4月17日・金曜日。晴れ。
過日(4/14)、久しぶりに町屋の鍼灸院に行く。施術に当たり、右手ばね指の苦痛を訴えた。術後、肩の凝りがひどく、特に肩甲骨の可動が悪い。それが原因かもしれぬとの宣告である。風呂の後、鏡の前で両腕を振りかざし、脳内ではきれいな大車輪のように回わすが、鏡に映る姿は誠に無様。腕は背中にまで行かず、横でヘンテコに回るばかりであった。小学生の頃はちゃんと出来たはずなのに。そして、先生はあの時、こうも言っていた。パーキンソン病の兆候か、次回、調べてみましょう、と。歳を取るとは、色々、厄介なことだ。
帰途、町屋斎場を左にみながら、隅田川の堤にでる。川面の春風は格別であった。年のうち最良の季節のそよ風だ。良いに決まっている。カミソリ堤防で、僅かな距離だが栽植された個所もあり、その新緑にも慰められる。これが味わいたくて、鍼に痛んだ体を鞭打ち、よせばいいのに北千住を目指すのだ。
この道行の醍醐味は千住大橋を渡ったところで、ブツリと切れる。巨大な国道4号線が、突如表れ、暴力的に街を貫通し、ダンプ、トラックほか無数の車両が突入、疾駆し、その轟音は果てることも無い。この地獄道を命からがら渡って、旧日光街道の細道を伝っていけば千住の繁華街に出る。そこでの道中は、夕刻から九時くらいにかけては夕餉の買い物やらこれから飲みに繰り出そうという連中で溢れ、都心では見られない顔を見せる。昭和30年代のスーパーなどまだなかった時代の商店街の賑わいと言ったらいいだろう。そして、駅周辺の飲み屋街の密集は、今や一つの奇観であろう。これに類した町と言えば、これまた4,50年前の新宿歌舞伎町、池袋西口界隈の飲み屋街が浮かぶくらいだ(人によっては、渋谷、新橋、品川辺りの賑わいをあげるだろうが、筆者はそれを言うほどその実際を知らない)。
千住の縦にではなく、地面に這うようにして広がる商店街は、その背後にある、これまた昔ながらの長屋風の連なりを思い起こさせる家々の密集に支えられているのだろう。そのせいか、銭湯も多いように見える。大きなマンションも見受けられるが、大勢は変わらない。町は細い路地で幾重にも縫い合わせられ、行き止まりかと恐々歩いていけば、いつしか通りに出られるという寸法だ。かつて玉野井がそんな風情であったが、今や東向島と名を改め、巨大マンションとスーパーが乗り出し、全く別の街となってしまった。
筆者はそんな千住をホッツき歩いて、最後は丸井の食堂街にこもり夕食を喫する。春日部に帰還したのは10時を回ったころだろう。歩いた総歩数は一万二千歩。翌日は鍼の効き目とこの行脚がたたって、終日動けず。ただベットで呻吟するばかりの日となった(この項、終わり)。
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