2021年7月16,21日

7月16日・金曜日。晴れ。東京、いよいよ梅雨明け。いきなり熱暑の襲来である。熱中症にご注意あれと、自分を含めてお見舞い申し上げる。なお、前回の文章、構想をやや変更し、よって格段に良くなったと一人悦に入る。

7月21日・水曜日。連日の熱暑に参る。前回の文章は粗雑であり、誤解を招く。よってかなり訂正したが、大都市の構造的な危うさ、社会的理不尽に関わる、わが論旨は変わらず、わざわざ読み返すまでも無い。

 

過日、福田和代『東京ホロウアウト』(東京創元社、2020)なる小説を読んだ。実に予言的な書である。hollow outとは「くり抜く・空洞にする」というほどの意味だが、東京に集中する幹線道路・鉄道の麻痺により、全国から輸送されるはずの食料品がストップし、東京が「空洞になって」、干上がる。しかもそれは、オリンピック開催の直前を狙ったテロ行為であった。

本書は2018~19年にかけて雑誌に連載された作品の書籍化であり、惜しくもコロナ禍を作品に生かせなかったが、交通テロをコロナ疫病に読み替えれば、まさにただ今現在を映し出す迫力がある。

収益性と効率性を極端にまで追求するために、スーパーやコンビニは在庫を圧縮し、商品の補充のために、産地と東京を繋ぐ輸送は激烈にならざるを得ない。また、鮮魚等の生鮮食品の場合は、当日のセリ時間を外すことが出来ないことから、深夜から早朝にかけて、ドライバーは命がけの輸送を強いられる。こうして、東京の物流は何事もなければようやく維持されるが、ひとたび齟齬が生じれば、取り返しの付かない混乱を来たす。

つまり大都会の生活は、じつに脆弱な仕組みと、無理を重ねてようやく成り立つものでしかなかったことを知る。しかもそれらを支えるドライバーたちの経済状況は、ガソリン代、高速道路代は自分持ちで、他のエッセンシャルワーカーのそれと同様、カツカツでしかない。とすれば、わが東京は人心においても、また構造体としても、奈落の淵に立つようなものであり、いつ転落してもおかしくない。こうした大東京の脆弱性を狙って、事もあろうにオリンピック直前の、国内外から押し寄せる膨大な人流の最中に、テロが画策・実行されるのであった、そして…。

それにしても、作家の直感力はしばしば時代の課題を抉り出し、作品化することでそれらを最も明確な形で提示してくれる。本作でもそれは遺憾なく示された。このテロはそもそも、産廃業者による山中の不法投棄に端を発っする。これにより、地下水汚染が発生し、不法投棄が発覚する。農業、牧畜は破壊され、彼らの生活や夢が絶たれた。当然、業者の社長は訴訟を受け、そして自死に追い込まれる。だがそれは上位の取引業者に強要された、やむに止まれぬ果てであった。こうして、強者が弱者に全てを押し付け、責任を負わずに逃げ切れるという現代の社会経済的な構造が浮き彫りにされるのである。

その限り、産廃業者は単なる悪徳業者ではなく、社会の犠牲者の1人であった。こうして、本来は、敵味方であった業者の遺族と生活を失った農業者たちが、同じ被害者として結束する。まさにこのテロは、社会の不正義、不条理に押しつぶされた人々による、復讐の念に燃えた敗北覚悟の大勝負なのであった。

だが先の熱海で発生した土石流事故には、これまでの報道による限り、そうした背景があろうとはとても思えない。業者が浮利を求めて、産業破棄物の不法投棄にくわえた不法な宅地造成が重なったものであろう。ここには、行政の怠慢と法的な不備も指摘されなければなるまい。さらには政権によって叫ばれた「強靭な国家」の建設は、単なる掛け声だけでしかなかったことが、いよいよ明らかになったのではなかろうか。無限に孕むこうした事故の今後を思うと、なにか空恐ろしくなって来る。

なお本書は、他にも現代社会が抱える多様な問題を突きつけているという意味で、一読に値する(この項、終わり)。


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