2020年4月2,8日

4月2日・木曜日。晴れ。風強し。

4月8日・水曜日。晴れ。昨日は、安倍総理による「緊急事態宣言」の出された歴史的な日であった。現下のコロナ禍が、日本はじめ世界に及ぼす影響、その行方に注視せざるを得ない。本日は前回の文章の修正である。

 

国内のコロナ蔓延はいよいよ危険水域に達し、都市の封鎖宣言(ただしこれは法的根拠に基づく外出自粛要請に過ぎず、欧米に見るような強制力は持たないのだが)も近いか。昼の報道によれば、韓国の大邱市ではいまだ被感染者の増加は続くものの、それでも強制的措置を取らぬまま、適切な医療体制を構築し、治癒者の数が感染者数を上回り、結果としてコロナの抑制に成功しつつあるらしい。この対策は今後、韓国モデルとして、世界的な対策の指針となりそうである。

転じて、この所我が国のコロナ対策が、しばしば韓国と比較されて報道される機会が多い。それを見る限り、この問題ではどうも韓国が先行しているような印象はぬぐい難く、それがわが社会の内に若干のフラストレーションを喚んではいまいか。だが、事はそんな問題ではない。学ぶべきは積極的に学び、世界と共同して、一日も早く蔓延の防遏に努めなければならない。

ある意味、人類の発展は感染症との対決の歴史であった。殊に、世界の都市化、そして機械文明の発達と共に、人や物資の移動が激増する19世紀に入って、ペスト、コレラ、結核他の感染症が世界に蔓延し、多くの人命を奪った。しかも人類はその真の原因を捉えられないまま、日々を生き、対策を講じなければならなかった。コッホ、パスツール等によって細菌学が確立され、薬やワクチンの開発が進み、医療的な対策が講じられるようになったのは、そうした病気がほぼ制圧された後の事であったとも言われる。それには衣食住の改善に加えて、上下水道の整備が決定的であった。

しかも、驚くなかれ。こうしたインフラ整備は、不潔が細菌を生み、よって感染症の発生を来たす。であるからこそ、公衆衛生の確立が急務であるとの線上で果たされた訳ではなかったのである。瘴気と言われる、海や山川、沼沢また都市・屋内に生ずる悪気(あっき・すなわち、濁った空気、臭い空気の事)・毒気が(再び言う、細菌が、ではない)感染症の原因であり、それ故環境整備が必要であるとされたのである。その後の医学史が示すように、感染症の主因という点で言えば、これは的を逸した主張と言わざるを得ない。にも拘らず、彼ら環境論者は感染症抑圧に大きな貢献を果たしたのである。因みに、クルミア戦争(1853-56)では、直接傷病兵の看護に当たったナイチンゲールが後に看護論、看護制度ほか数他の医療改革に尽力したが、彼女もまたこの瘴気説に立っていたことを一言しておこう。

確かにコッホ以前にも細菌論者はいたのである。だが細菌と病気との関係はまだ確立されていなかった。当時の医学界の趨勢は、瘴気論者が主流を占め、その立場からインフラ整備を主張する。彼らは細菌を撲滅する薬の開発には否定的か、消極的ですらあった。また、人やモノを介した接触感染を採らず、それゆえ都市封鎖等の統制的な対策を否定する。ミュンヘン市の衛生学者ペッテンコーファーは、交通の遮断は自由主義経済の死滅とまで言い放ったほどである。彼らは総じて、この意味で自由主義者であった。

他方、細菌論者(特にコッホ主義者)が統制主義者となるのは当然である。菌との接触を禁ずるからである。その後彼らは、細菌よりもさらに微細なウィルス(濾過性病原体・1898)を発見する。以上のような経緯については、拙著でも取り上げたが、医学者ではない筆者がこの問題に関わったのは、人の振る舞いは、全てを知って、そこから正しい行動を導き出すというのではない。むしろ、多くは事の前後も分からず、暗闇の中、手探りしつつ事の本質に迫り得るという、我々の認識の限界と可能性に興味を抱いたからである。これは現在のコロナ禍に呻吟するわれわれの苦悩に一筋の光を当てないであろうか(以下次回))。


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