• 10月25日・金曜日。雨。前回の台風は聞けば、アラスカまで達したとか?海水温が高く、消滅し無かったようだ。これが本当であれば、地球の温暖化は今や危険水域に達していると見なくてはならないだろう。前回の文章、やや手を入れる。

    11月1日・金曜日。晴れ。霜月朔日とは言え、東京周辺の気候は霜どころか、紅葉の気配もなく、汗ばむほどだ。昨日の首里城の炎上にはただ茫然とし、言葉を失う。ノートルダム大聖堂の焼失が重なった。東京オリンピックの混乱があるかと思えば、トランプ米大統領の弾劾裁判に向けた調査が始まる。何もかもタガが外れ、地球が混迷への道に迷いこむ予兆でなければ良いが。

     

    だいぶ間が空いたが、先を続けよう。事柄は、一外人記者から見た月島界隈の開発問題であった。前回、武蔵小杉のタワーマンションの困窮をみたが、同じ問題はここでも発生しよう。しかも当地は隅田川河口の埋立地区だけに不安はつのる。

    先に摩天楼の商業ビル、マンション群と言ったが、そも超高層ビル、マンションの定義はまちまちの上、ビルとマンションでは異なるようである。ことに後者は建築基準法では18階以上58m以上を言うが(因みに、超高層ビルとは15階以上または100m以上『広辞苑』より)、現行ではそれを遥かに越え、現在計画中の超高層マンションには180mを越える例も珍しくない。都区内ではすでに124棟6万戸を数え、この数値は全国300棟・11万4千戸の内52.5%に及び、これらに加えて高層商業ビルが建ち並ぶ訳であるから、都市景観が様変わりするのも当然である。

    さて、この度の月島の開発計画では、2024年完成予定の高さ190m、50階建て、750戸、総延べ床面積14.5万㎡の巨大マンションの建築が提示された。こうして昔ながらの下町風情は一挙に消滅することになる。Gentrifiedの語がつかわれた文意は「月島は巨大マンション計画によって高級住宅化される地区にあり」、だからこれまで生活していた人々には、止む無く転居を余儀なくされるという市街美化の歴史に常に付きまとう、何とも言いようのない哀惜の感を禁じ難い。事実、そこに暮らす住民たちは「以来、地代は高くなり、この場所から出て、どこかもっと安いところを見つけなきゃ」と顔を曇らせるのである(以下次回)。

  • 10月16日・水曜日。曇り。

     

    まず、この度の台風被災地の皆様方に心よりお見舞い申し上げたい。今なお曇天から漏れ出しそうな雨は、細やかであっても被災地には恐怖である。「雨よ、降るな」と祈るのみ。これは、他人ごとではない筆者自身の祈りでもある。

    13日未明の豪雨はわが家周辺の道路を冠水させ、栗橋辺りでは利根川の決壊が危惧された。市に問い合わせれば、決壊は春日部一体で1,2mほどの冠水となる事から、現在避難所を準備中である、整い次第避難勧告を出すとの事。冗談じゃない。深夜3時、体調不具合の上、30㎝余りの水路の中をかなり遠方の避難所までどうするんだと、暗然とするばかり。同時に被災者の方々の思いに繋がった。結局、決壊は免れたが、単に幸運であったに過ぎない。次はどう転ぶか分からない。今後も温暖化は続き、しかも悪化しそうだと言うのだから。

    都内では、多摩川の越水、内水氾濫(川の水位が上がり、下水道を逆流して市内冠水を惹き起こす事)を来たし、周辺地域を困窮させた。こうした事態は豪雨の際には珍しいことではなく、20年ほど前であったか、下水道から河川に放流された汚水が逆流し赤羽駅近辺を汚臭が覆ったことがある。また、19世紀末のベルリン市では、下水道の整備によって汚濁、汚染から解放されるが、豪雨の折、シュプレ-川に放流された汚水の逆流の被害を受けた。一つの文明の利器が、思いがけない形で人々の生活を侵害する事例である。

