• 7月12日・木曜日。晴れ。西日本の惨状、目を覆う。町村や市街化の在り様、現状について多々疑問あり。

    7月20日・金曜日。晴れ。命の危険を及ぼすほどの猛暑、と気象庁は言う。しかも連日。

     

    では、集落の縮小化に絡む住民たちの「話し合い」では、何が中心になろうか。まず集落の地形全体を俯瞰し、住民たちの年齢構成および人口の推移を押さえる。その上で、彼ら自身にとって、この土地に住み続ける、或いは住みたいという将来的な生活環境の維持や保全のために、住民たちが担うことになるはずの負担を考量する。その負担は出来るだけ永続的にならざるを得ないだろう。このような話を詰めて行けば、「担い手の減少に応じて、維持管理が難しい場所を住民自らが選び、集約すべき」区域が決まってくる。そうして、「森に返すエリア、集落全体で保持・活用するエリア」が確定されよう。要するにこれは、「集落の守るべき範囲に線を引き、青写真を描いていく作業」であるが、同時にこの青写真は、誰に強制された訳でもない、住民たちが選び取った将来的な地区像である(147頁)。

    都市計画には、ゾーニングと言う計画区域を目的に応じて商業、工業、住宅区域に区分し、規制する手法があるが、以上はそれに等しい作業であろう。それを住民たちが主体的に行うことが重要である、とは作野、林両氏の言葉である。

    もちろん、以上の全てが上手くいき、住民たちの願った通りの集落で生活が送れるようになったにせよ、それは彼らの故郷の永続を保障する事にはならない。一度消滅の危機に瀕した集落が再生するなどということは、これまで見てきた理屈から言っても、またそこに至った経緯からみても、ほぼ不可能に近いからである。

    ここで大事なことは、住民たちが集落の存続を夢見て、必死に努力したにも拘わらず疲れ果て、いつの間にか四散し、結局は消滅を免れ得ないという「最悪のパターン」を避けることである。そして、消滅と言う同じ結果を受けようと、集落維持のための各自の負担を軽減しながら、無理をせずに今の生活を充実させ、住民自身が得心して幕引きを図っていく。それが可能になるためにも、住民たちの合意形成は何よりも欠かせない手続きなのである。

    消滅に対するこのような姿勢は、より積極的な意味を持つことになる。いよいよ離脱を目前にした時、住民たちはある纏まりをもって他地域への移転を考え、実行できるからである。こうして彼らのその後の生活は、互いに助け合った仲間と共に送ることが出来よう。それがいかに心強い事であるかは、震災等で共同体から引き離された高齢者たちが、孤立した生活の中でたちまち変調していく事例を思い起こせば、明らかである。そして、このような集団移転のケースは未だ少数ながら、アンケート調査によれば、1、日常生活の便利さ、2、医療・福祉サービスの向上、3、自然災害や積雪などの不安の軽減、の理由によって移転は積極的に評価されているのである(167頁)。

    消滅の危機に直面している集落やその住民たちは、今この事実に向き合い始めている。研究者たちも、以前であれば集落の「消滅」などと言えば袋叩きにあったようだが、その手の研究会や会合には、そうした住民たちや代表者が参加するようになってきたという。

    ここでは、これまで集落の「縮小」とその在り方について述べてきたが、しかしそれを言い立てる事がここでの本旨ではない。ただ、少子高齢化の流れは、現在のわが社会では否定すべくもない厳然とした事実であり、これを無視したからと言って、事態はいささかも変わらない。であれば、この縮小を正面から見詰め、それを積極的に捉え直し、そこから新しい社会の在り方を探っていくことは出来ないか。この再生の物語を考えたいがために、まずは「縮小」の構図を捉えようとしたのである。そして、それを踏まえた再生の物語は、我々の生き方にも触れる別種の地平へと我々を引き出すことになるであろう(この項、と言うより「1章」と言うべきか、ひとまず終わり)。

  • 7月10日・火曜日。炎暑、マイッタ。

     

    結論的に言えば、集落の縮小化、さらには集落一体としての他地区への移転、という当事者には切ない覚悟を要する決断、選択肢が迫る。集落の存立がギリギリのところにある限界的集落(住民の高齢化率50%以上、20戸未満)、それどころか消滅さえ迫る危機的集落(高齢化率70%以上、10戸未満)において、その存続を目指した必死の努力といえども、それは冷厳な眼から見れば、単なる抗いでしかない。高齢者の五月雨的な、しかし着実に進む地区住民の減少は、もはや回避できないからである。

    こうした見通しが持てず、なお将来に希望をつなごうとするのは、現に見ている現実を直視せず、迫り来る結果に対する危機感の欠如に過ぎない。掛け替えのない故郷の存立に心血を注ぐ住民たちが、コンナ身も蓋もない指摘、批判を浴びせられたらどうであろう。とてもヒトとは思えず、鬼にも見えたに違いない。だが、そのオニがいたのである。島根大学、作野広利教授その人であり、この指摘をまともに受けたのは鍋山地区の秦会長であった。

