• 8月2日・金曜日。晴れ。焦熱地獄は続く。危険なほどの熱さとは、我々は如何なる科(とが)からコンナ処罰を受けなければならないのであろうか。

     

    西南極にスウェイツ氷河、パインアイランド氷河なる巨大氷河があるそうだ。恐らく、この氷河のいずれかであろう、海上に押し出され、巨大な氷塊が次から次へと崩落する映像は、筆者も何度か映画やテレビで観たし、その圧倒的な崩落に息を呑んだ覚えがある。

    最近、この両氷河が、目の離せない観察対象になっているとは、Wikipedia(Thwaites Glacier)にもあるが、これによれば当氷河の流れが加速し、その頂上は低下し、陸地との接地点が後退して来たからである。

    そこで、ジャパンタイムズは言う。これら氷河が極地を覆う氷冠(ice sheet)は全て解ければ、地球海面を優に6m上昇させる程だが、因みに1mの上昇によって1億9千万人の移住を強いるし、3mではニューヨーク、上海、東京を含む世界のメガシティを危機に陥れる海水量と言う。しかも、両氷河はこのままいけば、パリで合意された、上昇温度は2度以下に抑えると言う温暖化抑制策を取っても(実際には、米国の撤退によりそれすらも実行されない様相なのだが)、もはや時すでに遅し。後戻りの出来ない溶解点に達し、結果は3mの海面上昇を惹起する可能性があると、研究者等は危機感を募らせているのである。

    彼らはこうした惨害を回避しようと、例えば微粒子の空中散布により、CO2の地中への回収を図るなどの案を考案する。しかしそのいずれも、人間を含めた生物や気候にとっての有害性が問題となる始末である。こうしてたどり着いたのが先の巨大砲案であった。

    それによれば、氷海を吸い上げ、氷河の頂上に散布し、氷河のこれ以上の消失を阻止しようとするものである。それが、いかに奇怪であるかは、考案者であるドイツの研究者、アンドレス・レーフェルマンの言葉からも明らかである。「こんな事をするなど、おぞましいし(a terrible thing)、われわれは決してこれを推奨しない」。「だが、どんな物理的モデルを採用しても、パリの気候条約を遵守した上で、結局は5mかそれ以上の海面上昇を免れられないであろう」。そして、彼のシミュレーションによれば、少なくとも7.4兆トンの降雪(それはジャンボジェット機15万機分に相当する)によって氷河の安定が図られるとのことだが、そのためには計り知れない費用に加え、何百台もの大砲、コスタリカ程の地域の降雪を要するらしい。さらにその結果がもたらす南極への影響はこれまたterribleだと言う。他にも何棟かエッフェル塔級の塔を建て、氷棚を積み上げるとか、高さ100m、距離100キロの堡塁を造り、温水(?)の氷冠下部への浸透を防ぐなどがあるが、どこまで本気で、何処から冗談なのか不明な、提案者自身クレイジーと言って憚らない案に至っては、呆れかえる前に、笑うしかあるまい(この項終わり)。

  • 7月30日・火曜日。晴れ。梅雨明けと共に、列島、焦熱地獄に喘ぐ。

     

    資源の「最後の一滴」まで搾り尽くさねば止まない経済発展が、地球規模で推し進められている現在、今や人類の存亡が問われるほどの危機に直面するに至ったか。海洋汚染や環境破壊、気候問題のいずれも、じっと見据えれば、規模と深さ、その激甚さにおいて途方に暮れ、背筋が凍りつく。今夏のパリの40度、われわれの熱暑もその表れの一つであるに違いない。

    これらに対して、これまで世界は多方面から多くの警鐘と共に、具体的な対策を提示してきた(先にみたクラインもその一人である)。我々は事の深刻さを知らない分けではないのである。だが、止められない。今日・明日の儲けを失いたくないからである。

    その結果はどうなる。危機はのっぴきならず、対抗手段は益々困難にならざるを得ないだろう。以下では、ヨーロッパの研究者らによる海面上昇の危険とその対策の紹介であるが、提案者自身がグロテスクと言うように、その実現性もさることながら、対策の異様さ、奇怪さは驚くばかりである。つまり、こんな事まで考えなければならない程、人類は追いつめられてきたのだ。この事を言いたくて、「社会のたたみ方」という本欄の筋からあえて脱線した次第である。

    題材はThe Japan Times ,July19,2019に掲載された記事:「大陸棚救済のために、雪を放射する巨大砲の提案。 数兆トンの海水を利用し、氷河面を覆い、南極海の破局的な溶解回避を目指す」からである(以下次回)。

  • 7月19日・金曜日。午後より晴れる。久しぶりの事だが、蒸し暑さにはマイッタ。

    7月26日・金曜日。晴れ。今週は大学業務と重なり、多忙であった。読書の停滞、目を覆う。なお、本日は前回の文章を加筆、修正したに過ぎない。

     

