• 9月6日・金曜日。晴れ。舞台は天上の土俵上。次第に土俵際に追いつめられた夏勢力が、渾身の力を絞って秋季山を押し返し、激しく揉み合う。今週は、残暑のぶり返しが続くか。筆者にはそんな図がよぎる。地上では、秋場所迫る。なお、先日、かつての教え子から思いがけないコメントを受け、大いに喜ぶ。

     

    農場化に次ぐ問題は、鉱山の採掘である。アマゾン流域の諸国がいずれも行う不法採掘では、殊に金鉱の場合、水銀等の化学物質が使用され、土壌、河川の汚染を来たすが、その広域性と持続性の点で類を見ない。仏領ギアナ・アメリカインディアン協議会は「火災がアマゾンを脅威にさらし、破壊する唯一の危険ではない。採掘の責任はさらに大である」と断言する。

    ヴェネゼイラは石油価格の崩落により、アマゾン資源に目を付け、2016年、巨大プロジェクトを発した。ボウキサイト、コルタン(タンタル:白金代用品―筆者も不明ながら、熱交換器などの化学工業用耐酸材や外科用手術材料等に使用される素材―製造のために精製される)ダイアモンド、金の採掘を開始し、熱帯雨林の11万㎢以上を破壊した。かくて「あらゆる植物が刈られ、除去され、土壌流失から水銀汚染、住民移動を余儀なくさせる」。こうした鉱山採掘の問題は「何層にも及ぶ土壌破壊が恒久的に森林を破壊し、新たな生命の再生を阻止してしまう」事にある。また、石油開発を許したエクアドルでは、当地の土壌浸食を甘受すると言う代価を払った。

    ペルー、コロンビアでは、軍隊を派遣し、アマゾン流域地の不法採掘の阻止に動くが、時すでに遅し。何年も放置された流域では乱開発が跋扈し、特にコロンビアの場合、すでに13.8万㌶の消失を見、これは同国の全森林破壊の70%にもなると言う(以下次回)。

  • 9月3日・火曜日。曇り時々雨。残暑は相変わらず厳しく、落葉樹の葉はいまだ青々しい。だが、新緑のしなやかさは疾うに失せ、日暮れ以降の風はさらに涼味を増す。もはや秋。

     

    本日から、本題に戻るつもりが、TheJapanTimes(Mon、Sep.、2、2019)に「森林火災はアマゾンの唯一の脅威にあらず」の記事を読み、前2回の論題を引き継ぐことにした。

    当地の熱帯雨林はこれまで様々な脅威に曝されてきたし、現在もその最中にある。農場化、鉱山の採掘、不法占拠もまた、森林火災(特に人為的な)と共に森林を蹂躙してきた。以下順を追って要約するが、これを南北両極圏の氷床の崩壊、海面上昇と重ね合わせる時、何か地球の終わりが差し迫るような恐怖を覚えないであろうか。

    記事の農場化の原語はfarmingであり、辞書には「農業、農場経営、牧畜、養殖」の語釈が当てられており、また『精選版 日本国語大辞典』には農場化の言葉はない。よってこの語は筆者の造語になるかも知れない。それでもあえてこれを言うのは、「化」によって、森林地帯の農地化が押しとどめる術もなく、全面的に展開していく運動態のような状態を示したいからである。まさに事態はそのように進展しているのである。

    当地帯では、ボリビア、ブラジル他全てで9カ国がそれぞれ統治権を有し、各国とも農業地の境界線を拡大、前進させている。その方法は、例えば、ブラジル、ペルー、エクアドル、ボリビアでは、いずれも共通して農民が乾燥期に焼き畑によって農地を造成してきたが、「それがしばしば制御不能な延焼に至るのである」。

    またボリビア政府は最近、5㌶に代えて20㌶の焼き畑を正式に承認し、それは「5月以来、草原、森林合わせて120万㌶を無にする数千の森林火災を呼んだ」と言われ、さらに国連データによれば、コロンビアでは17万㌶に及ぶ違法なコカ栽培が森林を徐々に蚕食しているようなのである(以下次回)。

  • 8月27日・火曜日。曇り。蒸し暑し。承前。

    8月29日・木曜日。曇り。蒸し暑し。本日は、前回の文章の内、後半に手を入れたに過ぎない。

    なお、今日は良い日であった。テレビコマーシャルに乗って、ハズキルーペを手に入れた。松本清張全集(文藝春秋版)の活字があまりに細かく、老眼鏡も歯が立たない。10分も読めば眼球の奥が痛み出す。底樋(そこひ)になるのでは、と訴え出ると、「ナムサン」願いは届いて、天から降るように上手くいった。使い心地については、いずれ報告の予定である。

     

    そもそも気候変動の議論は、念入りな統計データに基づき、正確ではあろうが、抽象的に過ぎ、しばしば素人には退屈で分かりにくい。だからこそ、「氷河の消滅を記念した式典は、現在われわれが直面している事態を十全に理解させるに格好の方法である」、こう式典の意義を説くのは、ライス大学の人類学者・C.ハウ助教授である。また、別の研究者は言う。「日々の気候変動は人間の尺度から見れば、緩慢に過ぎて実感できないが、地質学の基準からすれば、非常に速い」。まだ先があると思っている間に、取り返しが付かない事になる。

    例えばこうだ。1890年には、当地の氷河は16㎢であったものが、2012年には0.7㎢にまで縮小し、2014年、これは最早「生きた氷河にあらず、死せる氷に過ぎず、と決定したが、氷に動きがないためでる」。と言うのも、氷河と認定されるには、「氷と雪の容量がその重量によって動かざるを得ないほど厚く、それはほぼ4,50mに達し」ていなければならないからである。この結果、温暖化がこのまま続けば、2100年には世界遺産となった氷河のほぼ半分が消滅する、とは国際自然環境保護同盟の試算である。こうした喪失が如何なるものであるかは、ヤコブスドッディル首相の警告から明らかである。「われわれの再生可能エネルギーの大半は、氷河において生産される。…その消失は人類のエネルギーシステムに影響を及ぼすであろう」。

