• 8月14日・水曜日。雨のち晴れ。台風10号本州接近。再び、西日本地区の豪雨禍が心配される。明日、終戦記念日。なお、本日は大学広報から依頼された原稿の草稿を記す。

    8月16日・金曜日。晴れ。台風後も炎暑は続く。承前。

    8月22日・木曜日。曇り。本日、少々蒸すが、夜間の涼味は早や秋。日の入は早まり、秋分が迫る。それを越えれば、いよいよ長月となる。なお2週間ぶりの配信だが、別段、盆休みでも病気であった訳でもない。大学からの原稿依頼に対応していたためだが、それについては9月初旬に配信したい。

     

    前回、南極の巨大氷河氷解の危機について報告したが、今回は「亜北極圏」で進行している、さらに深刻な氷河消滅の事実に触れてみたい。これによって、わが地球が直面している温暖化がいかなる影響を及ぼしているかを目の当たりにするであろう。題して「アイスランド、初の氷河消失を記念し、喪葬(そうそう)の儀を執り行う」(The Japan Times Tue.Aug.20、2019)である。副題には「同国は毎年110億トンの氷塊を失い、2200年までには同地帯の400諸島の氷河の全てが消滅するかも知れない」とある。

    この種のものとしては世界初となる同式典の模様はこうである。参会者はヤコブスドッティル同国首相、ロビンソン元国連人権高等弁務官ほか科学者、ジャーナリスト、一般国民など数百名の人々であるが、彼らは開催地であるオクヨックルに徒歩で集い、氷河の消滅でむき出しになった岩石の上に一枚の銅板を据えて、首相が語る。

    「この式典が、アイスランドのこの地にある我々のみを鼓舞するばかりか、世界の他の人々に対してもそうであらん事を希望します。と申しますのは、当地で目の当たりにしております事は、気候的危機の一つの局面に過ぎないからです」。それ故、銘板には「一通の未来への手紙」と刻印され、こう続くのである。「次の200年の間に、われわれの氷河は全て、同じ道を辿るものと思われる。この記念碑は、当地で生じている事は何か、それに対してなすべき事が何であるかを我々は知っている、と認める為である。こうする事で、あなたもまたこの事実を知るのである」と(以下次回)。

  • 8月7日・水曜日。晴れ。熱暑、炎暑とどう言っても、この暑さには及ばない。だが、74年前の広島、長崎の惨劇を思うと、言葉を失う。改めて犠牲者の方々のご冥福を祈る。なお、前回文章の末尾に若干加筆した。

     

    前回の話が、ただ奇想天外なアイデア賞やビックリ賞を競う類のものであれば、笑ってすます事も出来よう。だが、それが他ならぬ我らの地球の救済策として真剣に考究され、早急に取り組むべき対策の一つであるとなると、話は別だ。ここまで事態は切迫し、もはや放置できない。温暖化は、今やわれわれの喉元に突きつけられた短剣である。

    原因はCO2の排出であり、これは、クラインで見たように、闇雲な経済活動の結果であるという。であれば、その抑制が第一であり、次いでCO2関連技術の開発が考えられるが、しかし、経済の成長主義を玉条とする政治家、経済学者らはこれに大反対である。揚げ句は、成長なき経済は江戸時代への逆行であり、われわれはそんな生活に耐えられるのか、と宣う。

    これは、全く極端な言である。現在の経済水準を多少下げることが、何故江戸時代に戻らざるを得ないと言うのか。それ以上に、海面上昇により東京はじめ海岸線上の大都市が水没の危機に見舞われれば、江戸時代も何もあったものではない。それ以下の生活をも甘受せざるを得ないではないか。そもそもここに至るはるか以前に、気候変動の悪化は徐々に、あるいは急激に制御不能となり、地球環境の激変やら、水資源の問題ほか様々な資源の枯渇に直面して、これ以上の経済発展は難しくなるのではないか。さらに、「13世紀」辺りから勃興し始めた資本主義的経済は、70億の人口数と共に、今やピークに達しつつあるようなのだ(水野和夫『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』集英社新書2017)。

    われわれが現在直面しているこうした諸問題に対して、成長主義者はどう考えているのか、率直に訊きたいものである。こう考えるのは、恐らく筆者だけではあるまい(以下次回)。

  • 8月2日・金曜日。晴れ。焦熱地獄は続く。危険なほどの熱さとは、我々は如何なる科(とが)からコンナ処罰を受けなければならないのであろうか。

     

