• 2月22日・金曜日。晴れ。年度末を迎えて、理事会の仕事はいよいよ多端。評議委員会での予算審議と決定、その準備、次年度の事業方針決定等の課題に加えて、大学、付属校の卒業式・入学式の挙行(総計11の式典である)が折り重なる。それらはいずれも、心に残る意義深いものでなければならない。これらの業務のため、本欄はしばし休載の事もあろう。御寛恕を請う。

     

    以上から引き出される結論は、一つしかない。先ず、スプロール化に歯止めを掛け、市圏を縮小することである。その規模は当市の置かれた事情、つまり人口、自然環境、周辺都市との関連、市域内の産業、交通、歴史・文化等によって多様であろうが、それらを包括して当市の行政的・財政的能力に応じて決定されるであろう。ここで大事なことは、経済成長と右肩上がりの成長を前提とした都市造りからの決別である。

    この考え方は、いまや珍しくもなくなったコンパクトシティーと称される構想に沿う。市中心部には議会・市役所を初め警察、医療・教育機関等を配するが、特に医療・教育機関は他市との連合体を前提に、相互に補完し合えるような機能と水準のものとし、何が何でも他市に負けない地域最高の機関である必要はない。それらは、かかる市域連合体のより中心都市に任せる。医療は連合体の全病院が一体となって行うものとし、データは共有され、大抵の病気は中央病院他と繋がった町の医院でコンピュータ診断、治療で済まされる。難病、重篤な病人は速やかに市域の然るべき医療機関へと搬送される。そのための交通体系は、ヘリコプター、ドローンを含めた包括的なものとなろう(以下次回)。

  • 2月20日・水曜日。晴れ。寒気緩む。わが体調はやや回復するも、依然、不安定である。大学業務の無い折は、週2日の出社を維持し、ブログ更新を目指したいが、ままならぬは誠に残念。

     

    以上を踏まえて、市の再生をドウ描くか。ここに私は、ようやく述べるべき論題に達した。だが、予め申し上げれば、その要点は、これまた矢作前掲書においてほとんど尽くされているのである。筆者が昨年正月、この問題を取り上げ、私なりの解決策として思い描いた対策は、すでに矢作氏によって示されていたのである。だから昨年末、本書を読んだ折、オレと同じだと、私はかなり興奮したが、と同時にナンだ答えはもう出ている、とあっけない思いを味わった。それだから、これでオシマイと言う訳にはいかない。氏と重なる部分があろうと、私の「社会のたたみ方」を提示しておこう。

    ここでの我が出発点、関心は、詰まるところこうであった。わが国の大方の町や市街は四方に拡散し、人家の途切れた辺りが町の終わりで、大都市圏ではそんな市街の連続が果てしもない。だが、そのような市中では、人口縮小の流れを受けて、多くの空き家、空き地が放置され、それが街の機能や景観を損なう。それどころか、それはしばしば生活の場の劣化であり、高齢化が加わって市域荒廃の度はさらに進む。また、伸びきった市街地の果てに住まう住民の生活にはライフラインは不可欠であるが、これを維持する行政の負担は、特に財政力の弱い市にとってはもはや座視しえないまでに来ている。さらに、山間部の地域の場合、住民の自力ではもはや維持しえない状況である。たしかに都市のスプロール現象(無秩序な市街地形成と拡大)が言われて久しく、無論、それはわが国固有の都市現象ではないが、人口減少に直面するわが国の場合、その齎す弊害は一層深刻であろう。この問題をどう脱却するか、これが私の問題となった(以下次回)。

  • 2月12日・火曜日。曇り。先週より体調不良をかこち、今に続く。昨年、惜しくも鬼籍の人となられた敬愛するT明治大学名誉教授が、退職する私に残した言葉がしみじみ思い出される。「金子さんをある大学に推薦しようと思ったが、止めにした。75歳までは何とも思わなかった体が、それ以降、本当に辛い。これを思うとネ…」。今にして思えば、有難いご配慮であった(前回の文章は論旨不明により、手を入れた)。

     

    前記の矢作 弘『縮小都市の挑戦』は以上のような問題群を余すところなく示されたが、ここでは、本書によりながら、一点だけ言っておきたい。全国展開する大型店は、多くの販売商品の仕入れを地元からではなく、価格優位の他産地から仕入れることで、地場の生産と消費を切断すると共に、売り上げは直ちに本社に吸収されて地元に還元されない。地場産業の衰退とはそう言う意味であり、それはまた地元雇用の減退と需要能力の消滅を来たす。こうして大型店の進出は地元の産業基盤を掘り崩すのである。

    そうして、市周辺の店舗は、普通はマイカーに拠ることから、一つは市域の拡大であり、本論でも繰り返し触れたように、道路、上下水道その他インフラ整備費の上昇を免れない(特に雪国の場合、除雪費だけでもその負担は耐えきれぬものになろう)。今一つは、市中心部に残された高齢者たちの日常生活の困難である。市商店街が衰退しても、郊外まで手軽に出かける手立とそれだけの体力の無い高齢者は買い物難民へ追いやられると言うわけである。

    かくて、ここに孕む問題の大きさ、深刻さをようやく認識した国も地方も、大型店舗の野放図な出店に歯止めを掛けようと、法的整備に乗り出した。これが「まちづくり3法」として結実する。つまり、土地の利用規制によって乱開発を阻止する「改正都市計画法」、中心市街地の空洞化を食い止め、その活性化を図る「中心市街地活性化法」(この2法は1998年施行)及び「大規模小売店舗立地法」(2000年施行)の3法である。なお、立地法は直接大型店の出店を規制したものでは無いが、大型店の出店は当然、交通・騒音・廃棄物等の生活環境面に負荷を与えるとの配慮から、間接的にその出店に縛りを掛けることになる。

