10月6日・水曜日。晴れ。
10月11日・月曜日。晴れ。
メルケルの首相在任期間は16年間に及ぶ。政治家としての能力ばかりか、何よりも彼女の人間的な魅力と信頼感が、国民を魅了してやまなかった。やがてそれは、彼女をしてドイツを超えた「欧州の母」と称賛させるほどになるのである。振り返れば、在任中の欧州は、多くの難問、危難に見舞われた。ギリシャを襲った財政危機(2009)は、文字通りEU統合の危機であったし、中東・アフリカから押し寄せる難民のドイツ受け入れ問題は、メルケル自身の進退問題を引き起こし、今次の首相辞任を決意させるに至る。他にもロシアのウクライナ侵攻、眼前に見る地球温暖化、脱原発とエネルギー対策、猖獗を極めるコロナ疫病等々があり、それらの多くは今なお解決を迫られる現在の深刻な問題である。
その間、彼女が対した各国首脳はざっと上げるだけでもこうである。ブッシュ二世、オバマ、トランプ(米)、サルコジ、マクロン(仏)、ブレア、ブラウン、ジョンソン(英)、麻生太郎、安倍晋三(日)、プーチン(露)、習近平(中)らであり、これら面々の名前を眺めるだけでも、メルケルがいかに厄介な問題に対峙しなければならなかったかが、推察されようというものである。とりわけ、トランプ、プーチンらとのやり取りは、察するに余りある。
首相としてのメルケルは、上記の多くの難問に対し、難民受け入れ問題にみるように、時に深刻な失敗を犯し、痛烈な非難にさらされる。また、ギリシャ財政危機のさいには、自国の負債減額、緊縮財政の断固拒否を目指すチプラス首相に対し、物理学者らしく淡々と理を解き、結局は、容赦ない緊縮財政策を飲ませてしまった。女ヒットラーと面罵したくなるギリシャ国民の憤怒も分かろう。彼女の取った処置は、ギリシャ国民から見れば、ドイツの権益を守るためのものでしかなかったからである。政治問題は、常に妥協であり、バランスを失して不満を残せば、いずれ批判は避けがたい。しかし、彼女の尽力により、EU統合はともあれ維持された。誠に偉大な母であった。
そんなメルケル首相ではあったが、昨年12月9日の議会演説では違った。当時ドイツは第2波の「コロナ危機」に襲われ、1日の感染者数・2万人、死亡者は数百人に達する。それでも、街は年末恒例のホットワインの販売で、賑わっていた。これに対し、彼女は感情もあらわに「何度も拳を振り、拝むように両手を合わせ」、そして、訴えた。人々は外出を控えて欲しい。このクリスマスが「祖父母と過ごす最後」のものにしてはならない。これによって「多くの人が亡くなる代償を払うなら、とても受け入れられない」。議場からは拍手が上がり、「多くの人々は都市封鎖を受け入れた」(朝日新聞8/5(木)朝刊)。
指導者のメッセージが国民に届くかどうかは、それがもつ熱量によるという。チャーチルはロンドン空爆のさなか、毎日国民に勝利を訴え、励まし、ドゴールは亡命先のロンドンから対独レジスタンスを指導し、国民を奮起させた。一片のメモを片手に読み上げて済ませられるほど事は簡単なものではないということであろうか(『文芸春秋』11月号「危機のリーダーの条件」より)。
最後に、メルケル首相は自身の失敗については、国民に対し率直に謝罪し、その責任は挙げて自分にあることを認めることができたが、これこそ彼女の強さであり、政権の最後まで国民の支持を失わなかったことを、付記しておきたい(この項終わり)。
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