• 9月19日・木曜日。晴れ。9/3日以来、3回にわたりアマゾン流域の熱帯雨林を扱ってきたが、今月16日(月)、朝日新聞が同問題を大々的に取り上げた。その論調は筆者のものに近く、わが意を強くしたが、朝日は問題提起に留まったのに対し、本欄はその解決策にまで及んでいる点で、深みがあるとの一読者の評を得、大いに気を良くした。

    なお本日は、今月1日刊行の『明治大学広報』(731号)・論壇欄に掲載されたわが一文を掲げておきたい。因みに、本文に対する学内の感想はおおむね良好であり、特に論題の案件を直接扱う部署では、かなり衝撃的な内容であったらしい。

     

    創立140周年記念事業に寄せて――夢を語ろう――   監事 金子光男

     

    一つ、夢物語を書かせて頂こう。2年後に創立140周年を迎える本学は、現在、その後の150周年祭を見据え、さらなる発展の礎となるべき様々な事業を企画している。以下は、この企画立案の一助になればとの思いに発したものである。

    「御茶の水地区再開発に向けて――歴史と文化の薫る潤いのある街づくり」なる研究プロジェクトの設置を提案したい。だが、これは単に駿河台キャンパスの再開発案ではない。北に神田川を画し、明大通り、靖国通り、白山通りに囲まれた地区全体の開発プランの策定である。本学はそうした環境の下で新生し、21世紀を拓く新たな「暁の鐘」を撞き始めるのである。

    思うに当地区は、都心に残された数少ないもっとも重要な開発対象地区ではないのか。ならば、大手ディベロッパーにとっては垂涎の的であろう。当地の歴史的、文化的意義は言うに及ばず、皇居はじめ政財官界の中心地に隣接しながら、ビルと家屋群が雑居する。路地は入り組み、緑は無きに等しく、憩う場もない。古書店巡りを除けば、散策の楽しみは皆無である。昔からの住人は高齢に達し、今更建て替えや転居も決断しかねる。と言って、今後を思えば、さまざま不安に感ずる向きも多かろう。とすれば、当地区の再開発には行政的な関心も強いとみる。

    当計画案の作成にはどれ程の時間と経費を要するであろう。本郷台の南端を頂点とし、神保町まで一気になだれ落ちる地形上に、「暮らしてみたい街」を浮き上がらせたグランドデザインが描かれなければならない。そのためには、単なる都市工学・開発の視点を越えて、無数に錯綜する利害関係の調整や経済的な諸問題等、要するに理科や文化を総合した学際的な観点からの研究が不可欠だからである。ここに本学は独自の研究手法・領域を開発することになるが、それが孕む可能性は計り知れないものがあるはずだ。

    のみならず、千代田区、関係省庁の知見に学ぶところも多かろう。国内外の都市開発プランナーを招いた国際シンポジウムでは、都市再生の物語を紡ぐ。その成果は、逐次、学術書として刊行されるのだ。魅力的で実践性の高い計画だと分かれば、一級のシンクタンク、ディベロッパーも黙ってはいまい。となれば、本学は新たな研究パートナーと共に、従来にない水準の研究支援を期待しうるではないか。

    確かに計画案は案に過ぎない。だが、発想力のあるプランニングは、これに触発されて多くの構想案を生みだし、一つとなって現実を動かす起動力となりうる。19世紀末、汚濁と汚わいに塗れたベルリン市が世界屈指の都市へと甦った事実がある。折しも鴎外が「ウンテル、デン、リンデン」と謳うように闊歩したのはその頃であった。

    本学のかような知への貢献は、「明治の学」を改めて天下に知らしめるに違いない。

  • 9月13日・金曜日。曇り。夏季休暇が終わり、理事会始動す。よって、今週はかなり多忙であった。本日で前2回の論題を締めたい。

     

    アマゾン流域破壊の第3の問題点は、同流域への不法入植である。この地帯には9か国が関わると言うが、そのいずれも当局の監視が届かない遠隔地になるほど、農地を持たない農民たちの不法な占拠が野放しとなり、やがては農地占有権の承認を要求するにいたる。その結果、農地や放牧地のための野焼き、焼き畑に歯止めがなくなる。それ以上に問題なのは、政治家や土地開発業者の「出来るだけ広大な土地を我が物にしようとする貪欲」である。彼らの狙いは、こうして得た土地の販売であり、「投機」利得そのものである。

    「非公式な土地市場や公的な未利用地の私有化に対する公的機関の規制の欠如が、こうした現象を生みだした」とは、コロンビア保存・持続開発財団のロドリゴ・ボテーロ氏の言である。それでも、環境主義者からの圧力はあって、ボリビア政府は投資規制を目指して、火災破壊による土地販売の禁止条項を打ち出し、「環境保護的なポーズ」を宣言せざるを得なくなった。だがこれは、「当局の承認の許、この5月以来、すでに120万㌶の草原、森林を火災で焼失」した後では、すでに後の祭りと言う他はない。こうして、例えば家具や器具材用には最良のマホガニーは乱伐もあって、消滅の危機にあるらしい。

