2020年2月18,27,28日

2月18日・火曜日。晴れ。

2月27日・木曜日。晴れ。コロナウィルスの行状、益々不可解にして、世界を恐慌状態に叩き込む。1348年、ヨーロッパに蔓延したペスト禍(黒死病)は古代の医学的権威を否定し、新たな台頭を促した。政治経済的な転換の契機になったとも言われる。この度の疫病がいかなる経過を取るかは、いまだ即断できないが、筆者はこれを注視し、同時に一刻も早い収束を祈る。

2月28日・金曜日。晴れ。本日、当中央クリエイト社は、早稲田鶴巻町に自社ビル用地を購入する。南面に早大通りを配し、日照も申し分ない。旭日の思いと重なる。創立19年にして叶った念願であるが、この地から新たな発展を、改めて決意する。

3月5日・木曜日。晴れ。本日は前回の文章に加筆、訂正に留めたい。

 

辞書(日本国語大辞典、広辞苑)を引いてお分かりの様に、「宅地崩壊」なる言葉はいまだ再録されていない。思うにこの言葉は、著者金井俊孝氏の造語であり、その意図を氏はこう言う。「宅地被害が引き起こすさまざまな社会的影響を含めて、宅地の異常事態を的確に表す言葉」がなく、そこでこれら事態を宅地崩壊と呼ぶことにした(15頁)。

だが、一体、何故辞書にないのか。そのような事態が、人目につくほど頻発していなかったからである。現象としてないものは、言葉にもならない。これはどういう事か。氏によれば、戦後しばらく地震の空白期間が続き、その間高度成長期を経て、都市内の宅地造成が強力に進められた。それはほぼ半世紀にも及ぶが、幸いにも宅地に関する限り破綻もなく、平穏であった。

しかし今や、その空白期は去った。また集中豪雨のような異常気象が、近年、苛烈の度を極める。さらには、半世紀を経て、かつてなされた造成地の盛り土や擁壁と言った防御基盤の経年劣化も看過できなくなってきた。これは高台、傾斜地の場合、殊に深刻である。しかも急速に拡大する都市圏では、強大な土地需要が発生し、その圧力に押されるようにして、市周辺域の、本来、地形的にはとても宅地化出来そうもない土地をも宅地化すると言う無理を重ねた。それを可能にしたのが、われわれが現在手にした巨大な技術であり、機械力である。

「1950年代の後半から、大都市の宅地開発は、都心から郊外に向かって始まりました。開発の舞台は、起伏のある丘や台地の地域です。当初の開発は丘や台地の斜面を薄く造成して雛壇を作るという小規模なものでした。しかし、1960年代に入り大型機械を使えるようになると、丘の尾根をブルドーザーで削り、その土砂で谷を埋めるという派手で大胆な造成が行われるようになりました。東京や横浜、大阪、名古屋などの大都市では、1960年代中頃からそうした谷埋めを伴う開発が主流になりました。」(46頁。なおここには、7台のブルドーザーが列をなし、一斉に尾根を削り、谷埋めしている写真が掲載されている。その光景はまさに自然破壊そのものであり、その規模に言葉を失う)。勿論、これによる崖崩れや地滑りの危険性は、当時から地質学者、地形学者らの専門家によって指摘されていたが、列島改造ブームとその利権に絡む経済成長主義の声にかき消されたといわれる。しかも、当時は幸いにもと言うべきか、地震で大きな都市被害が生ずることもなかったことから、そんな警告が注目されるはずもなかったのであろう。

これには、つい先ごろ見せつけられた光景を思い出さないか。例の原発の被害である。ここにも多くの、そして様々な方面からの警告を受けてきたにも拘わらず、それを無視した結果が今なのである。ともあれ、先の問題にケリをつけよう。

1970年代頃から、山の手では宅地造成地で地震の際、隣地の宅地は無傷だが自宅は損壊すると言う奇妙な現象が生じ始めた。調査の結果、被害の宅地は「谷埋め盛土」の宅地である事が分かって来た。しかもこうした事象は仙台はじめ各所で見られた現象であった。要するにこれは、造成された頃にはまだ保存されていた宅地が時間と共に劣化し、遂に耐用年数が尽きて崩壊したのである。言ってみれば、起こるべくして起こった災害である。手を出すべきでない土地に手をつけた人災の側面が否定出来ず、だから「遅れてきた公害」(49頁)とも言われるのであるが、発生地の地質の特殊な事例として放置されてしまったのである(55頁)。

ここでその一例を挙げて、被害の甚大さを示して終わりとしよう。2004年新潟県中越地震で発生した長岡市高岡団地の事例である。1965年から造成された土地は、79年から販売され総戸数522戸に及ぶ住宅地である。このうち約70戸の宅地が飲み込まれた。開発以前の高岡団地は最高標高点90mの丘陵地を70mのレベルで切り落とし、土砂を周辺に押し出し盛土し、その末端を擁壁で押さえて十分としたらしい。だが地震により、盛土と切土の境界で亀裂が生じ五か所で擁壁が倒壊し、大規模な崩壊が発生する。

「崩壊した谷埋め盛土は、浅いお椀のような形状で、底面は急勾配、しかも地下水を多量に含んでいました。計算してみると、崩壊時の地震動は、重力加速を軽く超えていたと推定されます。つまり、「急勾配の土台の上に地下水を含んだ谷埋め盛土が載っているとき、崖ぎわで強烈な地震動を受けると滑ってしまう。擁壁は地すべり土圧を見込んでいないので倒れてしまう」 という当たり前のことが再確認されわけです」(65頁以下)。

その後法改正がなされたようだが、しかし同様の被害はなお続いているようである。ここにはまだ触れるべき問題は多いが、それらについては直接本書を読まれるようお願いしたい(この項終わり)。


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