    会長は作野教授のアドバイスを受け、先ずは地区内を再見分し、その結果を「空き地を茶色、農地を緑色、空き家を赤色」として地図に塗り込んだ。こうして、地区内では「荒れ地」が予想以上に浸食しているという現状が把握できた。つまり地区内の可視化がなされ、日々見て知っているつもりが、初めて客観化された。そして、「分かっていたとは言いながらも、地図に塗ってみると、改めて実感させられ」たのである。

    このようなマッピングはさらに進み、会長はこれを基に住宅や田畑の集約を含めた集落の将来像について、住民たちとの議論の場を持ちたい。というのも、「かなり大変な話し合いかもしれないけれど」、それこそ人任せでない自分たちが残し、今後とも住みたい集落作りの第一歩だと思うからでる。

    これに対する作野教授の言葉はさすが専門家である。「村を縮めるような話」には反発が付き物だが、いよいよダメになってからでは何もできない。その結果は「どんどん住づらくなって、ますます人が減っていくこと」になり、残った住民たちの集落維持はさらに困難になる他はない。こうして四散し、集落が消滅していくケースは野たれ死ともいえる、「最悪のパターン」(林直樹金沢大学准教授)(166頁)であろう(以下次回)。

  • 7月3日・火曜日。熱風、炎暑にまいる。

    7月6日・金曜日。雨。台風、全国に豪雨禍もたらす。本日、わが誕生日。75歳となる。ただ馬齢を重ねるのみ。

     

    両地区の住民の努力は必死であり、真摯であったことは疑いない。にもかかわらず、将来の展望は開けてこない。この現実を前にして、当事者たちは一体如何なる対応を取りうるであろうか。もう一度言う。住民たちが直面しているのは、彼らにとって掛け替えのない故郷の消滅の危機である。それは手足をもがれるほどの痛みと喪失の悲しみであるという。であれば、徒おろそかに扱える分けも無かったのである。

    しかしこのような痛みと喪失の事例は、当地に限らず、今や全国的な事象であろう。たまたま島根県の場合は、それがよりハッキリと、先駆的な形で出てきた。それ故「縮小ニッポンの未来図」とも称されたのであろう。すでに、増田寛也編著『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(2014)が書かれており、本書は世に広大な衝撃を与えたが、島根県の諸例はそれを裏書きするような内容であった。

    そして、そこから引き出された結論はこうであった。以下、そこでの要約を記して、本項の結びに替えよう。

    考えてみれば、自治体が域内の、しかも高齢化の進む地区住民に「地域住民組織」の設置を呼びかけ、本来行政の担うべき業務を代替させるなどという政策(?)を持ち込まざるを得なかったことは、ある意味、行政の放棄と非難されてもやむを得ない。事実、「なんで今さらお役所の仕事を俺たちがやらねばならないんだ」、「手切れ金だけ渡して行政は何もせず、責任逃れをするつもりか」(158頁)との声も上がった。しかし、それほどまでに地方自治体の疲弊が深まってきた、という事であろう。

    ここには中央政府と地方自治体の法制上の関係改善や財政制度の見直しと言った積年の諸問題等、検討すべき多くの問題があり、これらに手を付けずしては抜本的な解決は不可能である。ただこれについては別の機会にゆずり、ここでは当面の問題に移らなければならない(以下次回)。

  • 6月26日・火曜日。晴れ。世界経済に暗雲覆う。米中間の関税闘争に加えてEUの参戦。はて日本の戦略は?それ以上に、これがディールの枠内で収まり、やがて収束するのか。火遊びが大火になったら…。

     

    住民増を目指した海潮地区に対して、鍋山地区はまるで反対の方向をとった。当地区では、外部からの移住者を呼び込む「定住促進対策」には目もくれず、従って例の交付金は別途に充てられる。その意図と方針を、秦美幸(よしゆき)地区会長が語る。

    人口減少の対策として、都会からの移住者を迎え入れようとする試みが全国的に行われているが、「言葉が悪いけど、よそから来た人に50万円だとか、片付けに5万円とか、そんなお金を出すなら、瓦が落ちて、困っているおばばの家でも直してあげてよと思う」し、まだ水洗化されていない家を整備したりする方が、よほど地域のためになるはずだ。別に、国や雲南市の方針を批判する心算はないが、「新しい人を呼び込むだけでこの鍋山地区が、人口が増えて住みよい地域になるとはあまり思っていない」、むしろ「少なくなる人口でどうすれば幸せに生きて行けるか」ということに意を尽くしたいのである(141頁)。

