3月2日・水曜日。曇り。
3月4日・金曜日。晴れ。3/2(水)の朝日「声」欄で楠本夏花氏の投書に触れ、言いようのない無念と共に、何か申し訳ない思いに駆れられた。「明治神宮外苑地区の再開発で、周辺の樹木1千本近くを伐採して、高層建築物や商業施設を建てる」ためという。だが、「地球温暖化対策や自然保護が希求されるこの時代に、多くの樹木を犠牲にしてまで高層ビルを建てる必要」はあるのか。しかも、この種の施設は、東京には山とあるではないか。だが都議会はすでにこの計画を承認し、「100年以上もの間」都民を見守り、今や「東京の文化」ともなった「神宮の森」は消滅の危機に追い込まれた。
それにしても、こうした野蛮を恐れげもなく敢行できる都知事、議会の感性、知性、歴史への責任をどう考えたらいいのだろう。彼らは1高校生のそれにはるかに劣る。また、相も変わらず、経済成長主義に取りつかれ、都市景観と市民生活の破壊に走る当局に対して、我われ大人たちの責任も問われているのである。そして、都知事に伺う。「あなたにとって、ファーストとされる都民とは、どなたの事か」。
このところ、ウクライナ問題で、テレビに釘付けである。新聞も、朝日、ジャパンタイムズ、時にニューヨークタイムズに限るが、それなりに読んでいる。そこで感ずることがある。いわゆる専門家と称する人たちの解説、言説も、謹聴に値するほどのものはそれほど多くはない。細部は筆者よりはるかにご存じながら、どうも大局は捉えていない、そんな印象をしばしば受ける。そこで、わが読者に謹んで申し上げる。新聞、テレビの解説だからと言って、むやみに恐れ入る必要はない。それらを参考に、まずはご自分でとくと考えられることである。
そんな中、昨日、遠藤 乾・北大教授「プーチン氏に抗う力 問う時代」(朝日・朝刊3/1)を読み、本欄でのこれまでのわが論点とも符節が合い、大いに意を強くした。同時に、さすが国際政治の専門家である。今日にいたる国際政治の裏面史を踏まえながら、プーチンの野望、その動機と奇怪さを浮き立たせた。そして、言う。「ウクライナの北大西洋条約機構(NATO)加盟阻止という「大儀」も、根拠が薄弱だ。加盟国の多くはウクライナ防衛の義務を負うことに後ろ向きで、当面加盟は実現しない。存在しない見込みを理由に他国に軍隊を入れるのは、理にかなわない」。
さらに氏によれば「ロシアで政変や革命が起きない限り、この独裁者を抑えるには力が必要」である。何しろ彼は、自由や民主、法や規範を侮蔑して止まない人間である。であれば、国連憲章、国際法も歯止めにならない。そこに持ってきて、中国の動きが重なる。同国は、「ロシアの行為を侵略と呼ばず、同国産小麦の買い付けに走った。現状変更への力と意思を持つ権威主義国家同士の接近は、米ソ冷戦の比喩ではすまされないほど、今後の国際環境が厳しいことを示唆する」。ここではまた、戦争の領域がサイバー、技術、金融などにも拡大し、しかもそうした対立が、火力を交える熱戦に転化する危険性を忘れてはならない。
「そうした相手に自助や共助で臨むと、いきおい軍備や同盟の強化に行きつく。これは当面不可避と思料する。国際的な場における原則も約束も尊重せず、理不尽な暴力を行使することが」明らかになったからである。平然と原子力兵器を口にする凶暴に対し、丸腰のまま、理を説き、相手を説得するなど不可能であるばかりか、逆に無責任になろう。ここでは、億という国民の生命に対する責任があるからである。とすれば、それに応じた強力、武力を備えるのは当然の責務である。上の「思料」という言葉は、そうしたことだと解する。
だが、それは、結局は力と力の対抗となり、「相手と同じ」になりかねない。その時、こちらもまた、同じ狂気に取りつかれることになってはならない。これについて、氏は言う。「力の行使が不可避であるならば、何のために行使するのか目的を問うこと」である。道徳、規範の類をすべて無視し、侮蔑して(これを、古代ギリシャの1哲学派に由来する冷笑主義・シニシズムと言う)、力こそすべてとする相手に対して、己の力の行使に正当性はあるのか。そこには確固とした目的、例えば自分の生きている自由な社会を、理不尽な暴力から防御するため、と言った問を発し、力の行使に常に「目的限定性」を付することだという。ここに、こちらの力の行使が、相手と同じにならず、縛りがかかり、また修正がなされるよすが与えられる。
こうしたことが可能となるのは、自由で民主的な社会でなければならない。ここでは、人間の可謬性と多様性が前提とされている。権力者も間違える。その時、お前は間違えている、と言える自由がなければならない。多様な意見も出される。それによって彼は交替させられる。「独裁は、間違えをみずから是正しえない。自由・民主を重んずる体制は、独裁のそれと近似してはならない」。
同氏の文章は短文である。是非、味読されたい(この項、終わり)。
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