童たちの命を、一瞬にして奪ってしまった。傘寿近くまで永らえた筆者からすると、まったく理不尽な話である。飲酒運転の罪は厳しく罰せられるべきだが、歩道も無いあんな道路を、長年、通学路として放置してきた行政の怠慢も断罪されなければならない。

    「市は現場周辺に、通学路であることを運転者側に知らせる路面表示を設置した。さらに、歩道を整備したり、信号機の設置を県警に要請したりする方向で検討を進めていたところ、今回の事故が起きた」(朝日新聞6/30・水)と、弁解しているようだが、こんな対策を実施するのに、一体、何年かけ、どれ程の犠牲を払えと言うのか。

    筆者は、「方向で検討」していたという市の言葉それ自体を嘘ではないかと疑う。この種の事故は、常に検討の矢先に起こるが、このような言辞を弄して、行政の怠慢を言い繕うのは常套手段である。第一、こんな事は何年も検討しなければならないことなのか。現場は、7m幅の道路で、大型車の行き来が困難な上、「抜け道になっていて、飛ばす車も多い」ため、地元はとうに対策の要望を出し、市は十分、危険な状況にあることを認知していたのである。すでに5年前の16年3月には、同市教育委員会は、「市通学路交通安全プログラム」を定めて、危険個所を特定し、信号機の設置要望や対策を進めていたとあっては、市の弁明それ自体が無効である。

    自公連立政権の唱える「安全安心」な国造りとは、一体いかなる国なのであろう。一人の選挙運動に1億5千万円の資金を惜しげもなく出す政党が、児童の通学路も十分確保できない政策とは、これをどう考えれば良いのか途方に暮れる。この度のワクチン等の諸問題でもそうだが、国民の基本的な生存権も守られず、リニヤだ、デジタルだ、オリンピックだなどと浮かれていられるほど、我われは豊かなのだろうか。

    「この国は災害大国だ。今でも各地に、震災や噴火や台風被害で家を失った人間が大勢いる。災害時に被害を最小限に食い止める方法はあるが、金がかかるから、なかなか国はそれを実行に移さない。そのくせ、オリンピックだの、派手に見えるプロジェクトには湯水のように金を注ぎこむ」(福田和代『東京ホロウアウト』339頁。東京創元社・2020)。上は、ある小説からの一文であるが、まさに筆者の思いを言い当てた。つまり、わが国の国家予算はその配分において決定的かつ根本的な誤りがあるのではないかという危惧である。だが、これは筆者の単なる思い込みに過ぎないのであろうか。衷心より、教えを乞う(以下次回)。

  • 6月23日・水曜日。曇り時に雨。先週18日(金)、一回目のワクチン接種を受ける。左腕の鈍痛がかすかに残るが、その他は問題なし。そんな中、こんな川柳を捻る。

    MLB リトルレベルか オオタニさん   みつお

    ホームランバッターならぬ、ホームランピッチャーなんぞは、三角ベースか、あっても高校球児までの話である。筆者の代表は王選手であった。それを大谷は、メジャーで事も無げにやってのける。しかも進化し続ける現在のメジャーでのことであれば、彼の偉業はすでにルースを抜く。

    6月25日・金曜日。晴れ。それにしても、この所の五輪組織委員会には楽しませて頂いている。こんな句が浮かぶ。

    五輪委のやること為すこと吉本級

    吉本がマジでスカウト五輪委を     みつお

     

    五輪委の発想とその規模の大きさは、通常人の度肝をぬく。日本中の都市が、時短営業、禁酒を強いられる中、オリンピック会場では1万人規模(実はその倍である事が後に判明するのだが)で夜半までの酒盛りを許すとのお達しである。さすがオツムの良い方々の考えられることは違うと、筆者などはやたらに感心させられた。さすが吉本、早速動いたかと、夢に見た。舞台でのお笑いは無理であっても、座付き作者くらいは十分務まろう。

