2020年6月15日

6月15日・月曜日。晴れ。すでに真夏日の暑さと、梅雨の湿気が「未病」(病気ではないが、健康でもない)の身には堪える。特に、車内冷房と降車時の外気の落差にはマイッタ。それでも、コロナにもヤッツケられず、こうして出歩ける事には感謝せねばならないのだろう。

 

本欄では、5/29(金)以降、数回にわたって、コロナ禍に喘ぐエッセンシャルワーカーの過酷な現状を見てきたが、では彼らは何故そうした状況に追い込まれているのであろうか。この点について、介護職の問題を取り上げた朝日新聞(6/3・水・11面)に掲載された「オピニオン」欄のインタビュー記事によって見てみたい。だがそれは介護職に留まらない、エッセンシャルワーカー全体に言える、現在の我われ社会の現況、その酷薄な一面を浮き上がらせるであろう。なお応答者は川口啓子氏(大阪健康福祉短大教授)である。

以下、現場の状況を知るために、長くなるが記事からの引用を重ねたい。「学生の実習先などで見聞きした、あえて不愉快な事例を紹介します。ある介護ヘルパーが利用者宅でオムツ交換をしていた、まさにその最中、利用者が言ったのです。『こんな汚い仕事、娘や孫にはさせられないわ』と。ヘルパーは悔しくてたまらなかったけれど、反論するわけにも、顔に出すわけにもいかなくて」。「この利用者は、無理難題を言うわけでもなく、オムツ交換にも協力的です。感謝の言葉も口にする。でも、あきらかにヘルパーの仕事を見下しています。ただただ、介護=排泄の世話=汚い仕事という認識が深く定着しているのでしょう。そんな人は、まだまだ世間にはたくさんいます。悪意はない。だからこそ、介護職は深く傷つくのです」。

介護職の苦しみは、社会のむき出しの差別感にある。「医師による自宅への往診や訪問も利用する人の家にヘルパーが初めて訪れました。インターホンを鳴らすと家族が出て『あ、ヘルパーさんね。裏の勝手口に回ってちょうだい。表玄関はお医者さんと看護婦さんね』と言われたのです」。「勝手口に回ることは構わないが、なぜ、医師・看護師と扱いが異なるのか。ヘルパーが出入りすることが恥ずかしいことなのか。暗い気持ちになったそうです。ヘルパーを使用人扱いしてはばからない利用者や家族はまだまだいます」(以下次回)。


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