    ここに至るには、当然その前史がある。いわゆる「大店法」(1973年法律100号)によって大型小売店の出店が規制され、その限り中小小売業者の保護と消費者の利益を守ったが、日米構造協議の場(1991)において、非関税障壁に当たるとの批判を受け、やがてそれは規制緩和を重ねつつ、先の「大店立地法」の成立によって廃案となった。

    こう見ると、行政当局がこの問題を見逃しにして来た訳でないことは確かにしても、しかし3法が大型店出店に歯止めを掛けたかと言えば、そうではない。次の文章を引いておこう。「それで状況の変化がおきただろうか。…答えは明らかに「否」である。2003年度には786件まで急増。…2010年度以降は右肩上がりで増えている。しかも、出店計画地を調べると、依然、郊外が多い(経済産業省「中心市街地を巡る現状と課題」2012年11月)」(矢作前掲書236頁)。とすれば、先に見た地方都市の状況は、いまだ危機を脱するには程遠いと言わざるをえないだろう(以下次回)。

  • 2月6日・水曜日。雨。

     

    前記の記述は地方から都市への人口移動を示す図像としては簡略に過ぎるし、勿論これをさらに詳細に描くことは出来るが、恐らくその基本線はそう変わるものではあるまい。問題は以上のような線上で若者や地場産業で吸収しえない過剰な労働力が都市へと移動したにせよ、依然として地域に留まる住民は多く、あるいは都会生活に合わずに帰還する人々もいるが、これら住民の生活を受け止め、維持する地域社会をどう築くかであろう。かかる人々は先ずは農林水産業の従事者であり、彼らの日常生活を支える各種の製造業や商業、サービス業、役所、学校、医療関係者等々である。それらの産業の中には、その地域でしか生産できない独自の製品があろうし、他では見られない自然や文化もあり、それが他地域から観光客やら移住者を引き付ける魅力を発することもあるだろう。

    このように、都市と農村の有機的な繋がりを持った地域の都市構造はある程度の人口を有し、時間をかけて造られた都市ではどこでも見られたものであったろうが、この2,30年で一気に崩壊したのは、いかなる理由であろうか。

    その一つは、地域全体を圧する巨大産業の進出とその支配にさらされた地域では、従来の仕組みがなし崩しにされてしまう。しかし他方でわが国産業のそれ自体の構造転換によって、その産業自体が衰滅し、破綻した地域、例えば炭鉱業に徹底的に依存した夕張市や他の企業城下町と言われるような地域の事例が浮かぼう。ここでは特に、グローバル化の波に飲み込まれ、企業の撤退や生産工場の外国への移転より、それまでその企業の要求に従って造られた都市構造が一挙に根こそぎ崩れ去った地域都市群が想定されている。

    上で見る、企業の進出と撤退がかつての地域都市の生活基盤を破壊し、疲弊に追い込むような事例は、それだけでは無い。大型店の進出による商店街の破壊、市中心部の空洞化及びそれに繋がる買い物難民の発生、地場産業の衰退である。同時に、市周辺部に建設される巨大な商業施設は田畑をコンクリート化した挙句、商機がされば一気に撤退し、放置される。これは広大な環境破壊であり、地域文化の消滅である。その結果残されるのは、地域社会の荒廃である(以下次回)。

  • 2月1日・金曜日。晴れ。二十四節気では立春の頃だが、陰暦では大寒である。まだ寒波に堪えねばならぬ。本日より本論に戻る。

     

    本論を起こした筆者の思いは、時たま訪ね、またテレビの映すあちこちの地方都市は一様に衰退し、しかも近年その度を増して、なにか痛ましいまでの惨状を呈していることに言いようのない淋しさを覚えたことに発する。このまま放置すれば、我々は何か取り返しのつかない結果に追い込まれるのではないか、と言う危機感にも駆られた。かつては多様であった街の景観は均一化され、中心街ですら賑わいを失ったどころか、寂れ果て、街全体がこれに抗する術も無いまま、諦めきってしまったかのように見える。こうして生活の衰退とそこに根ざす文化の消滅を突き付けられている、そんな焦燥を免れなかった。

    こんな印象記はいつからのものであろうか。随分以前からのような気もするが、しかし近年それは急速に強まった。地方の衰退は産業構造の変遷と無縁ではない。一次、二次産業を中心とした社会では、人々の生活は農林・水産業、鉱工業に繋ぎ留められ、地方居住型となるが、様々な機械化により、生産性を増しながら、多くの農業人口は過剰となる。他方で、三次産業の発展により、地方生活から解放され、あるいは農地を持たない多くの人々は都市で急成長する、住宅・交通・治安・病院・各種インフラ整備、金融・証券はじめ無限に多様な事務業務や娯楽を含めたサービス業に吸収される。

    確かににそれらはいずれも、一方で辛く切ない刻苦の労働からの解放であり、見栄えの良く、名声と共に一獲千金も夢ではない憧れの職務であったろう。だがそれらの業務に就くためには、これまでとはまるで異なる、別種の知識、技能を身に付けなければならない。かくて、長期に及ぶ、しかもカネのかかる学校生活の始まりでもある。特に高等教育機関は知識や技術の集積を前提とし、取り分けそうした知識や技術を需要する若者が集住する都市圏の施設である他はない。さらには、これら諸機関、施設を統合し、管理する機関である議会、各省庁と言った政府機関もまた都市のものであり、ここには諸外国の機関も付加される。こうして都市はこれからの生活を拓こうとする若者にとって、刺激と魅力に満ちた磁場になった(以下次回)。