2021年11月29日,12月1日

11月29日・月曜日。晴れ。前回から数えて20日間の休載である。別段、筆者に体調問題があった分けではなく、ただあれこれ諸事雑多に取り紛れた結果であった。もう一つは、新社屋への移転という環境の変化も、仕事に乗れない遠因であったのかもしれない。

12月1日・水曜日。荒天後の晴れ。はや師走。

 

筆者がここ2年余り取り組んできた「社会のたたみ方」と題する論題は、しばしば言ってきたように、疲弊した地域社会の蘇生をどう図るかという問題であった。その際、それは大都市圏に依存せず、各地域は隣接地域と連合する形で、独立した地域経済圏を形成する、そうした姿を模索してきたつもりである。

そうでなければならない理由はいくつもあるが、大都市に依存した地域社会は、結局、ヒト、モノ、金を都市に吸引され、疲弊する結果にならざるをえず、その経緯を、わが社会はこの100年、まざまざと見せつけられてきたからである。少なくとも、筆者はそう見る。歴代の政府、それを支える政・官・財および学界は、そうした大都市中心主義的な政策こそ、工業、商業、各種サービス業を促進し、こうして国全体の発展を効率的にもたらすとの思考があったのであろうか。大都会の成長が地方を潤すとの、一種のトリクルダウンの考え方である。だがその結果は、逆であったことは、今やだれの目にも明らかであろう。それゆえ、ここではやみ雲な「経済成長主義」からの離脱を主張したいのである。

成長の限界を予兆させる要因は、いくらでもある。グローバルで見れば、地球温暖化は待ったなしであり、世界人口もいよいよ限界点に達しつつあるとの議論もある(これらはすでに本欄で見てきたとおりである)。ブラジルにみる熱帯雨林の破壊は世界の一例にすぎない、広大な環境破壊がある。水の天体ともいわれる地球上の飲料・生活用水の不足は、もはや深刻であり、戦争の危機をはらむと言われる。事実、かの中村哲氏の殺害は、当該地域に緑をもたらした水路の建設が、他地域にとっては水量の減少を来すとの不安に絡んだことであった、と報道された(朝日新聞・朝刊11/29。月)。

以上とは別だが、列強国間の地政学的上の熾烈なせめぎ会いと戦争への恐怖が、地球全体を覆い、逃れようのない不安をかもす。ここには、第二次世界大戦時の火力とは比較にならない、核兵器他の壊滅的で絶対的な破壊力の凶暴さが、「経済成長」どころか、われらの地球の存続すら脅かす政治状況があるからだ。現に、ロシアのプーチンは、ウクライナへの侵攻を本気で画策しているとは、先日のジャパンタイムズの報道に見た。米中の角逐がこれに重なる。そして、深刻な資源問題がこれにつづく(以下次回)。


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