2月10日・水曜日。晴れ。
例の森喜朗会長の発言以来、政府他関係機関がその対応に追われているが、本日、五輪委が男女平等を推進するプロジェクトチームの発足を検討しているとの報道に接し、何か不思議な思いに捉われた。この度の五輪東京大会は、「スポーツを通じた平和で差別のない社会、全ての人々が参加できる社会を目指すオリンピック・パラリンピックの精神」に基づいて開催されるものであり、多くの企業もそれに「共感し…スポンサーなることにした」(トヨタ自動車・豊田章男社長)のではなかったか。
つまり今大会は、平等で差別のない社会の建設に、スポーツの側からも貢献しようという、誠に崇高な趣旨と理念のもとに企画されたのであろう。健常者・身障者、男女、人種や民族・国家の隔てなく、全世界から選別されたアスリートたちが競技を競い合い、能力と努力の結晶がどれ程の高みに至るかを披露する。ここにあるのは、差別ではなく、地球上の人間たちが一体となった祭典である。そのすぐ向こうには、世界平和の建設がある。
競技を観る観客たちはどうか。人々は自分には及びもつかない高度なパフォーマンスに息を呑み、魅了されるばかりではない。同時に、人間に秘められた能力の高さに感嘆し、勇気付けられ、そして「ヨシ、自分も」と明日への一歩の糧を得るのではないか。パラリンピックは、その意味でとりわけ意義深い大会である。筆者はかねがね、「オリンピック・パラリンピック」ではなく、「パラリンピック・オリンピック」と称すべきで、大会もそのように開催されたらどうかと感じているものである。
今回の東京大会がそうした意図に発したればこそ、国民も企業もそこに共感し、後世に残る意義深い大会を目指して、コロナ禍の最中にありながらこれまで最大限に努力して来たのではなかったか。
それが、開催まで僅か5か月そこそこの今になって、「男女平等を推進するプロジェクトチームの発足」を、五輪委は検討していると言うのである。ということは、上記の理念は五輪委にはそもそも無かったのか、共有されてはいなかった。あるいはそれは言葉だけの付けたりであり、本音はなにか別にあったと言うのであろうか。改めて伺いたい。わが国の五輪委は一体如何なる理念と目的のもと、また世界に何を訴えようとして、この度の大会を企画されようとしたのであろうか(この項、終わり)。
コメントを残す