2020年12月11日

12月11日・金曜日。曇り。

 

重症化するコロナ患者数の上昇あるいは高止まりと共に、死亡者数も増進する中、各地の医療体制は益々ひっ迫しているとは、連日の報道である。GoToキャンペーンとの関連が取り沙汰され、政府はそれを懸命に否定するが、事実の重みに屈しそうである。これは「経済を採るか医療=命をとるか」の価値の闘争であり、最終的には政府に分はないと見る。前回のように、ある期間、全国的なロックダウンを宣言する他はないだろう。

たしかに、政府がロックダウンを宣言すれば、その責任上でも各種の保障とそれに応じた巨額な支出は免れない。だが、国民を守るとはそういうことだ。財政赤字を心配せず、思い切った政策を打つためにこその増税ではなかったのか。強靭な国造りのうたい文句には、そのような意味合もあったのではないか。

分けても、パンデミックと言われるような感染症は、かつてのスペイン風邪の例を見るまでもなく、短期間で収束する訳は無く、長期的な体制で臨まなければならない。このことは、政府こそ誰よりも分かっているはずである。であれば、各種の支援金や補償金の支出は、数次に及ぶことも織り込み済みではなかったのか。それが目先の景気対策に血税を振り向け、感染症への手当ては手薄となり、医療現場の人材を切り詰め、保健所数を削り、その機能を縮小してきたとの批判を聞かされる(なお、コロナ禍での各分野の生活崩壊に関する概観を見ようとすれば、『世界 6』(岩波書店・2020)所収の特集論文「生存のために。コロナ禍のもとの生活と生命」を読まれたい)。

例えばこうだ。地方・中央政府のいずれも、様々な分野に対する適切な財政補助の用意が無い。医療分野に限ってみても、病院スタッフを守る機器、装備品に事欠き、さらには高度な医療機器の扱いに習熟した人材も不足している。そうした中で、都の役人は言った。「我々には法的強制手段がないが、仮にあったにせよ、病院には感染症患者の受け入れを強制しようとは思わない。病院にはそのための準備がないからだ」。してみると、彼らには、現在の病院がパンデミックには全く無力である事が、とうに分かっていたのである。これは、今年4月29日のジャパンタイムズの記事からである。あれから8か月。事態はどれ程進んだのであろう。態勢の改善どころか、いまだに目前の事態に追われ、しかも今後は一層窮迫していくのではないか。あるいは、国内でのワクチン接種が間に合い、医療現場の崩壊はすんでのところで免れるのであろうか。

それにしてもである。現在、政府分科会の医療関係者からも迫られている、GoToキャンペーンの中止の要請が、どうもスムーズにいかない。しかも、第一波の時よりも、患者数と病勢の深刻さは、はるかに進行しているにも関わらずにである。その理由が、純粋に政策上の見極めのためなのか、自ら手掛けた政策の面子と、中止による責任問題を恐れての事なのか、その真意がハッキリしないことが、報道等で言われている。もし危惧された通りであれば、これは国政を預かるトップとしての態度ではない、とハッキリ申し上げる(以下次回)。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です