2021年7月14日

7月14日・水曜日。曇り時々晴れ。

 

政府のコロナ対応に、総理、またもや陳謝。ことに、金融機関絡みの酒類販売抑制策は酒販組合の怒りと不信を呼び、全面撤回に追い込まれた。それも当然であろう。自民党の強大な支持基盤でもあるからだ。こんな失態を招いたのは、コロナ感染を少しでも抑制し、何としてもオリンピックの無事開催に繋げたいとの焦りからであったのか。これらを見るにつけ、政府はもはや万策尽き、頼れるのはいまや天への祈りしか無さそう見えてくる。そこで、こんな川柳が浮かんだ。

「シッカリ」は神風吹かすマントラか

筆者の記憶では、「シッカリ」がしきりに言われ始めたのは、前総理あたりからで、それが自民党政治家全体に蔓延した。国家の大事に関わる面々がいい加減な気持で事に当たられては、国民がたまらない。だから殊更そんな言葉を付する必要はさらさら無かろう。シッカリやるのは、当然だからだ。にも拘らず、こんな言い回しをするのは、そう気合を入れないと、余程シッカリしないからなのか、これさえ言えば、天が味方し、神風が吹いて何とかなるとお思いなのだろう。何せ、それはマントラなのである。

マントラとは真言の意であり、菩薩などによる偽りなき言葉を意味し、理解不能、意味不明であっても繰り返し、無限に誦(じゅ)するとき、絶大な威力と効力が発せられるらしい(『ウィキペディア』より)。ここから呪文、お題目の意味も出てきたのだろう。そのせいなのか、政府の唱えるマントラはもはや擦り切れ、単なる題目に堕して、絶大な効力も宿らず、シッカリ取ったはずの多くのコロナ対策は、これまでの所神風も吹かぬままである事は、国民周知の所となった。

さてにも、国民が今日まで強いられた涙ぐましいまでの努力、自粛の数々は一体なんのためであったのか。この半年に限っても、政府のご命令、或いはご要請に従い、国民は酒を断ち、会合・会食を止め(政府のお偉方は、アチコチ飲酒を伴う秘かなる会食を持たれたようだが)、歌舞音曲を控え、スポーツ観戦・旅行も遠慮し、極め付きは小中高生たちの運動会やら修学旅行等々すら絶たれるなど、数々の楽しみを断念させられたのは、何のためであったのか。

何の事はない、それらは全て、恙なくオリンピックを開催させるための準備であった。一小学生がテレビで漏らした一言が、事の本質を見事に言い当てた。「私たちの運動会は駄目でも、オリンピックはイインだ」。

だが、誰のためのオリンピックなのだろう。会場から外国からの観戦者はおろか、日本人の観戦すら許さず、ひっそりと開催されるらしい。世界のアスリートたちは、一体誰に向かって、これまでの努力の結晶を披露するのであろう。会場には誰もいないではないか。

“おもてなし”バロン・バッハのためならん   みつお

いや、そんな事は無い。目を凝らせば、観客は確かにいたのである。日本国民の血税から絞り出し、億兆の費用をかけて建造した壮大なスタジアムには、バッハ会長はじめオリンピック貴族と言われる貴顕、淑女たちが、固唾をのみ、目を見張って観戦している姿が認められる。そこでは、世界中の選りすぐりのアスリートたちが、人生の楽しみすべを擲ち、この日のために磨きにみがいたパフォーマンスを、ただ彼らのためだけに繰り広げているのである。何と贅沢な祭典であろう。こんな舞台は、かつてのローマ帝国の皇帝、中国王朝の歴史にも見られぬものであったに違いない。かくて“おもてなし”とは、こうした事であったと、深く得心させられるのである(この項、終わり)。


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