• 6月5日・水曜日。晴れ時々曇り。やや蒸し暑いが、風爽やか。最近、思うところあり。昨日の疲労は必ず翌日に及ぶが、前日の元気は今日を保証しない。本日の出来不出来は迎えてみなければ、分からない。よって、計画や予定は立ちにくい。これもなってはじめて知る老いの発見である。

    6月7日・金曜日。雨。

     

    闇雲に働き、病に倒れ、精神を病めば治療を受けるが、支払い額は経済行為としてGDPに反映され、同じことは大気汚染等の公害の発生と対策に関わる経済活動についても言える。要するにGDPで示される経済成長には、そうした生活の充実、幸福感とは無縁な、それどころかそれらを破壊する経済活動の結果も組み込まれており、であればその数値の上昇は即「幸せなマニフェスト」にはならないと、著者は言いたいのであろう。

    さらに、こうした果てしの無い欲求に駆られた経済活動の延長線上にある、現在のグローバル化した自由主義的経済活動、その成長至上主義がもたらす地球規模の環境破壊やその惨状は危機的ですらあり、このまま放置すれば生命の生存すら危うくしかねないところまで来ている。その様相を気候変動の側面から告発したのは、ナオミ・クラインであった(幾島・荒井訳『これがすべてを変える 資本主義vs.気候変動』上・下岩波書店2017年)。ここではその一点だけを引いておこう。それは、フラッキングと称する水圧破砕の技術を用いて、天然ガス・石炭採掘・シェールガス(頁岩・けつがん・という泥岩に含まれる天然ガスの一種)採掘によって生じた環境破壊であり、みるも無残な結果を惹き起こした。

    まず指摘されるべきは、天然ガスをフラッキングによって採掘した場合のメタン排出量は在来型に比して30%ほど多くなるが、それは生産、処理、貯蔵、輸送の全てで漏洩するからである。しかもメタンの熱吸収率は、通説に反してCO2の34倍に及び、地球の温暖化は長期的に見て、ネットワーク化された「大気オーブン」の発生によって一気に高かまると言う(上・196頁以下)。

    その採掘と精製方法が問題である。在来型に比べて高額で複雑な生産工程を取るが、資本の回収を考えれば、稼働年数は数十年規模となる。しかもここには世界的なビッグビジネス間の生死を賭けた競争が加わる。限りある資源を少しでも多く採取しなければならないからだ。

    採掘方法は頁岩層に割れ目を造って、埋蔵されたガスを採取するが、地中深部に長期間、高密度に圧縮された状態にあった頁岩層は硬度も高く、その破砕は容易では無かった。21世紀、米国でそのために開発された技術は破壊力もあり、しかも水平坑井(こうせい)技術へと進化することで漸く実用化されることになる。やがて北米を越えて世界に拡大するこの結果は目を覆う惨状である。

    「岩を爆破して原油や天然ガスを採掘したり、タール状の泥に高温の蒸気を圧入したりといった極端な抽出法を組み合わせて使うことが増えている。たとえば、オイルサンドにに含まれるビチューメン(粘度の高い原油の事―引用者)を溶かす水を加熱するために、フラッキングで採掘したした天然ガスをパイプで送り込むと言った具合だが、これはエネルギーの「死のスパイラル」のほんの一例にすぎない。言い換えれば、業界が革新と呼ぶのは、自殺へと至る中毒の最後のあがきのようなものだ。大陸の岩盤を爆破し、有毒物質とともにポンプで水をくみ上げ、山頂を削り、針葉樹林を丸裸にし、深海を危険にさらし、氷が解けつつある北極海を先を争って開発する―すべては最後の一滴、最後の岩まで手に入れるために。そう、これを可能にしているのは最先端の技術ではある。だがそれは革新ではなく、狂気なのだ」(上・198頁)。

    その結果はどうか。豊かな原野は破砕による地割れのためガスや油分にまみれ、多様な生命の死滅を招く。近隣民家の水道水が突然燃え出し、不自然な病状や高率の癌発症を呼ぶ。これらを告発する医者や研究者らは、当局、企業に取り込まれ、これを拒む者たちは様々な誹謗と妨害を蒙って、社会的な抹殺の対象となる。この経過は、わが国の原発に対する市民運動家、研究者たちのそれを彷彿させるものがある(上川龍之進『電力と政治 日本の原子力政策全史』上・下勁草書房・2018)(以下次回)。