     

    承前。そもそも都市の発展は地方からの人口吸引によるものであるとは、つとに柳田が喝破し、その点はすでに紹介した通りだが、その事実はわが国を歴史的に概観するだけでも確認されるということを、前回、見た。しかも都市環境の整備、就学・就業機会の他に、通信・交通と言った各種の機能性や利便性の高度化は、所得を増し、生活を豊かにするが、それだけ生活費の高騰を伴う。人口の密集は住居の狭隘化を来たして、世帯規模を縮小させる強力な圧力となっていく。この事は、都市内での人口再生能力を損なう事になるだろう。それなりに快適な生活水準を維持するためにも、小家族化は避けられないこともある。

    結局、都市は地方人口をのみ込み、だから地方の疲弊をもたらしながら(それ故に「都市の蟻地獄」化とも言われる)、都市は自らを維持する他はなく、そうで無ければ常に縮小方向にあるという、誠に厄介な構造を持つことが明らかになって来る。

    こうして、すでに都市化の極まった先進国は、押し並べてその国自体の人口減少に逢着し、そこから発生する様々な問題に苦しみ、躍起になって自国民の出生率を高めようと様々な政策をうつが、今の所顕著な成果は出ていない。ことに、わが国の場合はそうである。しかし、それは先進国のみの特殊例ではないことが、ここに来て、明確になって来た。

    中国がそれである。現在の人口は14億人と言われるが、今世紀の30年代にピークに達するとされた人口の減少趨勢は、大幅に前倒しになる見込みで、事実、生産年齢人口の減少はすでに始まっているらしい。1979年以来の一人っ子政策では、有無を言わさぬ人口中絶まで辞さない政策を取ったが、少子高齢化を目の当たりにして、16年「2人」の子持ちを容認せざるを得なくなった。だが、それも破綻したのか、過日(6/7(月)・朝日朝刊)、ついに「中国3人目解禁」の政策を打ち出した。

    しかしこれに対する批判・不満は激烈である。「家賃や生活費でギリギリの生活。結婚でさえ現実的でないのに『3人産んで』なんて意味不明」。ここには教育費、住居費、養育費等の高騰にくわえて、兄弟の無い子供が老親をみる負担もある。「政府の方針は、私たちの世代に『早く結婚して親4人と子ども3人を世話しろ』と言ってるようなもの。だからみんな怒る」。そして、「中国は豊かになる前に老い始めている」、とは米研究所の言葉である(以下次回)。

  • 6月9日・水曜日。晴れ。2,3日前、暑さ対策上(と言って、そんな大げさなことではないが)、長めの上下の下着をやめ、恐々、夏用にかえた。電車や建物内の冷房が堪えたからである。非常に、快適。だが、ヨレヨレの長袖ワイシャツ、ヨレヨレのパンツ、夏用ジャケットは離せない。このファッションでも、着てが良いから、十分、観賞に堪えうる。ただ、年寄りは温度に鈍感になるとは、「看取り先生」・岡部医師の言であったが、それは本当である。

    6月11日・金曜日。晴れ。

     

    承前。そもそも都市は、ここでも度々述べてきたが、周辺地域から住民を吸い上げることで、人口を維持し、増大させてきた。これを筆者は都市のサイフォン化と言ったが、反面「人口調節装置としての都市」と見ることも出来よう。周辺地域の余剰人口を吸収する機能であるが、都市自体は自ら自己増殖するどころか、その再生産能力も低いのではないか。とすれば、後背地の出生数が高く、豊かな人口を抱えている限り、人口は維持されるであろう。しかし、後背地からの人口供給力が衰えれば、まずは地方の、次いで都市の人口減が続き、かくて一国全体の減少を免れないであろう。これが、「蟻地獄」とも言われかねない、都市の持つ人口調節機能の一側面である(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』186頁以下参照。講談社学術文庫・2017)。

