9月29日・水曜日。晴れ。今月は2つの組織から、各1本づつの論文審査を依頼され、報告書作成に忙殺され、休載とした。なお、忘れていたが、前月8月の1日平均歩数等は次の通りである。総歩数・249,496歩、1日平均歩数・8,048歩、最大・15,168歩、最低・3,944歩である。平均8千歩を確保するについては、最後の2日間、必死にあがき、特に30日は最大歩数を稼いで何とか目標を達した。この記録の裏にはこんな秘話もあるのである。と、気取ってみても、こんな事をして、何の意味があろうかと、別の自分が言う。
9/15の文章は、最後部をカットし、多少の修正のうえ、本日の冒頭に移すことにした。
10月4日・月曜日。晴れ。岸田内閣いよいよ船出。こんな川柳が浮かぶ。
ハイ総理 3A内閣 密ですが。 みつお
承前。菅政権の五輪への対応・取り組みは、先に見た通り、日米戦争に突入した軍事政権、特に東條内閣との比較で取り上げられることが多かった。その中でも、筆者にとって興味深かったのは、朝日新聞に掲載の対談である(8/20・「コロナ対応・五輪強行 大戦時と重なる政府」)。
東條内閣が対米開戦を決定する御前会議であげたデータは、「対英米開戦に前のめりの人物がその手下に命じ作らせた不適切なデータ」をもとにして決定されたという、何とも衝撃的な話が披露される。これと同様、今回のコロナ敗戦もまた、「都合のいいことしか聞かなくなった為政者のもとに」もたらしたデータに基づく結果であるらしい。このいずれの場合も、自分に都合の良い話しか聞かない行政トップと、これに対して体を張って事実を突きつける役人の不在、むしろそうした人材が育たない制度上の欠陥があぶりだされる。ここに、戦前から続く、わが国の政治統治上の今なお根治できない「宿痾」が明かにされるのである。
「安倍さんも菅さんも、自らの政治判断についてメリットとデメリットを論理立てて国民に説明する責任があることを理解していない。菅さんは米紙のインタビューに「(オリンピックに)挑戦するのが政府の役割」と語ったそうですが、東條英機が「人間一度は清水の舞台から飛び降りることも必要だ」みたいなことを言って対米開戦に突っ込んでいった、そのレベルからいまだに脱せていない。日本の統治システムの宿痾だと私も思います」。
菅氏が国民の支持を失い、総裁選再出馬の断念に追い込まれたのは、国民に対する説明責任を果たせていなかったことも、大きな理由の一つであった。何ごとであれ、重大な政治的な決定については、それはしばしば国民生活に対し多大な苦痛と負担を強いるものだが、であればこそ、これは逃げずに、国民と真摯に向き合い、そのような決定をせざるを得なかった理由と共に、心に響く言葉をもって答えられなければならないだろう。
しかし、同氏の場合は、どうであったか。例えば、オリンピックについて。国民はいまだ得体の知れないコロナ疫病の恐怖に直面し、今後の生計に不安を覚える最中にあって、その開催の理由は何かと問われた首相は、「挑戦するのが政府の役割」と答えたという。だが、これは、一体、返答になっているのであろうか。国民の何人がこれを理解し、納得できたであろう。しかし、この種の説明(?)、はぐらかしは、今や菅氏だけのものではない。それは「森カケ桜」、財務省の文書改ざん等々を挙げるまでもなく、最近の政治家たちの日常茶飯事ではないか。では、政治家の言葉とは、本来、こういったものなのであろうか。そうではあるまい。前回言ったように、政治家とは言葉を唯一の武器として、国民を説得し、理想に向かって社会を変革しようとする、そうした人士ではなかったか。その意味で、説得力とは政治家のもつ最大の能力であると共に、美点の一つであるにちがいない。その一例を、ひとはドイツのメルケル首相のうちに見ることができるであろう(以下次回)。
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