    どうであろうか。以上3項目を一読するだけでも、広大なアマゾン流域の熱帯雨林が広範囲にしかも急速に消滅の危機に瀕している様が察せられるであろう。それが失われることによる地球規模での温暖化への影響を考えれば、何か暗澹たる思いに陥らないであろうか。これに加えて両極の氷塊の流失もある。そう言えば、今年の夏の暑さは尋常ではなく、連日のように50年、100年ぶりの熱暑と豪雨の記録を聞かされた。しかし、これらを読めば、それは単に始まりに過ぎないらしい。今後は一層その度合いを増し、ついには生命全体が日照りと干ばつと飢餓の中、のたうち回るような責苦を受けつつ滅んでいく、そんな事態に追い込まれるのであろうか。

    だから、アマゾン流域諸国が悪い、と彼らを断罪するのが、ここでの我が趣旨ではなかった。地球環境の破壊と温暖化を今日までの事態に追いやった第一の元凶は、先進諸国である。18世紀の産業革命以来、先進諸国は科学技術を進化させ、それを駆使して、地中からあらゆる物質を掘り出し、豊かな生活の名の許で二酸化炭素を地表上に放出し、今なおそれを止めようとしない。

    発展途上国が開発された技術に着目し、自らの国土に眠る資源に目覚め、先進国が追い求めた豊かさを追求するのを、誰が咎められようか。しかもその支援を、先進諸国の大資本が買って出ようと言っているのだ。彼らからすれば、今更勝手なことを言うな。国家主権に介入するな、これがブラジル大統領、ボルソナーロの言い分であろう。現にそれに近い言及は同日のTheJapanTimesの「何故、ボルソナーロは外国支援に慎重なのか」の記事にある。

    そこで筆者の結論はこうである。アマゾン流域の熱帯雨林が「地球の肺」と言われるほどに重要であり、掛け替えのないものであるならば、世界諸国がその使用料、恩恵の対価を経済力に応じた比率に従って支払う制度を創設し、同時に雨林に手を付けずとも発展しうる持続可能な経済的・技術支援の対策を講ずることである。勿論そこでは、主権国の主権と主張が十分尊重される体制が取られなければならない。恐らく、その仕組み作りは他の途上国の支援の在り方にも役立つはずである。今や、世界は一国だけの発展、繁栄を追究出来る時代ではない。それを目指すには、地球の諸事象は世界中に波及し、いずれの国もそれを免れることは出来ず、各国の行動は直ちに他国に連動すなど、諸国は緊密に繋がり、一体となり過ぎてしまったからである(この項おわり)。

  • 9月6日・金曜日。晴れ。舞台は天上の土俵上。次第に土俵際に追いつめられた夏勢力が、渾身の力を絞って秋季山を押し返し、激しく揉み合う。今週は、残暑のぶり返しが続くか。筆者にはそんな図がよぎる。地上では、秋場所迫る。なお、先日、かつての教え子から思いがけないコメントを受け、大いに喜ぶ。

     

    農場化に次ぐ問題は、鉱山の採掘である。アマゾン流域の諸国がいずれも行う不法採掘では、殊に金鉱の場合、水銀等の化学物質が使用され、土壌、河川の汚染を来たすが、その広域性と持続性の点で類を見ない。仏領ギアナ・アメリカインディアン協議会は「火災がアマゾンを脅威にさらし、破壊する唯一の危険ではない。採掘の責任はさらに大である」と断言する。

    ヴェネゼイラは石油価格の崩落により、アマゾン資源に目を付け、2016年、巨大プロジェクトを発した。ボウキサイト、コルタン(タンタル:白金代用品―筆者も不明ながら、熱交換器などの化学工業用耐酸材や外科用手術材料等に使用される素材―製造のために精製される)ダイアモンド、金の採掘を開始し、熱帯雨林の11万㎢以上を破壊した。かくて「あらゆる植物が刈られ、除去され、土壌流失から水銀汚染、住民移動を余儀なくさせる」。こうした鉱山採掘の問題は「何層にも及ぶ土壌破壊が恒久的に森林を破壊し、新たな生命の再生を阻止してしまう」事にある。また、石油開発を許したエクアドルでは、当地の土壌浸食を甘受すると言う代価を払った。

    ペルー、コロンビアでは、軍隊を派遣し、アマゾン流域地の不法採掘の阻止に動くが、時すでに遅し。何年も放置された流域では乱開発が跋扈し、特にコロンビアの場合、すでに13.8万㌶の消失を見、これは同国の全森林破壊の70%にもなると言う(以下次回)。

  • 9月3日・火曜日。曇り時々雨。残暑は相変わらず厳しく、落葉樹の葉はいまだ青々しい。だが、新緑のしなやかさは疾うに失せ、日暮れ以降の風はさらに涼味を増す。もはや秋。

     

