2018年5月18,25日

5月18日・金曜日。晴れのち曇り。

5月25日・金曜日。晴れ。鶴巻公園の高木、いよいよ青し。前回は文章の手直しと、文献読み直しのため、進展せず。

 

少子高齢化によって齎された地方の過疎化については、これまでも言ってきたが、ここではそれがかなり進行した地域の対応、と言うよりも苦闘についてみてみよう。処は「縮小ニッポンの未来図を映し出す島根県」とまで表される、県内の市や集落である(前掲の『縮小ニッポンの衝撃』4・5章より)。

同県全体の人口動態については、本書の当該章をご覧いただくとして、まずは10年ほど前に消滅した瀬尻集落(江津市)の経緯である。当地はかつて江川舟運の拠点として栄えた江津市の周辺域に位置し、それなりの賑わいもあった。だが山陰本線の開通以来、江川の舟運としての使命は尽き、また瀬尻と称するように、川瀬に位置する集落は産業の変化に対応しきれず、衰退の一途をたどらざるを得なかった。そして、こうなる。

「若い人がみな出稼ぎに出られて、年寄りばかり残るようになって。年寄りが死んでいくと家が無くなってという感じがずっと続いて」、2004年、家はついに4軒にまでなった。そこで持たれた話し合いは悲痛である。「どうのこうの頑張ってきたが、亭主が死んで、もうやれんからここを出よう」。「空いた家ばかりになってしまった、もういつまでもここにいられない」。こうして先祖代々の土地や家屋を必死になって守って来た人たちであったが、自らの意思をもって棄村の断を下したのである。それがいかほどの辛さであるかは、本人以外には察しようもなかろう。「泣きたいほど帰りたい日もありますよ。故郷の集落が消えるというのは自分の手足が切られるようです」とは、今は市内の娘と住む老婦人の言葉である。

それほどの思いが募る故里であるが、そこに住めない事情はよく分かっている。「あっ、サルだ!サルがいる。森の中から現れたのは、2匹のサル。屋根の上で我が物顔で遊んでいる。サルのほかにもシカやイノシシ、タヌキによる田畑の被害が年々酷くなっているという。「もう人間が暮らすところじゃないですよ。どうしようもないですよ。あきらめるしかないんです」」。こうして集落は、そこへの道も覆い隠すほどの竹藪やら雑木林に埋れて、ゼンリンの住宅地図、グーグルマップから消え去ったのである(前掲書118-124頁)(以下次回)。


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