2021年8月11日

8月11日・水曜日。晴れ。

 

「異形の五輪」(朝日新聞より)がおわった。異形とは、コロナ感染者の激増と共に、医療現場の崩壊が迫るその最中での熱戦が、まるで別世界のように展開され、一方で興奮と陶酔の喚起が、他方では感染の恐怖を呼び起こす。解放と自粛がないまぜになり、国民感情は分断されたからである。同時に広島・長崎では平和祈念式典が持たれた。そこでの総理の重なる失態が、五輪への異常な執着と重なり、「異形」の度はさらに増した。

こうして、平和の祭典であるはずの五輪が、国論を二分する。だから政府は、五輪の成功を声高に強調しなければならなかったのだろう。真に祝福されたものであれば、わざわざ成功を言い募るまでも無いからだ。

報道によれば、閣内でも総理に対し、五輪の中止を進言する閣僚がいたようである。それに対し、中止が一番楽だ、と言いながら、これを拒否して開催に突き進んだらしい。その唯一の頼みは、ワクチンへの期待であり、接種の進捗であった。つまり、これに全てを託してのことだが、これは言わば、「国民の健康を「賭け」の対象」(朝日新聞・8/9・社説)したようなものである。こんな事が許されるはずもない。

しかもである。その後の止まらぬ変異株の出現と強毒化によって、今に至るも、ワクチンの効能は確定されてはいない。3回目の接種が取り沙汰されていること自体が、これを証明する。こんなことで、国民の生命を守ると言う、総理の毎度の決意は果たされているのであろうか。

果たして、最近の世論調査(朝日新聞・8/7,8実施)では、「菅内閣支持28% 最低」・「五輪開催「よかった」56%」(同8/9(月))と出た。まさに国民の意識や感情の分断は、明らかであり、身もだえしているようではないか。同時に総理の統治能力が問われているのである(以下次回)。


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