    西南極にスウェイツ氷河、パインアイランド氷河なる巨大氷河があるそうだ。恐らく、この氷河のいずれかであろう、海上に押し出され、巨大な氷塊が次から次へと崩落する映像は、筆者も何度か映画やテレビで観たし、その圧倒的な崩落に息を呑んだ覚えがある。

    最近、この両氷河が、目の離せない観察対象になっているとは、Wikipedia(Thwaites Glacier)にもあるが、これによれば当氷河の流れが加速し、その頂上は低下し、陸地との接地点が後退して来たからである。

    そこで、ジャパンタイムズは言う。これら氷河が極地を覆う氷冠(ice sheet)は全て解ければ、地球海面を優に6m上昇させる程だが、因みに1mの上昇によって1億9千万人の移住を強いるし、3mではニューヨーク、上海、東京を含む世界のメガシティを危機に陥れる海水量と言う。しかも、両氷河はこのままいけば、パリで合意された、上昇温度は2度以下に抑えると言う温暖化抑制策を取っても(実際には、米国の撤退によりそれすらも実行されない様相なのだが)、もはや時すでに遅し。後戻りの出来ない溶解点に達し、結果は3mの海面上昇を惹起する可能性があると、研究者等は危機感を募らせているのである。

    彼らはこうした惨害を回避しようと、例えば微粒子の空中散布により、CO2の地中への回収を図るなどの案を考案する。しかしそのいずれも、人間を含めた生物や気候にとっての有害性が問題となる始末である。こうしてたどり着いたのが先の巨大砲案であった。

    それによれば、氷海を吸い上げ、氷河の頂上に散布し、氷河のこれ以上の消失を阻止しようとするものである。それが、いかに奇怪であるかは、考案者であるドイツの研究者、アンドレス・レーフェルマンの言葉からも明らかである。「こんな事をするなど、おぞましいし(a terrible thing)、われわれは決してこれを推奨しない」。「だが、どんな物理的モデルを採用しても、パリの気候条約を遵守した上で、結局は5mかそれ以上の海面上昇を免れられないであろう」。そして、彼のシミュレーションによれば、少なくとも7.4兆トンの降雪(それはジャンボジェット機15万機分に相当する)によって氷河の安定が図られるとのことだが、そのためには計り知れない費用に加え、何百台もの大砲、コスタリカ程の地域の降雪を要するらしい。さらにその結果がもたらす南極への影響はこれまたterribleだと言う。他にも何棟かエッフェル塔級の塔を建て、氷棚を積み上げるとか、高さ100m、距離100キロの堡塁を造り、温水(?)の氷冠下部への浸透を防ぐなどがあるが、どこまで本気で、何処から冗談なのか不明な、提案者自身クレイジーと言って憚らない案に至っては、呆れかえる前に、笑うしかあるまい(この項終わり)。

  • 7月30日・火曜日。晴れ。梅雨明けと共に、列島、焦熱地獄に喘ぐ。

     

    資源の「最後の一滴」まで搾り尽くさねば止まない経済発展が、地球規模で推し進められている現在、今や人類の存亡が問われるほどの危機に直面するに至ったか。海洋汚染や環境破壊、気候問題のいずれも、じっと見据えれば、規模と深さ、その激甚さにおいて途方に暮れ、背筋が凍りつく。今夏のパリの40度、われわれの熱暑もその表れの一つであるに違いない。

    これらに対して、これまで世界は多方面から多くの警鐘と共に、具体的な対策を提示してきた(先にみたクラインもその一人である)。我々は事の深刻さを知らない分けではないのである。だが、止められない。今日・明日の儲けを失いたくないからである。

    その結果はどうなる。危機はのっぴきならず、対抗手段は益々困難にならざるを得ないだろう。以下では、ヨーロッパの研究者らによる海面上昇の危険とその対策の紹介であるが、提案者自身がグロテスクと言うように、その実現性もさることながら、対策の異様さ、奇怪さは驚くばかりである。つまり、こんな事まで考えなければならない程、人類は追いつめられてきたのだ。この事を言いたくて、「社会のたたみ方」という本欄の筋からあえて脱線した次第である。

    題材はThe Japan Times ,July19,2019に掲載された記事:「大陸棚救済のために、雪を放射する巨大砲の提案。 数兆トンの海水を利用し、氷河面を覆い、南極海の破局的な溶解回避を目指す」からである(以下次回)。