    各地方の再生の取り組みは多様であり、それぞれ必死であることは認める。だが、相も変らず一極集中的な考え方や手法を見せつけられると、それ以外の地方再生の構想、物語はないのかと、不思議な思いに駆られる。と言うのも、これまで様々な中小都市や地域の在り様に学び、必ずしも市圏の拡大や発展を目指さなくとも充実した「街づくり」が可能である事を見てきたからである。そればかりではない。東京と地方の構図が示すように、一極集中は周辺地域の疲弊はあっても、その発展は中々見ないからでもある。

    6月7日・金曜日、『朝日新聞』夕刊の一面に「リニア・新幹線…鉄道網発達で開発拍車」「地方の大都市駅前花盛り」の見出しが躍った。対象となった大都市とは、名古屋、札幌、博多の3市である。

    3市に共通した点は、見出しにあるように、巨大な交通網の結節点であり、それゆえの膨大な乗降客数を当て込んだ駅前開発である。名古屋の場合、1日の平均乗降客数は128万人であり、東京駅(131万人)に匹敵するらしい。札幌、博多の数値は出ていないが、いずれも新幹線の乗り入れでその数は飛躍的に伸びた。特に札幌市は、30年の冬季五輪・パラリンピックの招致に積極的で、その関連で海外富裕層向けの最高級ホテルの誘致も目指す。市幹部は「札幌の『顔』にふさわしい新たなシンボルをつくる」と鼻息は荒い。と同時に、ここに、市の意志と開発の方向性はあきらかである。

    同じことは博多駅周辺開発にも言えるが、ここでは九州新幹線鹿児島ルートの全線開発により弾みがついた。東急や阪急百貨店と言った大手の出店が目白押しに加え、博多駅線路上空には高級ホテルやオフィス建設の構想が浮上している。その煽りを受けたか、これまで九州最大の商業地の名を謳歌して来た福岡・天神地区に陰りが見え始めたようである。もっとも、17年度の天神の売上高はいまだ博多駅地区の約2倍を維持するものの、11年度以降の伸び率は博多の37%に比べ、天神では約5%に過ぎない。この勢いが続けば両者の関係が逆転する日も遠くあるまい。

    名古屋駅開発の影響力は両市以上のものとなろう。「鉄道で来てもらえる利便性がある」との言葉の通り、当地はすでに「売り上げ日本一」を誇る高島屋を擁する。同店は隣接商業施設との集積と相まって人気ブランドの誘致に事欠かず、商品の多様性は他を圧し、2000年以来の開業で日本一の地位を築いた。周辺地区と合算した売り上げ高は2058億に及び、名古屋の「栄」と栄華を誇った同地区の売り上げ(1915億)を大幅に上回った。もっとも、栄の場合は、失地回復の巻き返しを図ってか、最近、大型の再開発に取り組み、これが成功すれば、両地区の相乗効果から名古屋は更なる発展を期待できるかもしれない。

    それにしてもである。「鉄道で来てもらえる」との言葉が端的に示すように、移動の便、多様な商品やサービス等を武器にした商業地区の一極発展は、隣接地域から顧客を強引に吸引することである。それを緩和し、両地区の共存の仕組みや対策が図られなければ、隣接地の疲弊は免れない。このような発展の図式を、私は都市の「サイフォン式発展」もしくは「サイフォン化都市」と呼びたい。この命名はわがオリジナルと自負するが、すでに誰かこう呼んだ人がいるかもしれない。

    ここでのサイフォンの動力は、新幹線はじめとする巨大交通網と共に既存商圏の更なる開発・発展である。それは周辺地区ばかりか、遠方の他県からも吸引する威力を持ち、余程の独自性を持った地区でなければ、これには太刀打ちできないであろう。これが逃れられない歴史の必然ならばやみ難いが、であれば地方再生などと言った旗は降ろすべきであろう。これは、「滅ぶべきは、滅べ」と言うに等しいからである(以下次回)。

  • 7月16日・火曜日。雨。過日、ふと知り合った若者の洩らした言葉が心に残った。「このまま梅雨が明けないで欲しい」。自販機に飲料水を補充して回る仕事であり、暑く成るにつれ、彼の仕事は大変になる。炎天下であれば、心身の消耗は並では無かろう。冷夏に幸いを見る人の反面、商売が成り立たない人がいる。特に秋の実りが心配になって来た。かくも世の中は複雑である。

     

    前回、市中心部から自動車を遠ざけ、自転車や公共の交通機関に代替させようとするイサカ市の取り組みをみたが、それに比べて朝日新聞(朝刊・7/11)の「細るバス網 遅れる施策」と題する記事はどうか。