  • 5月24日・金曜日。晴れ。はや夏日、所によっては猛暑日の街もあるとか。今年の夏が思いやられる。一昨日、地下鉄の冷房にやられたか、風邪をひき、昨日、終日臥せる。抵抗力の減退覆い難し。

    5月31日・金曜日。曇り。明日より水無月。梅雨の時期に「水の無い月」とは妙な事と思いつつ、今日まで打ち捨てにしてきたが、本来、「無」は「の」の意味で「水の月」、すなわち「田に水を引く月」という事であるらしい(『日本語大辞典』より)。

     

    前書は決して読みやすい本ではない。マニフェスト、すなわち宣言書であるが、そこにいたる説明が主題によっては十分でないまま、断定的に宣言されているためであろう。もっとも、宣言は膨大な文献に裏付けられており、根拠がない訳ではない。ともあれ、それを押して読み進めれば、非常に啓発的であることは間違いない。

    以下では、著者のいう「防御的経済成長」の主張についてのみ紹介するにとどめたい。これはわれわれの問題にも深く関わり、また現在の経済発展のメカニズムに潜む負の部分を鮮やかに浮き上がらせているからである。

    この「防御的」と形容される経済成長は、殊に合衆国で典型的であるが、今や欧州(そして日本)をも覆う経済活動の在り方である。これを一言でいえば、こう要約されよう。経済発展がもたらす豊かさは、その反面、様々な物、或いは事を犠牲にして来た。

    例えば、自然環境の劣化、家族や社会的な人間関係の希薄化、むしろ断裂はその最たるものであろう。それらによって、人々は相互の信頼や恩恵と言った、貨幣価値には還元されない有形・無形の慰安や安心を受けることが出来た(これらを著者は「社会関係資本」という)。資本主義社会以前の農業を中心とする社会(村落共同体)ではどこでも見られた、当たり前のことであったが、経済発展や都市化と共に住民は都市へと吸引され、血縁・地縁関係は消滅すると同時に、都市住民となった彼らは孤立し、生活の多くは自身の責任で維持していかなけれならなくなった。

    もっとも村落共同体にはそれ特有の閉鎖性と共同性が強固であり、それが個人の自立・自由を拘束する。また、共同体からはみ出す住民を厳しく罰し、排除する面のあることをみれば、共同体生活を手放しで賛美することは出来ない。こうした社会からの脱出こそ、経済的な理由とは別に、若者たちが持つ都市への羨望の一つであったであろう。

    だが、元に戻ろう。都市住民となった人々は、かつては当てにできた社会関係資本を失い、いまやそれに代わる代替物を自ら獲得しなければならなくなった。屋内には、人間関係を埋め合わせ、孤独と無聊を慰めるテレビ・スマホ他数々の電化製品、荒涼とした住宅街では細やかながら庭木を設え、あるいはいつでも自然に帰れるような別荘や自由な移動を保証する自家用車等々と、獲得すべき財貨やサービスが無限に迫ってくる。かくて人々はそのための所得をめざして、ただ勤労に駆り立てられる他はない。「防衛的」経済活動とは、そのように失われた生活の回復を図ろうとするものである。そして、GDP(国内総生産)で示される経済成長はそのような消費欲に支えられた経済活動の結果だと言う訳である(以下次回)。

  • 5月17日・金曜日。晴れ。今週前半は大学業務に忙殺され、本日、漸く早稲田に出社。やや疲労気味。例によって、前回の文章をやや手直しした。

    5月22日・水曜日。晴れ。明日より暑さはさらに募るとの予報あり。

     

