2023年04月28日,05月08,19日

4月28日・金曜日。晴れ。

5月8日・月曜日。雨のち曇り。ゴールデンウィーク明けの久しぶりの出勤により、パソコンの手元が、少々、怪しい。とは、単なる言い訳で、ただ単に休みボケのゆえかも知れない。なお、前回末尾に以下次回としたが、今読み返すと、述べるべきことはすでに述べられたように思える。よって以下は、ごく簡単に済ませたい。

5月19日・月曜日。雨。本日は予定を変更し、下記の文章に替えさせていただいた。

過日の新聞報道により(4/29)お気づきの方もあろうが、実はこの度の春の生存者叙勲において、筆者も叙勲の栄に浴し、5月12日(金)、国立劇場にて永岡桂子文科大臣ご臨席の下、伝達式および勲章、勲記を授与された。その後皇居に参内し、陛下への拝謁も許された。と、こう書くと、いかにも立派であるが、実は総勢三百人ほどの一人として参列し、ただ目立たぬよう、間違っても奇矯なる振舞いに及んではならぬと、己を必死に抑え、ひたすら平穏に時の過ぎるのを願ったに過ぎない。

それでもこの式に参列するための準備は、中々厄介であった。十年ぶりにモーニングを引きずり出し、散髪に行くやら、三越に出向いて正装用の靴やYシャツを購入し、揚げ句はカフスボタンまで借り受けた。こんな手はずと段取りは、とてもでないがわが能力で処理できる領分でないことはお察しの通りであり、はや面倒臭さに押しつぶされ、この段階で出席の意欲や闘志は丸々消尽してしまった。要するに、もうどうでも良くなってしまったのである。齢(よわい)、傘寿を迎え、これまで数々の式典を催し、そんなこともこの度の叙勲につながったのかも知れないわが経歴ではあるが、それらは何の役にも立たなかったのである。

それでも、周囲からは、一生に一度の事だし、誰でも行ける所でもない、是非にも参列せよと励まされ、ようやくのこと万事整えた。かくて前日には意気も揚々、勇躍ホテルに乗り込んだ。までは良かったが、何か寒くてほとんど眠れず(あの日は、夕刻の大雨により、夜分はかなり冷え込んだ。皇居での園遊会が散々であったとは、後で知った話である)、翌日の式典は朦朧の内に過ごし、そのお蔭をもって無駄な力が抜けたのか、あがりもせずリラックス(?)して無事済んだ。とは言え、そんなこんなの疲労は今日まで祟り、わが「手紙」の10日間に及んぶ休載を余儀なくされた、とのくだくだした言い訳を、以上述べさせていただいた。

ちなみに、筆者の勲位は瑞宝中授賞、昔で言えば、勲三等に相当するようである。と言って、それがどの程度有難いものかは、当方にもよく分からないが、一面識もない春日部市長や県知事から祝電が届き、さらには、いかなる次第か、何人かの国会議員からも、印刷された手紙が舞い込んだ。そして、思いもかけない方々からお祝い、お心のこもった手紙を頂戴したが、これは近頃にない喜びであった。どうも有り難うございました。この場をお借りし、御礼申し上げます。


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