    本日から、本題に戻るつもりが、TheJapanTimes(Mon、Sep.、2、2019)に「森林火災はアマゾンの唯一の脅威にあらず」の記事を読み、前2回の論題を引き継ぐことにした。

    当地の熱帯雨林はこれまで様々な脅威に曝されてきたし、現在もその最中にある。農場化、鉱山の採掘、不法占拠もまた、森林火災(特に人為的な)と共に森林を蹂躙してきた。以下順を追って要約するが、これを南北両極圏の氷床の崩壊、海面上昇と重ね合わせる時、何か地球の終わりが差し迫るような恐怖を覚えないであろうか。

    記事の農場化の原語はfarmingであり、辞書には「農業、農場経営、牧畜、養殖」の語釈が当てられており、また『精選版 日本国語大辞典』には農場化の言葉はない。よってこの語は筆者の造語になるかも知れない。それでもあえてこれを言うのは、「化」によって、森林地帯の農地化が押しとどめる術もなく、全面的に展開していく運動態のような状態を示したいからである。まさに事態はそのように進展しているのである。

    当地帯では、ボリビア、ブラジル他全てで9カ国がそれぞれ統治権を有し、各国とも農業地の境界線を拡大、前進させている。その方法は、例えば、ブラジル、ペルー、エクアドル、ボリビアでは、いずれも共通して農民が乾燥期に焼き畑によって農地を造成してきたが、「それがしばしば制御不能な延焼に至るのである」。

    またボリビア政府は最近、5㌶に代えて20㌶の焼き畑を正式に承認し、それは「5月以来、草原、森林合わせて120万㌶を無にする数千の森林火災を呼んだ」と言われ、さらに国連データによれば、コロンビアでは17万㌶に及ぶ違法なコカ栽培が森林を徐々に蚕食しているようなのである(以下次回)。

  • 8月27日・火曜日。曇り。蒸し暑し。承前。

    8月29日・木曜日。曇り。蒸し暑し。本日は、前回の文章の内、後半に手を入れたに過ぎない。

    なお、今日は良い日であった。テレビコマーシャルに乗って、ハズキルーペを手に入れた。松本清張全集(文藝春秋版)の活字があまりに細かく、老眼鏡も歯が立たない。10分も読めば眼球の奥が痛み出す。底樋(そこひ)になるのでは、と訴え出ると、「ナムサン」願いは届いて、天から降るように上手くいった。使い心地については、いずれ報告の予定である。

     

    そもそも気候変動の議論は、念入りな統計データに基づき、正確ではあろうが、抽象的に過ぎ、しばしば素人には退屈で分かりにくい。だからこそ、「氷河の消滅を記念した式典は、現在われわれが直面している事態を十全に理解させるに格好の方法である」、こう式典の意義を説くのは、ライス大学の人類学者・C.ハウ助教授である。また、別の研究者は言う。「日々の気候変動は人間の尺度から見れば、緩慢に過ぎて実感できないが、地質学の基準からすれば、非常に速い」。まだ先があると思っている間に、取り返しが付かない事になる。

    例えばこうだ。1890年には、当地の氷河は16㎢であったものが、2012年には0.7㎢にまで縮小し、2014年、これは最早「生きた氷河にあらず、死せる氷に過ぎず、と決定したが、氷に動きがないためでる」。と言うのも、氷河と認定されるには、「氷と雪の容量がその重量によって動かざるを得ないほど厚く、それはほぼ4,50mに達し」ていなければならないからである。この結果、温暖化がこのまま続けば、2100年には世界遺産となった氷河のほぼ半分が消滅する、とは国際自然環境保護同盟の試算である。こうした喪失が如何なるものであるかは、ヤコブスドッディル首相の警告から明らかである。「われわれの再生可能エネルギーの大半は、氷河において生産される。…その消失は人類のエネルギーシステムに影響を及ぼすであろう」。

    このところ、我々はアマゾン川流域に広がる熱帯雨林の巨大な延焼に直面し、深い衝撃を受けている。当地帯が地球の「肺」、ラジエーターと言われて久しい。二酸化炭素を吸収し、酸素を送り出すからだが、こうして地球全体の生態系や気候の安定化にとってかけがえのない地帯となっている。しかし、ブラジル政府の開発意欲はやみ難く、そうした姿勢が不当な伐採、焼き畑を招来し、今回の事態の一因に繋がったとの報道がある。

    さらに、南極大陸では中国が氷厚千mを突き破る技術を開発し、大陸に眠る膨大な資源に食指を動かしているとも読んだ。中国にとって南極は、今や利用すべき「宝の山」となったが、これは「保護すべき自然遺産」とする世界の共通認識に対する挑戦である。他方、北極圏では、米・中・露の巨大大国がグリーンランドやアイスランドの資源や軍事的意味に着目し、開発への意志を強め、強引に乗り出してきたようだ(朝日新聞・朝刊、2019/8/26)。かくて地球の将来は、予測不能な途轍もない危険地帯へと放りだされるのであろうか。