    恐らく、ある技術に潜む全ての不備や欠陥を予測し、予防することは人間には不可能であるに違いない。航空機や関連施設の発展の歴史が示すように、一つひとつの失敗に気づかされ、改善される他ないのである。進歩とはその積み重ねの結果であろう。だから技術の進歩は何処までも未熟であり、完成はありえない。その事をシカと心に留め、安心してはいけない(その意味で、原子力関連の技術は不幸である。事故は時間的、空間的に甚大に過ぎ、失敗は許されない。だから失敗は在ってはならず、最後は無いこととされて「安全神話」に繋がった。かくて改善の道は絶たれる他はないだろう。これについての畑中洋太郎氏の言は不気味である。「万一の際に、格納容器を守るために内部のガスを外に逃がす『フィルター付きベント』の実施テストは義務付けられていない。放射性物質を外部に出すからという理屈です。日本の原子力業界は今も安全神話という特有の『気』に包まれているように思います」(朝日新聞・朝刊・「失敗を直視せよ」・2019/10/18)。

    だが、直接その被害を被った人々は不幸の極みである。罪とがもなく、突然、災難に叩き落されるのである。この度の事例で言えば、浸水のために武蔵小杉のタワーマンションで生じた電気系統の破綻がもたらした生活上の困苦は、誠に同情を禁じ得ない。報道にもあったが、何故自分たちだけがコンナ悲惨に遭わなければならなかったのか。これに答えられる人は恐らくいない。誰もがこのような惨事に見舞われる可能性があるからである(本日はこれまで)。

  • 10月11日・金曜日。曇り。特大台風、関東地方直撃前夜。昨日のジャパンタイムズには世界が注視する台風とあった。房総方面の住民への憂慮もさることながら、やや内陸部にあるわが家の安全すら覚束ない。一体、地球はどうなってしまったのか。自然からこれだけの警告を受けながら、根本的な対策を先延ばしにしようとする我ら人類は、まだ目が覚めないのであろうか。今後、どれ程の惨劇と犠牲を見れば気付くのであろう。なお、過日の論考「記念事業に寄せて」にコメントを得、わが意を強くした。

     

    まず、摩天楼(筆者には、この言葉は子供の頃写真で見たニューヨーク市のそれしか思いつかない景観であったが、それが東京のど真ん中に出現したことに、いまだ信じられない思いである)とも言うべき巨大マンション群を現出させた行政の意図はこうだ。月島のような伝統的な地域では古い木造家が多く、いかにも火災に弱い。こうした災害に対するに、現行プロジェクトは不可欠な対策である、と。この政策には、単に火災対策ばかりか、行政にとっては効率的な都市行政、また事業税やら住民税等の財政的収入の意味も込められていようが、それ以上に大手ディベロッパーの経済的な利得チャンスこそが、この開発を突進させた原動力ではなかったか。

    勿論、その背後には、高層マンション群に対する旺盛かつ持続的な需要があるからである。第一に、職場から至近距離にあり、通勤地獄とは無縁である。次いで居住区間の快適さに加えて、建物全体の仕様と外構の整備、要するにアメニティーの完成度があげられる。さらに極めつけは、昼には木更津沖から三浦岬にいたる東京湾を一望し、夜には宝石箱をぶちまけた煌めくばかりの大東京の夜景を、日々堪能できる眺望があるのだ。そこから見下ろす世界は、何か一城の主の感があるらしい。26階のマンション購入者は言っている。「アイツらより偉い、と思えるような魅力的な場を持てると言うのは、イイもんだが、これは単なる見てくれに過ぎない」。これらは「一分間の魅力に過ぎない。…引っ越してみれば、そんな高揚感は持続しないモノだろう」。

    このような需要と供給に惹かれて、月島界隈から豊洲、有明にかけて高層マンションが林立し、まさに東京の摩天楼ともいえるほどの勢いは今なお止まる気配もない。建築技術の発展を見せつけられる思いだが、このままその流れに任せてよいものだろうか。そこに潜む問題は無いのだろうか。マーティン氏はそう指摘するのである(本日はこれまで)。

  • 10月4日・金曜日。晴れ。秋半ばと言うのに連日のこの暑さ。これはやはり尋常ではない。天災は忘れた頃の事だと教えられたが、今や毎年、毎月のように、忘れる間もなくやってくる。しかも桁外れの災害がである。にも拘らず、人の生活は、私を含めて何も変わらない。いずれ取り返しのつかない事態に陥ることを感じながら、何とかなるだろう、と。ある時代・文明の没落とは、こういうことかも知れない。

     

