5月10日・金曜日。晴れ。やや肌寒い風が心地よい。やがて来る地獄のような熱暑を思い、束の間の一時を深く味わう。そして、関東地方で最も爽やかな時節が、瞬く間に去っていく。
5月13日・月曜日。雨。かなり激しい。昨日、ロートの目薬を買う。やや高級。ただ、こんなことは絶えて無かった。それだけわが眼球は、かの『平家物語』(全4冊)の亡霊どもに痛めつけられているのだろう(ようやく、最終巻の3百頁ほどを残すばかりとなった)。点眼のたび、眼球にしみ広がる痛みは、これで楽になるとの妙な安心感とないまぜになっているが、こんな感覚もまた久しぶりのことだ。それにしても、おのれ『平家』よ、お前の命も今週一杯までのことと思い知れ。
5月17日・金曜日。晴れ。はや夏日。
ゴールデンウイークという長い休みも終わって、やれやれと言ったところだ。勤め人、学生に聞かれれば怒られようが、ほぼ「毎日が日曜日」の当方にとっては、世の中、これでまた静かになる。インバウンドに沸き返る観光地の、商売には関わらない住民の気持ちがよく分かる。そうした方々にとっては、終わりのない喧噪の日々であるに違いない。
この間、「手紙」も休載となった。とは言え、ただ休んでいた分けではない。実は、20年ぶりにドイツ語の手紙を書いていたのである。と書けば、いかにも大げさだが、筆者にとっては、まさにそうなのだ。
40年前、一家でフライブルグに滞在した折、幸運にも一ドイツ人家族の知己を得た。お陰で、我が家族は様々助けられ、1年半の外国生活を、今思えば、夢のようにして過ごすことができた。その後は、年末新年のカードや折々の手紙のやり取りの他、ある夏の長期休暇の折には、3週間ほど日本に来たいということで、我が家にも1週間ほど滞在し、日光他近辺を見て回ったりした。また、日本の食材にも馴染んでおり、年一度、昆布、梅干し、海苔、椎茸、高野豆腐といった乾物を送ったりもした。勿論、その都度彼の地からも名産が届けられたものである。こんなやり取りが10年以上は続いたであろうか。
本来、何事につけても不精な筆者にとっては、これはまったく例外的な所業と言ってよい。その内、大学での我が職位や仕事が進み、多忙になるに及んで、そうした余裕が無くなってきたのだろう。当地から届く手紙の返信もままならず、ある年のカードには、「お互い年を取ってきた。だからお前は、もうドイツには興味が無くなったのか」との一文には、ただ申し訳ないと、ここ日本から頭を下げる他はなかった。そして、今年こそ返信をと思ううち、気づけばもうクリスマスの時期となる、そんな体たらくの年月であった。
意思はあれども、行いが就ていかない。これはただ、能力の欠如と言う他はない。筆者の知るある老先生は、年末には決まって、一週間ほどかけてはフライブルグの教授たちに宛てて、手書きのドイツ語のクリスマスカードを10数通、亡くなるまで送っておられたのを知っているからだ。
こうした積年の重圧に、ついに私も耐えきれなくなったのか、今こそ返信を書こう、いや書かねばならぬ、と決意した。と言って、最近はドイツ語を読むことはなく、構文も怪しくなってきた。ましてや書くなどとは…。では、ドウやって。それが、思いついたのである。すでに詰み形になって、ほぼ負けの我が玉将が窮地を脱する、名人級の妙手を思いついたのである。
世はまさにAI時代と言う。ならばこれに類した機能を使ってドイツ語の手紙を作れば良いのである。まず書きたい日本文を書く。その際、独訳されることを想定した文章を心掛けた。独訳して読んでみれば、こちらの意図が7割ほどは通じる出来栄えではないか。しかも要した時間は、ほんの数分である。そこでの誤訳や曖昧な独文は、元のわが文章のゆえであった。つまり、日本語としては読めても、ドイツ語から見ると、主語が省略されたり、主節と従属節の関係が曖昧であったりしたからである。それらのドイツ文を訂正し、これを再度日本語に翻訳させてみると、元のわが精妙な文章には戻らないものの、意味は取れる。同じ作業を、英訳についても行ったが、誤訳の箇所はドイツ語の場合と同様であった。こうして、筆者の頼った翻訳機は大いに役立ったのである。
これに関連して、少々面白い話がある。筆者は最近、ニューヨークタイムズの記事を務めて読むようにしているが、ドウにも分からぬ文章にぶつかり、その度にスマホの翻訳に頼る。ここでは19言語の翻訳機能があるが、筆者に必要なのは日・独語の2語である。私に読めない英文は、日本語訳でも8割は誤訳であり、独訳は8割ほどよく分かる。つまり、欧文同士の翻訳力はかなりのものだが、日本語と欧文のそれはいまだ未熟だということなのだろう。だが、その差は近いうちに解消されることは間違いない。
こうして、欧米語の構文上の類似性と、日本語との相違点が見えたようで、それはそれで面白い試みであった。それどころか、三分の一以下の努力で簡単に文章が書ければ、今後はこんな負い目を持たず、せっせと手紙を書いてみようか。彼らの迷惑にならなければの話だが。
なお、わが手紙のドイツ語訳は、Google翻訳及びMicrosoft Wordの翻訳機能の2種類によったが、筆者の見る所、前者の機能がより正確であった。
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