2022年03月14,16日

3月14日・月曜日。晴れ。最高27度(中野区)に達し、はや夏日とは。3月16日・水曜日。晴れ時に曇り。ロシアの侵攻は停滞気味となり、その反動で攻撃の凶暴性はさらに募るとのことである。事情を知る露国民の懊悩と世界への恥辱は深まる。

この時代にあってなお、一権力者の狂気がこれほどまでの悲惨を生むとは、侵攻前には予想だにしなかったが、同時に核兵器使用の権限を一手に握る体制が、世界の安全にとって、いかに危険かを教えている。プーチンはこの戦争に負ければ、断罪が待ち構えていると思えば、この先、何をするか予想もつかない。核の恐怖が眼前に迫る。

 

(承前)ワトリング氏の次の言葉は、ロシアの本性を示して衝撃的である。この1月、ウクライナにサイバー攻撃を行った露国は、その際入手した自動車保険リストの個人情報をもとに、影響力のある活動家の住所を特定するが、そこには「2014年の民主化運動『マイダン革命』(ユーロマイダン(欧州広場の意)で生じたデモが機となって、進露派大統領ヤヌコービッチ政権を崩壊させた革命―筆者注)を率いた」人々も含まれる。「彼らは『消される』恐れがありますし、本人が見つからない場合は、しばしば家族が標的になります。だから、家族は国外に逃がさなければなりません」。これまでも、英国等の他国の主権を平然と犯して、権力者にとって目障りな政敵や人物たちを毒殺してきた国家のいかにもやりそうなことである。

すべての国家権力には、そうした非情、冷酷さが本質的に潜むものなのであろう。たしかに、自由主義、民主主義国家においても、権力による不当な弾圧、不正は限りない事は認めよう。しかしそうした場合でも、民主主義国家と言われる国においては、権力は憲法はじめ各種の法体系のもと、常に監視と批判の目に晒され、違法行為はやがては断罪される機構を備えている。というより、むしろそれらの機関、制度はそのように作動しなければならないように、国民各人の規制下に置かれている。そうでなければ、その国は民主国家ではない。まさに、『日本国憲法』がその「前文」において宣言する通りである。「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」。

つまり、国家は国民から負託された権限、権力を、国民各人の安寧と一層の幸福のために行使すべきであり、その意味で国家は国民全体への奉仕者なのであって、その逆ではない。間違えてはならない。国家が国民の上にあり、暴力と強権によって、一部権力者のために国民を支配、奴隷化し、自らのために酷使することなどあってはならないのである。これを基準にすれば、ロシア(そして、中国、北朝鮮)の異常さが際立って見えてこないであろうか。

ここでは特に、露国(中国、北朝鮮も同じだが)の極端な情報統制とその歪曲について言わなければならない。侵攻当時から、ウクライナの住民がロシアに住まう老親や親族たちに、自国の悲惨を、映像と共に痛切の思いを込めて訴えても、全く理解されないばかりか、逆に縁を着られるほどの怒号を浴びせられる。プーチンは「クスリで狂った」ゼレンスキーの進める祖国ナチ化の阻止、という崇高な使命のために進撃し、攻撃も軍事施設に限定されたものだ。ましてや、民間人への攻撃など、ありようはずもない。お前は、騙されている、と言うわけである(ニューヨークタイムズ3/8)。こうして、多くのウクライナ人は戦争の悲惨の上に、家族の断絶の苦しみを負わされるのである。こうした事例は、今や様々に報道され、もはや我われは驚かなくなったが、それにしても世界監視の下で、臆面もなく虚偽、捏造、隠蔽工作といった数々の報道には、世界は狂気に支配されたかとの、恐怖すら覚える(朝日新聞3/13(日)、「荒唐無稽 繰り返すロシア」「救助された妊婦さえ「モデルの演技」」を参照されたい)。

いずれ、この戦闘は終わるであろう。その時、ロシア政府は国際社会にどう迎えられるのであろう。真実を知ったロシア国民は、自らの政府の残虐にどう向き合うのかと、今、しきりに思う。だがそうなる前に、プーチンが核に手をかけないと、誰が保証できるのか。時代は、世界はぎりぎりのところに迫っている。


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