    本欄ではこれまで、地方の過疎化問題を見てきたが、今回は都市の発展の在り様に目を転じてみよう。過疎化する地方の反対側にある都市では何が起こっているか、と言うことである。資料はTheJapanTimes,Sun,Sep.2019に掲載された「巨大ビルの影で」と題された記事である。中見出しには「高層マンションへの需要は強いが、批評家は警告する。こうしたビルディングは地域社会を分断する」とある。

    対象地は近年急速に高層化されてきた東京下町の月島である。かつては墨田川に隔てられて銀座界隈の賑わいから忘れ去られた様にして、小さな木造の家々が建ち並び、それが細い路地を造り、もんじゃ焼きで知られ、江戸、明治以来からのいかにも下町風情の暮らしぶりが、残されてきた。だが今や景観は一変する。巨大マンションが林立し、昔ながらの住民たちを呆然とさせるに至った。以下はその顛末であるが、アレクス・マーティンなる記者の書いた、二面にわたるかなり大きなレポートである。言わば、外国人の目から見た都市変貌史の一幕である(本日はわが体調のゆえ、ここまでとする)。

  • 9月27日・金曜日。晴れ。

     

    秋分を越え、朝晩は日増しに涼しくなってきたが、日中の暑さはいまだに厳しく、何か異様な感覚を拭いえない。また、過日の房総半島を襲った台風は地域の全域に予想外の惨禍をもたらした。これらもまた温暖化現象の表れに違いない。この現実に直面し、千葉在住の一読者から、本欄の主張に触発され、今後ともこうした問題に関心を持ち続けたいとのコメントを得たのは、筆者としても望外のことであった。その際同氏は、この度英紙ガーディアンが地球温暖化に変えて「地球炎暑化」の用語にした、と伝えてくれたが、たしかにこちらの方が事態の深刻さを的確に示していると評価したい。

    本日はこれとの関連で、9/23、国連気候行動サミットに登壇したグレタ・トオンベル氏の事績に一言して、筆者なりの賛意を表したいと思う。すでに周知のことで、今さら言うまでもないが、現在16歳の一少女が1年前にたった一人で始めた「気候のための学校ストライキ」(のちに「未来のための金曜日」となる)を、世界中で400万人の賛同者を得るほどの運動体にまで育て上げたには、ただ敬服するほかはない。彼女の行動には、たしかに多くの人々を直ちに説得し、惹きつけてやまない真実性に溢れている。それ以上に、いま成さねば取り返しが付かなくなるという事態の深刻さと切迫感を喚起する力に満ち、それが彼女の主張を議論の余地なく人々の心に浸透させることになったのであろうか。

    その言葉は痛烈である。「あなたたちは私の夢を、子ども時代を、空っぽな言葉で奪ってきた」。「苦しんでいる人たちがいる。死にゆく人たちがいる。生態系は破壊され、多くの種の絶滅が始まっている。そして、あなたたちはお金の話や、終わりなき経済成長のおとぎ話ばかり」。「科学は30年以上にわたり、極めて明白だった」のに、「あなたたちは私たちを見捨てている」。「子どもたちはあなたたちの裏切りに気づき始めている。もしあなたたちが私たちを見捨てる道を選ぶなら、私はこう言う。絶対に許さないと」(朝日新聞・9月24日(火)夕刊)。

    この言葉を前にして、考えなければならない。我々は何のために経済成長を追い求めなければならないのか。次代の人々を犠牲にし、地球そのものを根こそぎ破壊するような開発に、何故これ以上突き進まなければならないのか。最貧国・途上国はさておき、先進国の富は溢れかえり、適正な分配によって国民の誰もが十分な生活を送れるほどであるというのにである。

    この点で世界のリーダーたち、そして我々大人たちは、事の本質を認識する能力において、16歳の少女の知性にはるかに劣ると、率直に認めざるを得ない。とりわけアメリカ合衆国大統領トランプ氏は、彼女のスピーチに対し茶化すようなツイッターで答え、自国の経済成長さえ出来れば、後はどうなろうと構わぬと言わんばかりの同氏の姿勢は、結局、自国の破壊をももたらすという、長期的見通しもなく、それを熱狂的に支持する国民にも、それで良いのかと問いたい。

    同国は、先に銃規制を唱えたやはり十代の少女や少年たちの声を、これも経済利益のために未だに黙殺し、無い事にしているが、その国が世界最強であることに暗然とし、地球の将来に言いようの無い焦燥に駆られはしないであろうか(この項、一先ず終わり)。