    このところ、我々はアマゾン川流域に広がる熱帯雨林の巨大な延焼に直面し、深い衝撃を受けている。当地帯が地球の「肺」、ラジエーターと言われて久しい。二酸化炭素を吸収し、酸素を送り出すからだが、こうして地球全体の生態系や気候の安定化にとってかけがえのない地帯となっている。しかし、ブラジル政府の開発意欲はやみ難く、そうした姿勢が不当な伐採、焼き畑を招来し、今回の事態の一因に繋がったとの報道がある。

    さらに、南極大陸では中国が氷厚千mを突き破る技術を開発し、大陸に眠る膨大な資源に食指を動かしているとも読んだ。中国にとって南極は、今や利用すべき「宝の山」となったが、これは「保護すべき自然遺産」とする世界の共通認識に対する挑戦である。他方、北極圏では、米・中・露の巨大大国がグリーンランドやアイスランドの資源や軍事的意味に着目し、開発への意志を強め、強引に乗り出してきたようだ(朝日新聞・朝刊、2019/8/26)。かくて地球の将来は、予測不能な途轍もない危険地帯へと放りだされるのであろうか。

  • 8月14日・水曜日。雨のち晴れ。台風10号本州接近。再び、西日本地区の豪雨禍が心配される。明日、終戦記念日。なお、本日は大学広報から依頼された原稿の草稿を記す。

    8月16日・金曜日。晴れ。台風後も炎暑は続く。承前。

    8月22日・木曜日。曇り。本日、少々蒸すが、夜間の涼味は早や秋。日の入は早まり、秋分が迫る。それを越えれば、いよいよ長月となる。なお2週間ぶりの配信だが、別段、盆休みでも病気であった訳でもない。大学からの原稿依頼に対応していたためだが、それについては9月初旬に配信したい。

     

    前回、南極の巨大氷河氷解の危機について報告したが、今回は「亜北極圏」で進行している、さらに深刻な氷河消滅の事実に触れてみたい。これによって、わが地球が直面している温暖化がいかなる影響を及ぼしているかを目の当たりにするであろう。題して「アイスランド、初の氷河消失を記念し、喪葬(そうそう)の儀を執り行う」(The Japan Times Tue.Aug.20、2019)である。副題には「同国は毎年110億トンの氷塊を失い、2200年までには同地帯の400諸島の氷河の全てが消滅するかも知れない」とある。

    この種のものとしては世界初となる同式典の模様はこうである。参会者はヤコブスドッティル同国首相、ロビンソン元国連人権高等弁務官ほか科学者、ジャーナリスト、一般国民など数百名の人々であるが、彼らは開催地であるオクヨックルに徒歩で集い、氷河の消滅でむき出しになった岩石の上に一枚の銅板を据えて、首相が語る。

    「この式典が、アイスランドのこの地にある我々のみを鼓舞するばかりか、世界の他の人々に対してもそうであらん事を希望します。と申しますのは、当地で目の当たりにしております事は、気候的危機の一つの局面に過ぎないからです」。それ故、銘板には「一通の未来への手紙」と刻印され、こう続くのである。「次の200年の間に、われわれの氷河は全て、同じ道を辿るものと思われる。この記念碑は、当地で生じている事は何か、それに対してなすべき事が何であるかを我々は知っている、と認める為である。こうする事で、あなたもまたこの事実を知るのである」と(以下次回)。

  • 8月7日・水曜日。晴れ。熱暑、炎暑とどう言っても、この暑さには及ばない。だが、74年前の広島、長崎の惨劇を思うと、言葉を失う。改めて犠牲者の方々のご冥福を祈る。なお、前回文章の末尾に若干加筆した。

     

    前回の話が、ただ奇想天外なアイデア賞やビックリ賞を競う類のものであれば、笑ってすます事も出来よう。だが、それが他ならぬ我らの地球の救済策として真剣に考究され、早急に取り組むべき対策の一つであるとなると、話は別だ。ここまで事態は切迫し、もはや放置できない。温暖化は、今やわれわれの喉元に突きつけられた短剣である。

    原因はCO2の排出であり、これは、クラインで見たように、闇雲な経済活動の結果であるという。であれば、その抑制が第一であり、次いでCO2関連技術の開発が考えられるが、しかし、経済の成長主義を玉条とする政治家、経済学者らはこれに大反対である。揚げ句は、成長なき経済は江戸時代への逆行であり、われわれはそんな生活に耐えられるのか、と宣う。

    これは、全く極端な言である。現在の経済水準を多少下げることが、何故江戸時代に戻らざるを得ないと言うのか。それ以上に、海面上昇により東京はじめ海岸線上の大都市が水没の危機に見舞われれば、江戸時代も何もあったものではない。それ以下の生活をも甘受せざるを得ないではないか。そもそもここに至るはるか以前に、気候変動の悪化は徐々に、あるいは急激に制御不能となり、地球環境の激変やら、水資源の問題ほか様々な資源の枯渇に直面して、これ以上の経済発展は難しくなるのではないか。さらに、「13世紀」辺りから勃興し始めた資本主義的経済は、70億の人口数と共に、今やピークに達しつつあるようなのだ(水野和夫『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』集英社新書2017)。

    われわれが現在直面しているこうした諸問題に対して、成長主義者はどう考えているのか、率直に訊きたいものである。こう考えるのは、恐らく筆者だけではあるまい(以下次回)。