2018年3月13,16,19,26日

3月13日・火曜日。晴れ。財務省公文書書き換え、否改竄問題炎上。昨日の財務大臣の説明によれば、責めは結局、前国税庁長官一人にあるらしい。「進次郎」議員は言った。「役人一人に全ての責任を負わせるような自民党ではないと信じたい」。国民の大多数が共感した事だろう。

3月16日・金曜日。雨。鶴巻公園の桜ほか広葉樹の新芽さらに太る。森友問題の闇いよいよ深まる。

3月19日・月曜日。曇り。本日明治大学付属中学校卒業式に来賓として出席。ただし、我が校長時代の生徒は全て卒業しており、眼前の生徒たちはもはや私を知らない。よって私は単なる来賓でしかなく、古巣に帰ったとの感慨はない。なお、3月9日以降、3回にわたって本論について大いに格闘するも、書いては消すの繰り返しで進捗はまるでなし。これ、偏に主題に対するわが理解不足による。

3月26日・月曜日。晴れ。本日、明治大学の卒業式、日本武道館にて執り行われる。満開の桜であった。

 

以上からも、わが国のほとんどの自治体が、現在、公共インフラに関わる財政危機に追い込まれようとしている、そんな状況の一端が伝わってこよう。夕張市の窮状は他人ごとではない、明日は我が身、と私に語った元自治体職員の言葉が耳底に残る。しかも、各市の財政需要はただインフラ分野だけではない。教育、医療、福祉と多岐にわたり、かつ膨大である。これぞ地方の疲弊といって済ませる話ではない。

では、多くの自治体は、何故このような状況に追い込まれたのであろうか。その原因は何か、対策を一言で言え、と迫られれば、その応答には誰でも困惑するに違いない。しかしこの問に対しては、とりあえず経済のグローバル化と関連した1992年以降のバブル崩壊後の経済の停滞、及びそれ以前から迫っていた少子高齢化というわが国人口構造の変容の二点は、逸することの出来ない要因として上げられなければならない。つまり、わが国の経済全体の不況が地方にヨリ深刻な影響を及ぼし、地方の疲弊と都会への人口集中、そしてその裏側での地方の人口減少を来たして、上記のような惨状を齎した。こんな図式が描かれるかもしれない。

殊に人口変動が社会や国家の在り様に対しどれ程の衝撃力を持ち、それによって人々の生活や意識がどう変容し、またそうした人々の変化が逆に新たな人口変動を加速する、要するに人口動態と社会変動との相互の絡み合いを知ろうとすれば、まずは鬼頭 宏『人口から読む日本の歴史』(講談社学術文庫・2017)を上げたい。次いで、現在、日本社会が直面する人口減少が将来的にいかなる問題群を孕んでいるかについては、河合雅司『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社現代新書・2017)が、俯瞰的で分かりやすい。しかし、焦点を絞ったさらに深刻な現下の問題については増田寛也編『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(中公新書・2015)、吉原祥子『人口減少時代の土地問題』(中公新書・2017)の両著が特に有益である。

というのは、前者では、地方都市の消滅を目の当たりするほどの人口減少が進む一方、地方からの人口をのみ込む大都市では、住民が抱える多様な生活上の困難や経済的な困窮、特に不安定な雇用状況、不況下における物価、育児や教育の負担増、住宅・環境問題等による晩婚化、非婚化の進行が都市人口自体の減少を来たし、ひいては国全体の人口減少の問題が構造的に明らかにされるからである。

また後者は、人口減少によって突きつけられる土地・家屋の相続放棄の問題を浮き上がらせた。わが国では、いまや放棄され、或いは相続不明の土地は市街地・農地を合算すれば、何と九州の面積を超えるほどと言う。土地相続人は地価の下落や相続税を考えれば、相続の意味はない。だが自治体に移譲を求めても、経済的なメリットがなければ、自治体がこれを受け入れるケースは少ない。或いは直系相続人の転居による不明や途絶によって、土地の相続権が傍系の親族へ拡散すれば、それを確定する手続き、費用は膨大となり、自治体にはその負担能力はない。こうして放棄地は累積する。その背後には税制、土地所有権、相続手続き等に絡む法律的な難問が山積し、それらを辿るうちに土地問題の深刻さが浮上するのである。1972年、田中角栄の掲げた日本列島改造論が狂乱的な地価の暴騰を呼び、土地こそ資産の中の資産と言った土地神話が語られ、それを頭から信じ、首まで漬かったものにとっては(つまり、筆者のことだが)、不動産が「負動産」に堕した現在の状況は、何とも信じ難い、理解を越えた一事という他はないのである(以下次回)。


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