2021年9月8,10,15日

9月8日・水曜日。曇り時に雨。自民党次期総裁選の候補者がほぼ出そろい、構図も見えてきた。その背後では、権力維持や確保を図る派閥領袖の駆け引きが、いよいよ佳境である。報道では、結果は石破氏の去就次第だと言う。なお、以下は、9/3の文章の継承である。

9月10日・金曜日。晴れ。

9月15日・水曜日。晴れ。

 

承前(9/3)。これまでの蔓延防止対策にもかかわらず、オリンピック開催後の首都圏では、コロナ感染が急速に拡大し、政府は、7月30日、改めて首都圏3県と大阪府に緊急事態宣言を、また北海道他の府県には蔓延防止等の処置の適用をそれぞれ決定せざるを得なくなった。同日、総理はそれらについて、記者団との会見に臨んだ。

会見の冒頭、総理はここに至る経緯を述べるが、以下はその「会見要旨」の筆者なりの要約である。まず、感染力の強いデルタ株の出現により、新規感染者が急速に拡大し、このままでは医療機関の逼迫はもとより、感染者は入院困難から自宅療養に追い込まれかねない。確かにワクチン接種の効果は顕著であり、高齢者の接種率も「73%」(2回済)を達し、感染は65才以下の人々に移ってきている。よって、ワクチン接種をさらに進め「各地域でしっかりした対策を講じ、病床の逼迫を招かないように緊急事態宣言、まん延防止等重点措置」の地域の拡大と期限延長の判断に至った。国民には負担をお掛けするが、「不要不急の外出や移動の自粛」に努め、オリンピックの応援は自宅でのテレビ観戦にて願いたい。

今後のワクチン接種は、企業、大学での取り組みも進捗し、「8月下旬には、2回の摂取」者は全国民の4割を超えるよう取り組んでいる。さらには「重症化リスク」を「7割減らす画期的な治療薬」もすでに承認され、全国の2千をこえる登録された医療機関には、要請に応じて、順次配送される手筈である。という次第で、「8月末までの間、今回の宣言が最後となるような覚悟で、政府を挙げて全力で対策を講じていく」。

だが、ここで言われていることは、総理の見込みと希望と覚悟でしかない。それらの多くは、またもや「根拠なき楽観」(朝日・社説・7/31)であった。その証拠に、その時発せられた「今回の宣言」は、結局、最後にはならず、9月一杯の再延長に追い込まれてしまった。思えば、総理は幾たびこの種の決意を述べられ、それが空しくされたことか。しかもこの間、ワクチン接種のもたつきや、決定的なのは「自宅療養者」という医療難民を多数生みだし、これまでのその死亡者数は、全国で「約1500人」に及んだという(朝日新聞社説9/10)。さらには、これ程の犠牲者を出しながら、「自宅療養中の死者数、厚労省「把握していない」」(朝日新聞DIGITAL・8/10)というに至っては、その無責任さに驚愕する他はなかろう。この結果責任は負うべきである。とてもではないが、感染再拡大の「波をできるだけ早く収める。そのことが一番の私の今の責任」(7/30記者との質疑より)だと言って済む問題では、もはや無い。

以上長くなったが、筆者が以上を取り上げたのは、政府のコロナ対策の混乱、失態を批判し、論難したかったからではない。これらについては、すでに多方面からの論及があり、今後もそれは続くであろう。であればここでの本意は、わが国の政治家の言葉とその質について一言したかったことにある。

先の東條英機の言葉を思い起こして頂きたい。彼は近代戦の何たるかを知悉している筈にもかかわらず、国民の決死の覚悟に託して戦争遂行を唱える。これ程無責任で、根拠のない言葉もあるまい。それにしても、これはただの楽観であったのか。あるいはなり振り構わず、一か八かの賭け勝負に国民もろとも引きずり込もうとする絶望であったのか。彼のその意図はどうあれ、このサイパン失陥から敗戦までの一年間、国民が舐めた辛酸、地獄の苦しみは余りに大きすぎた。

これと比較すれば、それほど深刻ではないが、菅氏のコロナ対策とその言説が、多方面から指摘されてきたように、誠に空虚、楽観に過ぎ、それらはまた上記の問題に何処か相通ずるものがあるのは否めない。朝日新聞「声欄」にしばしば、戦争との比喩でコロナ、五輪開催の疑問が寄せられていることが(7/31)、それを示していると言いたい(以下次回)。


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