3月23日・月曜日。晴れ。
3月30日・月曜日。晴れ。都内の桜が開花したかと思う間に、はや見ごろである。筆者には咲き急ぎのようにも見えるが、染井吉野の寿命が切れかかっていると聞き(他方で、樹木に寿命はなく、手入れをきちんとすれば延命可能だとの説もある)、そのせいか、と妙な勘繰りをした。人生を花に託して何事かを思うのは、他は知らず、わが日本人の感覚であろう。今年、我は83歳。
4月10日・金曜日。雨。昨日のニューヨークタイムズに、トランプ政権がイラン戦争にのめり込む過程についてのかなり長大な検証記事が載った。ネタニエフの見込みでは、今こそイランを叩く好機だとの強い慫慂を受け、トランプが政権中枢にその実現可能性について検討させる。そのやり取りは緊迫し、読みごたえがあった。中でも副大統領の発言は、その後の経過を見事に言い当てた。イランのトップの斬首により、イラン国民が蜂起し、体制変革が生ずる。こうネタニエフは主張するのだが、それは見込めない。戦争の長期化もある。さらに、他国の戦争への不介入というトランプの公約違反に対する支持者の離反、ホルムズ海峡封鎖の可能性等も指摘された。だが、結局彼は、間違った案とは思うが、「大統領の決断であれば、従う」と折れた。これによれば、イラン攻撃はトランプの決断であった。
最近の社会情勢には、筆者はただ戸惑い、これをどう受け止るべきか分からぬまま日を過ごす他なかった。これが今日までの欠便の理由である。国内では、総選挙の結果、定数289議席のうち、自民が九割に迫る249議席を得て、高市政権を誕生させる。総理は、これをバックに国論を二分するような政策に挑むという。だがその内訳は、総有権者数での得票率(絶対得票率)では26.9%に過ぎず、つまり4人に1人でしかない。
これで民意を得たと言えるのか。小選挙区制の弊害を、強く思わざるを得ない。風向きが変われば、同じ得票率で野党が政権に就く。その結果、政策は極端から極端へと揺れ動き、政治は不安定になりはしまいか。それを回避しようとすれば、絶対多数の政権党が今こそとばかり、民意を盾に、自党に有利な制度へと改変、固定化し、いつしか独裁国家になり果てる。民主国家から独裁への道は、人の思うほど遠くはない。ワイマール憲法を基にしたナチス誕生がそうであったし、かつて南米の模範と言われたベネズエラが思い出される。
国外では、トランプ政権である。広大な米市場と、世界最強の軍事力を背景にした傍若無人の振る舞いには、ただ呆然とするばかりである。エプスタイン文書では常連として名を連ね、性的暴行を受けたとの女性の証言まである。米建国250周年を記念して発行される純金の記念貨には、自らの顔を刻印させようと思いついたらしい。生存者のそうした事例は規定に反すると抵抗した委員らは強引に追放し、恥も外聞もない。歴史上、こうした名誉欲と狂気に満ちた支配者はいくらでもいたであろうが、世界に民主主義社会を牽引し、キリスト教に根ざす徳育、教育の行き届いた米国において、こうした人物が大統領職に、二度にわたって就任したということに、なにか空恐ろしいものを覚える。
公私の区別なく公権力を振り回し、自身の欲望の何でもかでも実現しようと躍起になる。そこで出会うすべての障害は敵と見、叩き潰しにかかる大統領を、側近たちの誰もが止められない。だから、おべっか使い、腰ぎんちゃくだとも揶揄されるのだが、そんな彼らとて、その職に就くまでにはそれなりの経験、見識を積んできてもいよう。例えば財務長官ベッセントは金融界での実績は大したものらしく、であれば今回のトランプの相互関税がいかに無理筋かは熟知していたはずだが、何も言えなかった。そして結局、最高裁はそれを違法と判断したではないか(と言っても、司法もまた、ようやくの思いでそこにたどり着いたのであったが)。
そして、議会。与党の共和党は、これまでトランプの言うがままの体たらくで、最近ようやくイラク戦争に対して異論を唱え出しているが、それもただ、中間選挙で自分の議席が危うくなってきたからに過ぎない。言論界もワシントンポストはアマゾンのぺゾフに身売りするが、その背後にはトランプによる脅迫まがいの介入が仄聞され、それが経営悪化の遠因となったらしい。最後に、有権者である国民の反応がある。ここに来てトランプへの支持は急落するが、その理由はガソリンをはじめとする生活費の急騰からの怒りに過ぎず、イラク他に対する国際法を無視した横暴や、そうした戦闘で実際に殺される多くの人間の苦しみ、悲惨さには届いていない。そうした米国民の怒りは他人事でしかない。こうして、米社会のすべての局面で、何か倫理的な基準が崩れ始めているように見える。だからであろうか、ニューヨークタイムズのコラムニストは言っている。「アメリカはならず者国家になりつつあるのか?」(3/17・火)(この項、終わり)。
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