2021年8月6日

8月6日・金曜日。晴れ。炎暑の中、コロナ感染者の増加は続き、首都圏の医療崩壊が迫る。

 

前回見た夏野氏の発言については、まだ言及すべき点は多々あり、本日、引き続いて取り上げる心算であった。しかしその内容があまりに愚劣に過ぎ、嫌気がさすのに加えて、筆者にとって論ずべき重要な問題が次々生じ、ここでは2点を指摘し、これで終わりにしたい。その1は、氏にとっての選挙とは数さえ揃えればいい話で、そんなものは「アホな国民感情」を上手く騙せば、ドウにでもなるとお考えのようである。何故って、「誰かが金メダルを取ったら雰囲気」が変わるような、そんな他愛の無いものなのだから。ここには、民意の総意を示す選挙に対する敬意のカケラも無い。これ程までに「国民感情」を舐め切ったればこそ、同氏はこれを「アホな」と侮蔑できたのであろう。

その2は、この度の大会組織委員会とは、一体、いかなる人々によって構成されているのであろうか。森前会長以来、人を侮辱し、批判を浴びるまで何とも思わぬ面々が続出し、そんな彼らを必死に守り抜こうとする委員会とは、どのような会議体であり、何を議論してきたのであろう。森氏の例の発言が、会議では何の違和感もなく、むしろよくぞ言った、あるいは笑い話の一つとして済まされたであろう事は、推察に難くない。

「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポ-ツを役立てることである」と、『五輪憲章』に謳われているようだ。だが、「人間の尊厳」や「人類への調和」が一度でも、委員会の真面目な議題になったのであろうか。確かに、建て前と本音の乖離は日常茶飯であるにしても、理想や理念を単なる飾り物以下にしか見ない、組織委の一連の事態はあまりに無様である。それが国家の責任のもとで推進される会議体でのことであり、その臆面の無さはどうであろう。日本とはこうした国であると、全世界に晒したのである。それらを日本国民として負わねばならぬ恥辱を、どう晴らしてくれようと言うのであろう(この項、終わり)。


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