2023年05月26日,06月02日

5月26日・金曜日。曇り。本日は4/24(月)の文章の続きである。
6月2日・金曜日。曇り。前回の文章の末尾を若干加筆し、何とかまとまりをつけた。なお、来月初め(7/8・土)、社会環境学会での研究報告者となり、その準備のため手紙は休載とさせていただく。今回は依頼されたからではなく、自ら志願しただけにそれなりの用意をしなければならない。論題:吸引する大都市—地方再生の道はあるのか—
なお、本会は会員以外の方でも自由にご参加できます。詳細については、当会ホームページをご覧下さい。

承前。前便で見たように、極度の心的障害を被った兵士の場合、遺伝子を介して彼の子孫にまで影響することがあるすれば、その及ぶべき範囲、深度は測りがたいものになるだろう。そうなれば問題は、兵士が犯罪者であったかどうかは、もはやそれほどの問題では無くなるのかもしれない。確かに、万をこえる凶悪犯罪者が戦場でさらに殺人行為に麻痺し、その手口にも習熟してそのまま社会復帰するのかと想像すると、これはこれで何とも言いようのない不安は募る。
しかしここには、これらとは別種の問題がある。すなわち、人格的な崩壊の危険である。今も続く激戦地のバクムート市で戦った兵士は「地獄を生きた」と言い、そこで経験した「あらゆるホラー(一言の日本語では表現できない。恐怖、憎悪、憂うつが折り重なったおぞましさ、そんな感情だと、ここでは言っておきたい)が、今私に付きまとい始めている」。体に深い痛手を負ったわけでもないにしても、彼の精神を犯し、忘れようにも忘れられない地獄絵の鮮明な映像が、呻き苦しむ声と共に、夜となく、昼となく彼に纏わりつき、苛むのであろう。しかも、孤独の内にさ迷っているのである。家族ですらここには入りこめない。しばしば彼に語りかける妻は、尋ねる。「あなた、私の言っていること、聞いているの」。
その声が聞こえる分けもない。今、彼にはこんな絵図が巡り始めたからだ。「彼の友人たち、仲間の全員が、戦車の中で生きながら焼き殺されているのだ」。こうした例はまれではない。別の証言もある。「多くの仲間が殺された。武装された車輛の中で、焼かれた。自分はこの目でそれを見た。手りゅう弾が自分に当たったけれど、爆発しなかったんだ。」
戦闘における生と死を分ける理由は、単なる偶然でしかない。しかしそれを直接目の当たりにした当人にしてみれば、死のむごたらしさにくわえて、戦友が身代わりになってくれたという負い目、生き延びてしまったという罪悪感が、終生、付きまとい、陰に陽に苦しめるとは、多くの文書で報告されている。しかもここには、今に至るまで、決定的な治療法が存在しないようなのである。となれば、こうした負担、苦痛を負った多くの帰還兵の内には、その重みに耐えきれず、そこからなんとか逃れようとして、アルコール、薬物依存、さらには異様な破壊や殺人行為にふける者たちが誕生するというのも、筆者なりに理解できない話ではない。それにしても、再び言う。彼らのその後の人生が、まさに「生き地獄」になるとは、言葉もない(この項、終わり)。


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