2020年10月9,12日

10月9日・金曜日。雨。寒し。

10月12日・月曜日。曇りのちやや晴れ。今年の気候はやはりどこかおかしい。筆者のみの一事だが、月の半分以上は、長傘持参で出かけているような気がする。しばしば、その傘、気づけば杖代わりになっているのは、何とも哀れ。

 

前回の末尾で、感染症は条件が整えられれば際限なく拡大しうる、と筆者は言った。しかし、デフォーのペスト報告を思い起こして頂こう。彼は、ロンドンを席巻したペストが、ある日突然勢力を弱め、何処かへと消え去った事に驚き、神への感謝を捧げたのであった。だが、彼の信仰心はともあれ、病気の種類によっては、感染がある程度拡大した後、対策が特に取られなくとも、自然消滅するらしい。また、共同体の全員が感染し、死滅させるほどの感染症は、あってもごく稀であろう。致死率9割という、劇症で知られるエボラ・ザイールですら、1割は生存できるのである(R・プレストン・高見浩訳『ホットゾーン エボラ・ウイルス制圧に命を懸けた人々』52頁。早川書房・2020)。それは、人間(そして、動植物)には、誕生以来の進化の過程で、生体内に侵入する病原菌に対して、自己を守る免疫体制が確立されてきたからであろう。近代免疫学の父とされるジェンナーが牛痘患者は天然痘に罹りにくいと言う事実に示唆を受け、それを改良して牛痘接種法を確立しえたのも(1796)、弱毒化された菌の摂取は、その後の菌の侵入に対する何らかの抵抗力、すなわち免疫を生み出す人体の不思議な力を感知したからであろうか。

さて、その免疫である。ごく大雑把に言って、人によっては、ある病原菌に対して生まれつき備わっっている自然免疫の他に、病気の後、その病原菌に対し強い抵抗力を得る獲得免疫(これにはワクチン接種によって得られる免疫も含まれる)の2種類に分けられる。以下では、この獲得免疫の歴史的経緯について簡単に見てみたい。

マクニールは、人口密度の高い都市的生活圏の中で発生する感染症を「文明特有の病気」と呼び(前掲書・上・99頁)、特に「はしか、おたふく風邪、百日咳、天然痘その他」を挙げ、それらはみな現代人がよく知る「普通の小児病」であるという。小児病とは、多くの幼児が感染するが、現在の栄養・衛生環境の下では、ほぼ普通の介護で平癒し、それ以降は免疫を得て、再発しないとされている(さらに今では、各種ワクチンの予防接種により、重篤化することはまずない)。故に、成人を含めない、小児に特化された病と言いたのだろう。但し、成人になって罹患すれば、死地をさ迷う状況に追い込まれるとは、人の知るところである。

では、以上の感染症が文明国では何故、社会的崩壊を来たすような猖獗を免れ、小児病化への方向を辿り得たのか。

マクニールは言う。現在の「文明特有と見なされる感染症は、…そのすべてが、動物の群れからヒトのポピュレーションに移行したものである。」動物の飼育には密接にならざるを得ず、しかも多様であった。例えば、家禽類・馬・豚・羊・うし・犬及びネズミ類であり、そのそれぞれの動物が複数の保菌者であり得るばかりか、動物間での菌・ウイルスの移動が生じ、その事から重複を入れて300余の感染症が考えられるらしい(同上100頁より)。さらに人間の活動の広がりに応じて、本来人間とは無縁な動物からの感染症も出てくる。原野の開拓は、地中にひそむネズミ他のげっ歯類を経た腺ペストを呼び出し、森林、洞穴住まいは蝙蝠、サルを介した黄熱病、狂犬病と言った具合である(同上101頁)。

つまり、いわゆる文明国、ヨーロッパ人は、ここに至るまでに何千何万年という年月を経て、実に多様な病原菌に晒され、重篤な感染症を潜り抜けながら、徐々にその免疫力を獲得した来たのであろう。その歴史の入り組んだ興味深い物語は、マクニール、あるいはJ・ダイアモンド・倉骨彰訳『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫。上・下。2012)を読まれたい(以下次回)。


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