    20世紀初頭から現在に至る、わが国の人口変動の推移は、ごく大雑把に見ればこうなる。まず、工業化の進展により、農山漁村地域から都市圏への人口移動を生み、地方人口の減少は留め難いものとなる。他方、都市周辺の環境・医療整備は乳児を含む各種の死亡率の劇的な減少をもたらした。また、第二次世界大戦後のベビーブーム後の出生率は一貫して低下し、ここに少子高齢化の人口構造が定着していく。

    これによって家族構成はどう変わったか。大規模家族の消滅と核家族を主体とする家族世帯の縮小であり、さらには若者ばかりか老人の単独世帯の増進が無視しえない状況になって来た。ちなみに2019年時点の普通世帯の平均規模は2.39人である(1920年では4.89人であり100年間で半減しているという)。こうした現象の背後にある生活スタイル、結婚観や家族観の変貌とその意味合い等については、鬼頭前掲書に譲るが、ここでは次の一文を引用しておきたい。「ヨーロッパでも日本でも、長期的な出生率の低下は生活が貧しくなったから起きたのではないことは確実である。反対に生活水準は大きく上昇しているのである。豊かさこそ、出生率低下の引き金であったといえなくもない」(261頁)。恐らくこの事は、中国は勿論、途上国の今後についても当てはまる事では無いのか(以下次回)。

  • 6月7日・月曜日。晴れ。過日捻った川柳が、わが脳髄を刺激したのか、またもやこんなのが浮かんだ。どこぞの新聞社の月間大賞級の出来だと自惚れて、以下に掲げたい。

    かの国はせめて成りたや象にでも

    チト訊くがゴミ焼き場かな大気圏    みつお

    無許可、無届のデモ行進も、象ならば、催涙弾や逮捕も無いばかりか、酒や好物の食事まで用意されるほど歓待されるらしい。またわが国の原発処理水の海洋放流の決定に対し(これは地元漁師にとっては許し難いところであろうが)、あちらは公海を下水道やごみ箱代わりにするなと、仰りながら、ご自分は打ち上げたロケットの残骸を大気圏で焼却した上、安全上問題ないと宣う。ご自分は全て正しく、他者の言は間違いとは、かつて、君子の道を説かれた方の子孫とは、とても思えぬ振る舞いではないか。

     

    前回(6/4・金)、本欄で、世界的な規模での人口減少が予想されると記した翌日、それを追うようにして朝日朝刊が、わが国の昨年度の出生数は戦後最小の84万人と報じ、さらに「海外でも出生減の傾向」が見られると指摘していた。但し、これは昨年以来のコロナ疫病の人口動態に対する影響を言うに過ぎず、特にその長期的傾向を見ようとしたわけでないことは、言っておかなければならない。

    むしろここでは、中国政府が最近提示した、3人目の出産を認める「中国の驚くべき決定」(ジャパンタイムズ・6/2)と言われる、人口政策の大転換こそ、当局の将来的な人口減少への危機感を示した点で、興味深い。と言っても、この対策は何を今さらといった感は否めず、「あまりに小さく、遅すぎて、減少する出生率や縮小した労働力の回復には至らない」と、記事は突き放すのであるが。

    先に、人口減少の大枠を示すものとして、生活水準の向上と女性の高学歴化を言ったが、ここではもう一点、生活の都市化を加えなければならない。都市は就業の機会に溢れ、その他様々な魅力もあって、地方から人々が蝟集してくる。こうして、「2007年、人類の歴史上初めて、世界全体で都市人口の比率が地方人口の比率を上回った。現在の都市人口の比率は55%だ。2050年までには全人類の3分の2が都市に住む」(前掲書、218頁)ようになると言う。だが、「都市化は人口減少を引き起こすのだ」(219頁)。その理由は、明らかだろう。限られた空間では、家族は縮小せざるを得ず、利便性の高い生活には費用がかさむ。等々(以下次回)。