  • 7月19日・金曜日。午後より晴れる。久しぶりの事だが、蒸し暑さにはマイッタ。

    7月26日・金曜日。晴れ。今週は大学業務と重なり、多忙であった。読書の停滞、目を覆う。なお、本日は前回の文章を加筆、修正したに過ぎない。

     

    各地方の再生の取り組みは多様であり、それぞれ必死であることは認める。だが、相も変らず一極集中的な考え方や手法を見せつけられると、それ以外の地方再生の構想、物語はないのかと、不思議な思いに駆られる。と言うのも、これまで様々な中小都市や地域の在り様に学び、必ずしも市圏の拡大や発展を目指さなくとも充実した「街づくり」が可能である事を見てきたからである。そればかりではない。東京と地方の構図が示すように、一極集中は周辺地域の疲弊はあっても、その発展は中々見ないからでもある。

    6月7日・金曜日、『朝日新聞』夕刊の一面に「リニア・新幹線…鉄道網発達で開発拍車」「地方の大都市駅前花盛り」の見出しが躍った。対象となった大都市とは、名古屋、札幌、博多の3市である。

    3市に共通した点は、見出しにあるように、巨大な交通網の結節点であり、それゆえの膨大な乗降客数を当て込んだ駅前開発である。名古屋の場合、1日の平均乗降客数は128万人であり、東京駅(131万人)に匹敵するらしい。札幌、博多の数値は出ていないが、いずれも新幹線の乗り入れでその数は飛躍的に伸びた。特に札幌市は、30年の冬季五輪・パラリンピックの招致に積極的で、その関連で海外富裕層向けの最高級ホテルの誘致も目指す。市幹部は「札幌の『顔』にふさわしい新たなシンボルをつくる」と鼻息は荒い。と同時に、ここに、市の意志と開発の方向性はあきらかである。

    同じことは博多駅周辺開発にも言えるが、ここでは九州新幹線鹿児島ルートの全線開発により弾みがついた。東急や阪急百貨店と言った大手の出店が目白押しに加え、博多駅線路上空には高級ホテルやオフィス建設の構想が浮上している。その煽りを受けたか、これまで九州最大の商業地の名を謳歌して来た福岡・天神地区に陰りが見え始めたようである。もっとも、17年度の天神の売上高はいまだ博多駅地区の約2倍を維持するものの、11年度以降の伸び率は博多の37%に比べ、天神では約5%に過ぎない。この勢いが続けば両者の関係が逆転する日も遠くあるまい。

    名古屋駅開発の影響力は両市以上のものとなろう。「鉄道で来てもらえる利便性がある」との言葉の通り、当地はすでに「売り上げ日本一」を誇る高島屋を擁する。同店は隣接商業施設との集積と相まって人気ブランドの誘致に事欠かず、商品の多様性は他を圧し、2000年以来の開業で日本一の地位を築いた。周辺地区と合算した売り上げ高は2058億に及び、名古屋の「栄」と栄華を誇った同地区の売り上げ(1915億)を大幅に上回った。もっとも、栄の場合は、失地回復の巻き返しを図ってか、最近、大型の再開発に取り組み、これが成功すれば、両地区の相乗効果から名古屋は更なる発展を期待できるかもしれない。

    それにしてもである。「鉄道で来てもらえる」との言葉が端的に示すように、移動の便、多様な商品やサービス等を武器にした商業地区の一極発展は、隣接地域から顧客を強引に吸引することである。それを緩和し、両地区の共存の仕組みや対策が図られなければ、隣接地の疲弊は免れない。このような発展の図式を、私は都市の「サイフォン式発展」もしくは「サイフォン化都市」と呼びたい。この命名はわがオリジナルと自負するが、すでに誰かこう呼んだ人がいるかもしれない。

    ここでのサイフォンの動力は、新幹線はじめとする巨大交通網と共に既存商圏の更なる開発・発展である。それは周辺地区ばかりか、遠方の他県からも吸引する威力を持ち、余程の独自性を持った地区でなければ、これには太刀打ちできないであろう。これが逃れられない歴史の必然ならばやみ難いが、であれば地方再生などと言った旗は降ろすべきであろう。これは、「滅ぶべきは、滅べ」と言うに等しいからである(以下次回)。