    これまで本欄で取り上げたイサカ市はじめ様々な事例から分かるように、「住みたい街」造りは、必ずしも地域の広さや人口規模に捉われる必要はないと言いたい。

    だが、経済至上主義に立って、経済発展が無ければ住民生活は成り立たない、とこのように考えるとどうか。ここでは、市圏の拡大と人口増を前提に工場誘致を図り、またそのための土地の確保、各種のインフラ整備が不可欠で、それに応じた自然環境の破壊は免れない。しばしばそれは、もはや現況回復が不可能なほどのものとなろう。しかもそうして出来上がった産業地域は、規模の大小を問わず、時々の経済状況に左右され、行政は常にその維持や発展を目指した政策を取らざるを得ず、この限り市行政の独立性は損なわれる。にも拘らず、事業体の撤退やら破綻ともなれば、生活基盤の喪失と失業だけが残されよう。企業城下町の危うさはそこにある。そして、地域の疲弊の第一は、そうした連鎖の中で、青年層の都市への流失にあったのではなかったか。

    しかも、このような経済発展を第一義とした社会は、住民自身の生活や暮らしにとって決して幸福なものになり得ないと言う主張が、最近、さらに強まって来ているように思われる。S.バルトリーニ著・中野佳裕訳『幸せのマニフェスト 消費社会から関係の豊かな社会へ』(コモンズ・2018)はその一例である(以下次回)。

  • 4月26日・金曜日。曇り時々雨。やや冷える。明日より、国民の祝日としては前代未聞の10連休が始まる。「令和」の時代目前。「令」とは「ひざまずき神意に耳を傾ける」意という。そこで令には、清々しくも美しい感覚を呼び起こす意味が込められていると共に、他方で神の意に従うことから指令とか命令の意味を孕む。願わくは、新時代が「美しくも調和」ある時代であらん事を。

    5月2日・木曜日。晴れ。令和元年、二日。平成天皇は、国民統合の象徴としての天皇の在り様を皇后と共に考え、それを具体化し、国民に指し示した。それが国民に寄り添い、わが国はじめ世界平和への祈りであった。お二方の30年に及ぶご努力は時と共に一層の輝きを増すであろう。

    5月8日・火曜日。晴れ。風爽やか。

     

    以下は再び、ウォーカー『住みたい街を自分でつくる』(3月26日)の項に接続するが、しかしもはやその再現を目指してはいない。すでに、これまでの文章によって彼女の意図が形を変えて示されているからである。ただしここで、ウォーカーたちがつくって来た「住みたい街」は、どのような地域と環境の中にあり、また歴史を負っていたかについては一言しておかなければならない。

    舞台は米国北西部ニューヨーク州中部・トムキンズ郡の一市イサカである。カユガ湖南端に位置し、3つの丘陵地に広がる新宿区(18.23㎢)よりやや狭い15.7㎢の土地に、3万人が暮らす。当然アップダウンの多い、それだけに豊かな水流が湖・渓流・滝と姿を変えて変化に富んだ自然を形づくり、そうした自然環境の中にコーネル大学、イサカ大学を擁する学園都市でもある。

    当地にも勿論、ヨーロッパ人たち入植者が入る以前には、自然と共に生きてきた先住民、ここではイロコイ族の生活があった。彼らの生活が入植者たちに及ぼした影響力は、イサカ市のその後にとって、それ以上に米国の建国にとって逸することの出来ない意味を持った。

    すでにイロコイ族は、それぞれ女系で繋がる6部族に分かれていたが、それらは互いを尊重し、各部族の自立性を認めながら平等の部族連合体として統治する手法を編み出していた。そこでは、「自然界とともに生き、誰とも平和に暮らしていくという価値観を、いつも思い出させてください」という祈りの言葉通りの生活が目指された。

    このような価値観や統治手法に大きな感銘を受けたのは、後に合衆国の建国に尽力するベンジャミン・フランクリン(1706-1790)である。彼はイロコイ族との親交の中から、彼らの精神と原理を学び取り、ここに後の「ユナイテッド・ステイツ」という革新的なアイデアに思い至ったと言う(14-17頁)。フランクリンは言う。「シックスネーションは賢い人たちの集まりだ、だから、彼らの協議会に耳を傾け、われわれのこどもたちにも、それに従うように教えよう」。

