2023年07月21日

7月21日・金曜日。晴れ。昨日の最高気温30℃、本日31℃とある。なにか涼しげに感ずるのは、わが体感、調節機能が狂ってきたのであろう。このところの気温、かくの如しで、このまま継続されるのかと思うと、体感ばかりか、精神までおかしくなる。
本日は、下記の通り、ご恵贈いただいた書物についての読後感を綴った礼状であるが、著者名はあえて控えさせて頂く。

暑中お見舞い申し上げます。今年もまた、耐えがたいような猛暑の時期となりましたが、その後お変わりありませんか。当方、今月、傘寿を迎え、暑さが堪えております。もともと暑さと湿気に滅法弱い上、クーラーなるものが嫌いで、と言って今日まで何十年もの間、冷房に厄介になっているのですから、そんな罰当たりなことを言っては、クーラーに相すまない。こんな埒もないことを思いながら、何とかやり過ごす日々ではあります。ただ、愚痴を言ったついでに、今年のこの暑さが、ことさら特別なのではなく、年々ひどくなる温暖化のゆえであると聞かされては、何か地獄の釜ゆでの罰を受けているような、そんな逃げ場のない思いにもとらわれております。
 まず、遅ればせながら近著『福沢諭吉 最後の蘭学者』ご恵贈いただき、ありがとうございます。メモに3/27(月)読了とありますから、早々の内に拝読し、返事をと思いながら身内の不幸もあって、そんなこんなの多事に追われて今日まで日延べとなり、失礼しました。本日ようやくその閑を得、以下簡単な読後感を記して御礼にかえさせていただきましょう。が、なにせ4か月前の記憶も定かならぬ印象記であれば、ピント外れのつまらぬものになろうことは、言わずもがなであります。 
 本書は間違いなく、名著である、と私も申し上げたい。確か、朝日新聞夕刊に著者の顔写真と共に紹介されたにふさわしい著書だと存じます。初心者には負担にならない、平明な文章で綴られたコンパクトな書でありながら、十分な奥行きを持ち、専門研究者への刺激を失わない。と言うのも、ここでわざわざ言う必要もない、著者の博士論文以来の福沢周辺の思想家たちを含めた浩瀚な福沢研究が基礎にあるからですが、同時に本書の切り口、すなわち「福沢諭吉と蘭学」の視点から福沢論を説き起こす着想が功を奏したからだと存じます。蘭学者としての福沢は、あまりに当たり前すぎて、それについての腰の入った学術的な研究がなされてこなかった、とは思想史研究でまま見られる盲点であったのでしょうか。
 蘭語をベースとして英語を修得した福沢の思惟には、初めから英語を学んだ者とは一味違う特徴を刻み込んだのではないでしょうか。私にとって、英語は第二外国語であり、第一は独語ですが、いまだに独文法を置いて英語を読むようなところがあり、そこで時に混乱し、往生することがあります。もちろん福沢にそんな失態があろうはずはありませんが、蘭語を通じた蘭学の素養が、英書の理解に特有のニュアンスを与えたであろうことは、推察できます。御著でも触れられているように、蘭語で書かれた社会諸科学の著書を通して当時の世界史的事象を理解することは、英独書でそれを読み取るのとは異なり(その差異がどれほどのものになるかは、筆者には定かではありませんが)、そのことが往時の蘭学者の西欧理解を深め、その後に続くあらゆる分野の文物の摂取をより容易にしたのでありましょう。蘭学なくば、それがどこまで可能であったのか。
 私は何か、つまらぬどうでも良いことを綴っているのではないかと、恐れます。ただ、恥をかいたついでに、もう一言申し上げたい。「蘭学者」とはいかなる学者なのであろうか。英学者、独学者とは聞いたことがありません。それぞれの言語圏の専門分野の学者、研究者として、彼らは存在します。一人、蘭語で洋学を学んだ者だけが蘭学者となるようですが、いかがでしょう。しかし彼らは福沢を含めて、適塾では医学、自然科学等を読み、後には社会科学の書まで手を出しているようです。榎本は『万国海律全書』を蘭語から翻訳したとは別の書物で知りました。また西、津田の恐るべき知識については、御著『近代日本の政治構想とオランダ』を通じて教えられたことです。『明六雑誌』を拾い読むだけでも、そうしたことは何となく感じられます。彼らはどうも、今でいう専門分野を持たなかったようで、それでいてそれぞれの知識と理解力の深さに、指導する西洋人が驚嘆したほどであった。これは一体どういうことかと、心底、驚きます。 
 そして私は、こんな風に言いたくなります。当時の第一級の知識人たちは、みな一様に、幼少期から徹底的に漢籍の素養を叩き込まれたことが、大きかったのではないか。その知識の広大さと韻律的な文体に浸りながら、他方で抽象的な思考と論理性、加えて造語能力が、これによって鍛えられたのだ、と。西、福沢らの西洋学問の抽象的概念が的確に日本語に翻訳され、その多くが今にいたるまで生き続けているばかりか、その後の学問全般の発展に決定的な影響を与えました。西欧というまったく異質な思想、学問体系を、自らの言葉で受容し、咀嚼する道が開かれたのですから。
それに比すれば、現在の我われはどうでしょう。漢文が高校の科目から外されたことは、大きな誤りではなかったかと思います。わが身を振り返ってみても、漱石、鴎外の漢詩には青息吐息の有様ですし、最近のカタカナ語の氾濫は、われらの造語能力の欠如を証しているのではないかとも思います。 
 しかし、もうこの辺りで、止めにしましょう。これ以上の埒なき文章はご迷惑に違いありません。ともあれ、御著によって、私なりに様々な刺激を受けたことをここに記して、わが読後感にかえさせていただきます。最後に、猛暑のみぎりご自愛の上、お過ごしあれ。 

                              金子光男 


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