2022年06月15,17日

6月15日・水曜日。雨時々曇り。前回の文章にやや手を入れた。
6月17日・金曜日。晴れ。蒸し暑い。

ロシア政府は、軍への人権教育は一片もないが、兵へのプロパガンダ(普通「宣伝」と訳されるこの言葉は、政治・社会学的に特有な意味を持つ。大衆、世論を宣伝者(多くは権力者)の意図する方向に向かわせるための意図的組織的な情報活動である)は、実に周到、執拗であり、「洗脳」そのものである。たとえばこうだ。そもそもウクライナはロシアの一部であった。だが、ロシアからの離脱をはかる「反逆者」が台頭し、国民への扇動を強め、これに反対する者には容赦ない弾圧がなされている。これはナチ化したウクライナ政府や軍の非道であり、かくて国民は彼らに「征服され、今やロシアの兄弟たちが解放してくれるのを待っているのだ」と。
であれば、進軍した露軍は歓喜と感謝をもって歓迎されるはずであった。ましてや、兄弟のウクライナ人から苛烈な攻撃をこうむるなど、全く思いもよらぬことであった。これほどの理不尽があろうか。さらには、ウクライナ戦線への派兵は、志願兵のみであり、徴兵された新兵は含まれないとは、他ならぬプーチンの言葉であった。だから、露軍のウクライナ国境への進軍は、戦闘ではなく、単なる演習のはずであった。事実、そう説明されていたのである。
軍兵士が直面した目を覆うような現実と、彼らの脳内にある世界との落差の大きさに、彼らはしばし混乱し、途方に暮れたに違いない。くわえて彼ら新兵はロクな軍隊教育を受けず、正規の兵士として育っていない。兵器の扱いも知らなければ、軍規に服することも知らない。突如、戦場に投げ出され、惨たらしい戦傷、夥しい死者を見せつけられたら、どれほどの恐怖に震えたろう。規律も何もあったものではない。ましてや、かつてはあれほどに信頼し、兄弟とまで思った者たちの突然の裏切りである。ここに、ウクライナ人に対する近親憎悪にも似た憎しみと、敵愾心をよび起こし、通常の戦闘以上に凄惨な場面を生んだとしても不思議ではない。ましてや、露軍に歯向かっているのは、「単なる敵ではない、彼らは裏切り者なのだ」、しかも「この裏切りこそ、ありうべき最大の犯罪なのだ」というプーチンの声も聞こえる。ならば彼らに対して、何故同情すべき理由があろう。ふざけるな、彼らは殲滅されなければならないのだ(以下次回)。


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