2021年5月24,26日

5月24日・月曜日。曇り。前回の手紙について、一読者から過日のスリランカ女性の惨状に触れながら、「日本にはたてまえの人権は有っても、普遍的な人類に対する人権は無いと思う」とのコメントが寄せられた。共感する。なお、本日、またもや脱線。

5月26日・水曜日。晴れ。本日、本年最大の天体ショーの皆既月食の日と聞く。果たして、天気は如何。なお、今回は、前回の文章を加筆・訂正し、文意を明確にしたつもりである。

 

この所、相変わらずのコロナ禍にくわえて梅雨入りと、鬱陶しい日々が続く中、オリンピック開催の可否の議論も盛んである。これに触発されて、こんな川柳が浮かんだ。チョイト息抜きになれば、何よりである。

 

オリパラを止めにしたいが…小川君

小川とはオレのことかとバッハ言い

逃がさんゾ迫るバッハの蛇睨み       みつお

 

読者には、ここから連想を逞しくし、様々な物語を紡いでいただければと思う。なお、バッハ(Bach)はドイツ語で、小川を意味し、蛇は先の逃亡蛇であるとのいらぬ注を付しておく。

五輪開催の議論について、昨日(5/22)、朝日新聞「声」欄で開催支持者(女性・58歳)の下記のような主張を読んだ。署名入りだが、ここでは匿名にしておこう。

公正のためには全文を掲げるべきだろうが、要旨に圧縮しておきたい。世界の選手たちは東京五輪出場を目指し、前回開催以降を含めれば、すでに5年の忍耐を強いられている。こうした彼らの努力を無にしてよいものか。特に、貧しい国の選手にとっては、貧困から抜けだす好機でもあるが、我われにそれを奪う権利があろうか。「日本には五輪を誘致した時点で何としてでも大会を実現させる義務があると思う。/医療が逼迫しているのなら、いっそ渡航費を払ってでも海外から医療従事者を集めることも検討してよいではないか」。

もう一点は、同日掲載の猪瀬直樹氏の談話である。五輪開催は国民に夢を与え、大震災以来の沈滞を吹き飛ばす起爆剤にもなり得る。そのような意図から、氏は五輪招致を目指したそうである。それとは別に、氏によれば、五輪の中止によって、わが国の国際的な信用は失墜し、今後、国際イベントの開催が不可能になるかも知れない。よって、何としてでも、五輪は開催すべきであり、それを通してわが国の組織力の強さを世界に示す事だ。そして、こう続く。「私がコロナ対策の責任者なら、まず東京と大阪の大都市圏にワクチン接種を集中させて、感染が地方に広がらないようにしていたと思います。公平性に欠いた政策だと批判を受けるかもしれませんが、メリハリをつけた戦略的な対策が大事です」。

ハッキリ、申し上げる。このような対策は、氏が首相であっても、批判の大炎上を呼び、実行不可能であるばかりか、また、それによる感染阻止も、百パーセントあり得ない。自ら認めるような、大都市中心主義の不公平感は、地方人からすれば許し得ないものでもあろう。こう言う御仁が、一時でも都知事であった事を深く思うべきであろう。

だが、筆者がこの二本の意見を取り上げたのは、その是非を論じようとするためではなく、民主主義の意志決定がいかに厄介であるかを、言いたいからである。筆者を例にとれば、以上のような極端な主張には、断固与しえない。むしろ、こうした意見に触れると、頭がクラクラし、血圧の急上昇は必然である。それらが一つの論点のみを突出させ、他を顧みないからである。だがしかし、民主主義とはこの種の主張や己と最も対立する異論も貴重なご意見として謹んで拝聴し、真摯な対話を通じて大方の合意を得、結論に至らなければならないという。

これは、恐ろしいまでの忍耐を要することではないか。一口に民主主義と言うが、そこには並々ならぬ覚悟と決意が欠けてはならず、そのよくなし得ぬ事情をようやく思い知らされた。そう言えば、言論の府である国会で、総理大臣を任命された森喜朗氏ですら会議での一女性の異論に堪えられず、過日のような舌禍事件を引き起こしたことを思えば、その困難のほどが分かろうと言うものである。

翻って、筆者だが、今日まで、長年にわたり大小様々の組織や会議を主催し、それなりの成果を残してきた心算である。だが、その間、私は本当にこれほどに忍耐強く、デュー・プロセスを踏んで事を進めてきたものだろうか。振り返れば、空恐ろしい。ことに上記の2論に触れて、筆者にはもはやそうした大事に耐え得るほどの気力、体力は、とうに消尽してしまったと思い知らされた次第である。

だが、数ならぬ我が身はどうでも宜しい。しかしわが国が、今後、さらに過酷な問題群に逢着したとき、我が社会はなお民主主義的に意思決定を行い、それを断行出来る力を持ち得ているのだろうか。民主主義の強靭さを失えば、一人の独裁者に全てをゆだねてしまう「隷従への道」はすぐ隣にある。官僚の忖度、政治の劣化が言われて久しいだけに、誠に危険な兆候であると言っておこう(この項、終わり)。


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