    であるとすれば、イサカのその後の歩みが、根底において女性を含めた人々の自由と平等の統治観を忘れず、さらには自然と共に生き抜く価値観に支えられて、今に至ったと言えよう。歴史の及ぼす影響力、規制力がいかなるものであるかを、改めて考えさせる話ではないか(以下次回)。

  • 4月12日・金曜日。曇り。山間部には雪が舞い、季節外れの花冷えは続く。なお本日は疲労のため、前便に一段落分を加筆して、終了とする。

    4月19日・金曜日。晴れ。本日は予定を変え、朝日新聞(朝刊・4/17/水)から街づくりの興味深い試みを紹介したい。

    4月23日・火曜日。晴れ。本日、中野学園の理事会終了後、事務所に立ち寄る。本日中に何とか前回の文章を仕上げたい。

     

    「30年後の街 発想は模型から」と題する記事は、街づくりを考えようとするものにとっては、実に啓発的である。現在内閣府は、各自治体が今後の街づくりの指針なり参考になりうるようなマニュアル作りを進めているが、そこには「19年にわたって北九州市の民間団体が提言し続けてきた「思想」」が生かされている。のみならず、当団体はマニュアル作りそれ自体のヒントをも提示したという。岡本久人会長率いる「次世代システム研究会」(八幡東区)がそれである。

    本欄でもしばしば、人口減少と共に上下水道、道路等のインフラ施設のほか拡大した市域の問題が、現在すでに多くの自治体にとって行政的にも財政的にも大きな負担となり、結局、街全体の再整備―ここでは「社会のたたみ方」として提案しようとするのだが―が不可欠になっている、と言ってきたが、30年後というかなり長期の時間軸を取って、この問題を考える点が参考になる。一気に30年後に飛ぶことによって、現に目の前にある都市景観や交通網から解放され、またこれを無視して、自由な発想で30年後の街の全体像を構想し、そのために取るべき今後の方向性や街区の策定等が展望されるからである。

    事の次第はこうだ。先ず、研究会の基本「思想」は「ストック型社会」、すなわち「住宅やインフラを長寿命化し、何世代も使える」ような街づくりを目指すという考え方である。耐用年数の短命な構造物では造っては壊すの繰り返しで、せっかくの資金は他に回せず、そして次世代も同じ問題を免れない。これでは結局、ゆとりある社会の到来は望めない。であればこそ、ストック型社会の建設が説かれるわけだが、その意義はこれに留まらない。岡本会長は言う。「人口減少も資源問題もSDGs(持続可能な開発目標)も、多くの課題はストック型の考え方で解決する。将来の課題に対応できるよう、マニュアルも活用して今から街や地域を再設計することが大事だ」。

    では、「街や地域」はドウ再設計されるのであろうか。そこで活かされるのが、「都市模型」である。まず、当該地域の地形・人口減少地区・自然災害の予測地や範囲を重ね合わせた地図を作成し、これを基に都市の各施設や住宅区域等をどう配分するかと言った議論を進める。その結果は3Dプリンターによって立体化された「都市模型」に再現される。

    人口6.5万人を擁する八幡東区の場合は、150センチ四方の模型(縮尺2千分の1)が造られ、それを前にして10代から70代の市民たちが3日間の議論に明け暮れた。参加した70代の男性の感想を引こう。「私たちの世代は今の延長線上で考えがち。若い人の発想に学ぶことが多かった」。

    その意味は次の発言から伺えよう。「坂は急だが、眺めがいいから高級住宅街に出来るかも」「この場所は、風がよく通るから畑に変えてはどうかな」。こうして街を大きく変える発想が相次ぎ、不便な山間地域が果樹園に代わり、雑木林を備えた住宅地が誕生し、果ては「住まいは所有権から利用権が主流になる」との注目すべき意見まで飛び出した。

    このような将来像は参加学生の心をシッカリ捉えたようだ。「大学卒業後は都会で生活したいと思っていた。でも八幡東区が生まれ変わっているなら、もう一度戻って生活したい」。大都市の生活がすべてではない。小なりと言えど、住むに快適で、心地よい生活の場であれば、人は自ら選んで住み着くものだと教えられる話ではないか。