2月24日・水曜日。晴れ。前回の文章、やや加筆した。
2月26日・金曜日。曇り。足利市周辺の山火事、いまだ鎮火せず。住民の恐怖を思う。
わが国での外国人労働者や実習生の存在が、いまやわが社会にとっていかに重要であり、彼らは単に経済活動の維持どころか、地域の生存や存続にとっても不可欠な役割を担うに至っているについては、本欄でもしばしば触れてきた(本年1月末から2月初めの項を参照)。こうなった最大の原因は、わが国の高齢化と少子化による、総人口の減少である。彼らは、その減少分、特に生産年齢人口を補充する中核的な存在なのである。この傾向がさらに続けば、いずれわが国は移民国家、多民族国家への歩みを辿らざるを得なくなるだろう。これが先の筆者の結論であった。
だがこの予想は、何か特別な事を言ったのではない。毎年発表される人口推移の統計表からも人口減少は疑いなく、その先にあるのは、形はどうあれ、結局、移民を承認する他はないからである。だが、問題はそれで終わらない、それでは済みそうにないことである。それは、どう言うことか。
最近、わが国は縮小社会に向かうと予測する書物の刊行が続いているように思えるが(その一例を挙げれば、河合雅司『未来の年表』・講談社現代新書2017、NHKスペシャル取材班『縮小ニッポンの衝撃』・講談社現代新書2017他)、筆者もその流れに与する者の一人であることは、今さら改めて言うまでもなかろう。これはたしかに、楽観よりも悲観的になりがちな、わが思考癖や性分によるものであることは間違いない。だが他方で、地球の復元力を越えた環境破壊、地球温暖化、資源問題、大量破壊兵器等を目の当たりにし、にも拘らず科学技術を駆使したグローバルな経済発展を、これまで以上の規模で推進しようとする各国政府の政策が、地球の先行きを憂慮させる一因でもあることは、言っておきたい。
だが、こうした開発・発展はいよいよピークに達しつつあり(これまで残されていた経済フロンティアであるアフリカ大陸と南米大陸が蹂躙され、そして地球の両極も開発の射程圏に入りつつある。やがてそれらの大森林や埋蔵資源が乱開発されるかと思うと、空恐ろしいものがある)、人口問題も地球規模で限界に突き当たり、日本社会もその隘路にやがては逢着せざるを得ないことになろう。
さて、以上を考えるにあたり、参考となる文献はD・ブリッカー/J・イビットソン著・河合雅司訳『2050年世界人口大減少』(文藝春秋・2020)である(以下次回)。
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