    こうして、当地区ならではのきめ細かな対策が取られてきた。高齢世帯への弁当配達や移動販売車の導入、また単身高齢者には緊急時の連絡体制の一つとして携帯電話を配布した。こうした多様な取り組みの中でも特徴的なのは、水道検針の代行業務である。当地区の後任に難渋していた水道局に秦会長が名乗り出て、業務報酬料80万円を得ながら、「毎月継続的に地区内全世帯の見守りを行う」ことが可能になった。作業対象は険しい山間に点在する400世帯に及び、しかも検診者はいずれも60代の住民7名が当たり、2人一組で朝8時から夕方5時頃までに100世帯を回るというから、相当の重労働であるに違いない。

    この事業の狙いは「検針と同時に行う声かけ活動。高齢世帯を対象に、一人ひとりの顔色や体調、声の様子などを確かめ、記録を取り、何か異常があれば必要に応じて市の保健師に報告する。水道がない家でも高齢世帯であればすべて訪問した」(143頁)。これは一人暮らしの高齢者にとっては嬉しく、安心感に繋がると、好評であった。やがて事業の意味が認められたのか、2015年からは年数回保健師も検針に同行するまでになる。このようにして、「この地で人生を終えたいと思う人が、いつまでも安心して暮らし続けるための環境」(142頁)を、との会長の願いが整えられてきたのである。

    鍋山地区の以上の取り組み、努力はその方針、考え方を含めて、海潮地区とは対照的ながら、評価されてよい点が多々あるように思う。しかし、こうした活動それ自体の内に、秦会長は「避けては通れない現実が迫ってきている」のを感じざるを得なくなってきた。つまり、いかに地区住民の健康を見守り、暮らしやすい環境を目指しても、「毎年一定数の高齢者が亡くなっていく現実に抗うことはできない」(144頁)からである。このままでは鍋山地区の存続はどうなるのか。会長は県の中山間地域研究センターに人口分析を依頼し、そして20年後には当地区の人口は半減するという、これまた意気阻喪させる結果であった(以下次回)。

  • 6月18日・月曜日。雨続く。梅雨寒に重ねて寒し冷房車。

     

    まず海潮地区の取り組みはこうである。当地区に運営組織が設立されたのは2005年のことであり、すでに10年以上の歴史を誇る。その間、活動を指導し、30の地区の中でも「優等生」とまで言われるほどに育て上げたのは、加本恂二会長であった。会長によれば、その頃、当地区は山間部に比べれば町にも近く、近在には職場も在って、地区の存立を心配する必要は、感じていなかった。しかし、実際には若い家族の松江市内への移住は続き、ある時「年寄りだけ残っていく感じが目に見えた。せめて減るスピードを抑えなければ、地域の存続は厳しい」。以来、この危機意識のもと、実に多様な対策をと取って来た。

    田舎暮らし体験ツアー、U・Iターン交流事業、地区内の空き家情報調査、婚活イベント等々の移住者を呼び込む対策、活動を繰り広げてきた。加えて、共働き世帯の支援として、保育所を開設し、それまで地区外の保育所まで往復12キロの送迎問題を解消する。そのための保育士・補助者の雇用に必要な費用は、低廉な受益者負担金と不足分は「地区内全世帯からまちづくりのための費用として年間1000円ずつ回収して運用費用にあてた。」こうして「地域で子供を預かる」仕組みができ、多い時には年間延べ2360人余の子供たちが保育され、この事業は2016年市の認定こども園として引き継がれる。会長は言う。このような事業の積み重ねによって、「住民たちの地域への意識が年々高まっているのを感じ」、このような活動のある限り、「地域は元気だし、地方消滅なんて言われてもまだまだ可能性は広がっているし、打つ手」はある、と。

    こうした広範な取り組みと、人口減少に対する対策だけでも年間400万円近くを投じて、10年以上の歳月を経た。そして、その成果はどうであったか。各集落を回って住民移住者の動向を調査すると、11年間で22世帯50名が移住し、その間400人以上の人口減少を見、40%以上の高齢化率であった。そこで、今後の地域運営の安定化を図るにはどれ程の移住者が必要かとの人口分析を、県の専門機関に依頼した結果は、まさに衝撃的という他はない。

    まず人口数の安定には1、人口減少比の緩和、2、子供の数(少・中学生の人口予測)の安定化、3、高齢化率の下げ止まり、の3点が達成される必要がある。そこで、当地区の住民基本台帳を基にシミュレーションした場合、1、20代前半の夫婦3世帯、2、30代前半の夫婦(4歳以下の子連れ)3世帯、3、60代前半夫婦5世帯の計11世帯の移住が、毎年確保されることという結果であった。これはこれまでの成果に比して何とも厳しい数字、それどころか実現不可能な目標ではないだろか(以下次回)。