    広島県安芸太田町での事である。2003年、JR線の一部廃線を受けてバス運行が始まった。広島市中心部から終着駅三段狭までの50キロの距離を、1日往復13便が繋ぐ。乗客の1人で、太田町から終着駅近くにある実家の農地に週3回通う婦人(80)がいる。夕方の乗客はほとんど自分一人で、「なんだから運転手さんに申し訳ない。廃止にならなければいいけど」。いずれ廃線は免れ難いであろうが、彼女の思いは切実であるに違いない。

    対して市中心部には6社もの会社が路線を競い、朝夕の混雑時にはバスも乗客も列をなす。しかし一台当たりの収益は落ちてきた。赤字路線には市からの補助があり、18年度では4億86百万円に及び、10年前の1.4倍と言う。勿論、市が無策であった分けではない。補助金の縮減や混雑の緩和を目指し、市が調整役となって、事業者間の重複ダイヤを整備し、そこで浮いた経費分や運転手、車両を郊外や山間部の路線維持に振り向ける対策をとった。「他社との調整ができれば、便数が抑えられることがわかった」とは広島バス担当者の言葉である。

    事は太田町の話だけではない。路線バス経営問題は全国的である。国交省によれば全国245社の路線バス事業者の内、17年度での赤字は3分の2に及び、その内8割超が地方バス会社である。「人口減で乗客が減り、バスの本数が減るという悪循環が続く。最近では人出不足による運転手の待遇改善も急務で、収益を圧迫する」。

    しかも問題はそれに止まらない。地方では、公共交通が充実した都市部に比して、自動車への依存度は高いが、この所の高齢者の自動車事故の多発による免許返納の圧力は高まる一方である。だが、代替する「生活の足」の確保は覚束ない。その先にあるのは、住民流出からコミュニティーの崩壊の危機である。

    地方再生を掲げる政府の対応はどうか。今年度の地方交通網の維持費に充てられる予算は、全国レベルで220億円に過ぎず、対して整備新幹線の工事費は792億円と言う。そして、これまでは競合バス会社が自由にダイヤを調整し、利益の一部を赤字路線の事業者に再配分すること等は、独禁法から厳禁されていた。この度それをようやく「条件つきで認める方針」が出された。これに対して、広島バス協会顧問・西川雅巳氏の言葉は歓迎しつつも、苦言に満ちたものであった。「すでに地域の足は細り、疲弊が進んでいる。もっと早く対応できなかったのか」。地元では、乗客数が急減した1990年代後半には、バス網の再編等の議論を進めていたからであった。これらを見ると、地方再生の問題の根は深く、多方面に及んでいると言わざるを得ない(以下次回)。

  • 7月11日・木曜日。雨。近頃、暑さがとみに堪える身にとっては、夏とは思えぬ肌寒い日々を良とするが、さすがに夏空が見たくなってきた。あと2,3日で梅雨明けとの報道あり。

     

    イサカもまた、度外れた石油開発の機運に対して厳しく反抗し、ついに環境を死守したと、クラインも評価している。その中心になったのは、先住民のとりわけ祖母の世代の女性たちであった。そして、ここでの闘いで先ず守られるべきは、やはり当市の豊かな水系であった。そのもとに、「森の街」イサカが誕生するのである。

    そのような環境の中で創られた街は、すでに示したように(242頁)、周辺市域と連携しながら、基本的な生活は十分維持される街であった。当市の経済はその中でほぼ自足し、だから大都市の経済圏に必ずしも依存する必要がない。

    そのためには、食は地元産食品を優先し、こうして地産地消のシステムを成り立たせた。これはただ地域農業の支援策に留まらず、すべての住民に健康な食品を提供することでもある。これを可能にしたのは、まずは化学肥料の使用を制限し、食品破棄物を統合的に管理し、「ゴミゼロ」を目指して「ゴミを黄金に変える」「黒い黄金―堆肥化」の取り組みであった。ここにイサカが自らをエコビッレジ(「自然に即した村」と言ったほどの意味か)と呼ぶ理由もあろう。

    しかし、エコビッレジの理由はそれに止まらない。ソーラーシステムを駆使した住宅や共同住宅は、二重窓や気密性の高い建築技術と相まって、燃費効率の良い、夏涼しく、冬暖かい住居を可能にした。さらに小型の街は巨大エネルギー装置を必要としない。水力、ソーラー、風力発電でエネルギーは十分賄える。さらにこの街は、小なるが故に「すべてが徒歩圏内の街」に向けて、交通手段は自転車や公共の交通機関を主とし、脱・自動車社会を目指しているかのようである。市圏はそれを意識して、その拡大化を排し、ここに「暮らしやすい街」が誕生する(以下次回)。