2023年07月31日

7月31日・月曜日。晴れ。グテーレス国連事務総長(明治大学名誉博士)は、一昨日、「地球の温暖化は終わった。いまや地球は沸騰している」と警告された。明言である。これは人類が受けねばならぬ焦熱地獄の罰である(源信が好きな筆者流に言えば、こうなる)。この劫火は、今後強まりこそすれ、弱まることはない。その対策があるとすれば、地球上、特に先進諸国、BRICsの産業活動を縮小することだ。コロナ禍の期間、温暖化はやや弱まったと言われることが、その証である。だが、国民に対し、経済成長を止めると宣言し、実行できる政治家が、世界にどれほどいようか。
本日は、筆者が中高生時代を過ごした母校・独協学園に宛てた手紙(宛先の個人名は割愛)を掲載したい。母校には忘れがたい恩愛を受けながら、これまでまったく顧みることなく、打ち捨てたままに来てしまった。我が忘恩を詫び、改めて謝意を記す。こんな思いに捕らわれるとは、2月前にはトンとなかった。わが老いを思う。

                              令和5年7月28日 

拝啓、益々、ご清祥のこととお慶び申し上げます。また、本日は突然、かような書状をさし上げ失礼いたしますが、私は、60年前、御校を卒業した者の一人であります。この度、春の叙勲で瑞宝中授章の栄をうけ、宮中にもお招きいただきました。この事、母校にもお知らせしたく一筆させていただいた次第です。 
 中高の6年間を独語クラスに在籍し、昭和38年卒業と共に、明治大学政治経済学部に進みます。その後、同大学院修士・博士課程を修了後、同学部専任助手(経済思想史)に採用され、昭和62年、教授に昇格いたしました。平成26年、定年退職し、現在は明治大学名誉教授の称号を許されております。
 その間、学部長、大学監事等の役職をあれこれ歴任しましたが、私にとって特に印象深かったのは、定年間際の5年間を教授職兼務のまま、大学直系付属、明治高等学校・中学校の校長職を2期半務めたことでした。中高時代のわが成績は、お世辞にも良いとは言えない、むしろ劣等生であったこの自分が、果たして校長職など勤まるものやらと、大いに心配したものです。しかしそんな私を支えたのは、天野貞祐校長のお姿、折に触れて語られたお話でした。天野校長に及ばぬことは重々承知の上ながら、私なりに生徒たちに寄り添い、彼らの学園生活が少しでも意義深いものになればと、大学当局とも様々折衝したものです。そんな私の校長ぶりが、多少なりとも生徒たちの心に届いたのでしょうか、今でも時折、社会人となった彼らから手紙が届くことがあり、それらは何ものにも代えられぬわが宝となっております。
 現在、傘寿を迎える身となって、明治大学から受けた学恩とはまた違った大きな恩愛を、少年期において独協学園からも受けていたのだとつくづく感じ入っております。それにも拘らず、私は今日まで母校に対しまったく無音に過ごしてまいりました。誠に相すまぬことでした。今更、私になにが出来る分けでもありませんが、そうした思いのあることだけでもここに申しあげようと、思い至った次第です。終わりに当たり、母校のなお一層の発展を切にお祈り申し上げます。     

敬具
 
                           金子光男 


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